2025年7月6日(日)、埼玉県八潮市の大瀬の獅子舞を訪れた。この獅子舞は富士登山の様子を模した獅子舞であり、朝10時から夜20時を2日間という非常に長い時間にわたって、富士登山の物語を舞うという獅子舞である。2時間の取材で、ペットボトル2本を消費する非常に猛暑の中での取材となった。
7月5日、6日と行われている獅子舞のうち、氷川神社の祭礼にあたる6日(日)の演舞を拝見した。この日は10時に氷川神社に向かうと、屋台は出ていたものの観客はまばらで、これはもしや時間を間違えたか?と思い、近くにいた祭礼関係の方にお話を伺うと、「あそこのお寺(宝光寺)から土手沿いにここまで歩いてくる予定だよ。もうすぐくるはず」と教えてくださった。獅子頭がどうやらお寺の寺什 (じじゅう)として保管されているという内容もネットの記事(参考文献、アソビューの記事参照)に書かれていたので、お寺からスタートなのかもしれない。宝光寺に向かって歩いている途中、案の定、獅子舞に出くわした。まだ顔を覆った状態である。

堂々と氷川神社に入っていく。その後に拝殿の前で、大幣のお祓いを受けていた。獅子舞の行列は皆お祓いを受けていた。そして、その後は参拝者も皆お祓いを受けた。僕も後ほど、お賽銭を入れるときに、頭をお祓いしていただき、とてもありがたい気持ちになった。氷川神社の隣の浅間神社では富士講の方々がお参りをしていた。氷川神社と浅間神社の並列は印象的だった。

お祓いののち、獅子舞の集団は拝殿を何周か回り、舞庭で舞い始めた。最初は拝殿方向に置かれた御幣に向かって大獅子が前に出て、舞が行われていた。その後、3匹で円を描いて舞ったり、列をなして舞ったりした。途中、ヤカンに入れられた飲み物が獅子舞の舞い方に向けて運ばれていき、給水のそばで他の担い手が太鼓を叩きながら、しばしの給水が行われており、この連携プレーがとても良かった。また、途中、笛を水で濡らすように促すお囃子の担い手もいて、やはり笛を濡らすと音が良くなるというのは全国共通の工夫のようにも思える。舞いは拍手と共に締めくくられた。観客の多くはその終着点がわかっていたようにも思え、迷いもなくすぐさま終わりのタイミングで拍手が鳴ったのはすごいなと思った。これだけ膨大な演舞だとどこが終わりなのか、初見ではなかなかわからないものである。

白と紺の夏らしい涼しげな衣装を見に纏うご高齢の担い手に、「この演目はなんというのですか?」と尋ねてみた。すると、「平舞(ひらまい)というんですよ。このパンフレットには書かれていないけど、昔の人は当たり前に舞ったからあえて演目は書いていないんです」とのことだった。「これだけ長い30分ほどの演目が序章の序章だなんて、どんだけ長い演舞が控えているのだろう?」と思うほどに、舞いの長さと伝統を忠実に残している担い手の姿に感銘を受けた。今回は連日の激務もあって、平舞のみで引き上げた。
大瀬の獅子舞の特徴
いわゆる三匹獅子舞の形態である。大獅子(兄獅子)が顔が青く、中獅子(弟獅子)は顔が黒く、両者ともに鼻の両側に白髭を蓄えている。また、角も生えている。一方で女獅子(母獅子)は角がなくて顔は金色で、優しい顔つきとなっている。
埼玉県民生活部文化振興課「埼玉わびさび伝統文化を応援」(参考文献参照)によれば、獅子の黒い羽根は、唐丸(とうまる)と呼ばれる品種の鶏の羽根が使われているそうだ。その唐丸は大瀬地区内の関係者の家で飼われているという。

大瀬の獅子舞の演目
舞の構成は、序の舞い、本舞い、結びの舞いとなっており、本舞いは以下の通りとなっている。12通りの舞い方があるようだ。
・花回り
富士山麓の牡丹畑で遊び戯れる舞い。各地に伝わるいわゆる雌獅子隠しの演目に相当する舞いである。
・大弓
険しい山道に生い茂る大木や笹やつたを大弓にしたててそこを通り越えていく姿の表現
・小弓
道中に魔物が現れて小弓で退治する
・太刀
風雨が吹き荒れる中で太刀によって斬り込みをして、魔物を討ち果たし暗雲が晴れる。
・閂(かんぬき)
草木の生い茂るところ、大獅子に女獅子が助けられて障害物から逃れる
・屏風返し
女獅子がいなくなり、牡丹畑の中を探し出す。
・橋
険しい谷間の急流にて丸木橋を渡る舞い。
・綱
道中の障害物を綱に見立てて、大獅子は中獅子と女獅子を見失う。最後は歯で綱を断ち切って、親子が出会う。
・烏覗き
揺れ動く吊り橋を渡る時、烏が歩くことを模して軽やかに舞う
・飛び恰好(とびがっこう)
険しい道を進んだ先に目的地が見えてきて、喜び、遊び、戯れる。
・飜り恰好(かえりがっこう)
飜る(ひるがえる)ことを古訓でカエリと読むという。苦しい道中を乗り越えて、無事に富士・浅間神社に参拝をすませた親子の苦労を労い合う姿。
・御幣
富士参拝を済ませて神社からお札を頂戴し、喜び分かち合う姿。かつては舞いの後にお札が観客に与えられた。

富士参拝と獅子舞が結びついた珍しさ
これらの演目からわかるのは、まず獅子舞を舞うことが、富士登山と参拝の代わり(代参)の意味を持っていたことである。伊勢神宮などでも代参が当時流行していたわけだが、参拝したのと同じご利益が得られるという意味があるものと思われる。それだからか、非常に苦難の様子を乗り越えるような演目が多くみられる。その様子を綱や弓を通じて巧みに表現しているように思われる。
花回りや弓舞のような他の地域でも演じられている演目を、富士参拝のストーリーに昇華させ、オリジナルな物語として受け継いでいるところが非常に珍しく、富士講が盛んだったであろう地域性が獅子舞文化と結びついた稀有な事例であるといえよう。

大瀬の獅子舞の歴史
始まりは1662年(寛文2年)、旗本の森川氏から獅子頭を拝領したことをきっかけに始めたと伝わる。これは三匹獅子舞(一人立ち三頭立て獅子舞)の中でも歴史が古い方であろう。この獅子舞の最も特徴的なのは、富士・浅間信仰との結びつきが色濃くみられるということ。三匹の親子の獅子舞が富士登山に向かう途中の出来事を物語風に描いているという特徴がある。獅子舞の公開日は7月第1土曜日とその翌日 10 時ごろ~ 20 時ごろ、祈祷獅子は7月第4日曜日 7時ごろ~ 20 時ごろとなっている。大瀬の獅子舞は「ドロンコ祭り」と称されるようだ。舞うと足元がどろんこになるということに由来する。この地域では、稲作地帯ならではの雨乞いのような発想もあるのだろう。

参考文献
『埼玉県指定無形民俗文化財 大瀬の獅子舞 しおり』(八潮市教育委員会『八潮市の文化財(第二号)』八潮市教育委員会, 1986年より)
埼玉県民生活部文化振興課「埼玉わびさび伝統文化を応援」(2025年7月6日アクセス,
https://www.pref.saitama.lg.jp/wabunka/kyodogeino/toubu/oose-shishimai.html
)
アソビュー「大瀬の獅子舞」( 2025年7月6日アクセス,
https://www.asoview.com/spot/11234be2220091160/)