獅子頭を被るのだが、牛の動きを表現する獅子舞。このような民俗芸能は見たことがなかった。田楽や田遊びに登場する牛はいるけれど、その多くは牛の頭を持つ。獅子頭をかぶっていて牛を表現するというのは全国的にも珍しい。「牛獅子」を含む「高梨太々神楽」を拝見するため、2026年10月11日、長野県須坂市の高梨神社を訪れた。
夕方、石川県金沢市を出発!北陸新幹線で、長野駅へと向かった。夕日が海の方向に沈んでいって、やがて真っ暗になった。長野駅に着く頃、もう18時になっていた。前の取材が押していたこともあり、1時間遅れの到着だ。走って宿にチェックインして、そこから長野電鉄で、日野駅まで辿り着いた。駅横の自転車置き場が魔性の如く青いネオンの色に輝き、古びた施設にどこか異様な雰囲気を作り出していた。そこから歩いて高梨神社にたどり着くと、社殿前の小舞台にて獅子舞がおこなわれていた。獅子舞は牛獅子のみかと思っていたが、実はそうではなかった。18時から開始していたその舞台のほとんどは獅子舞が登場するのである。
さまざまな演目がある「高梨太々神楽」
境内の張り紙によると演目は9つあり、以下のようであった。 「宿舞い」「〆切り」 の後、社殿前の舞台で傍には大型の屋台のような太鼓を乗せた構造物があり、舞台上では8演目、近くの道祖神前で1演目がそれぞれ実施された。時間の関係で、鐘馗の最後の場面から拝見できた。『須坂市誌 第二巻 地誌・民俗編』の記述を参考にしながら自分の体感を含めて振り返っていきたい。
お祓いの舞「神獅子」
獅子 (ゴザ必要)獅子(後持ち) 笛 太鼓 火男
お祓いの舞で、ひょっとこも加わってユーモアあふれる舞をする。
悪魔祓いの舞「鐘鬼」
鐘鬼 獅子 獅子(後持ち) 太鼓
悪魔祓いの舞で、鍾馗と獅子が四方八方を御幣で清める。
片想いの恋物語「お三輪」
師子 舞子(後持ち) 豆腐の御用 太鼓 浄瑠璃
浄瑠璃の「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」を獅子狂言にした演目。白足袋着物姿の清楚な女性のお三輪は、男の後を追っていくと祝言をあげており落胆する。片想いの物語。


掛け合い漫才「おかめ」
おかめ 神主 笛 太鼓
神主とおかめが掛け合い漫才をする祝福芸。

狐との異類婚姻譚「久寿の葉」
郷子 (ゴザ必要)獅子(後持ち) 殿様 笛 太鼓 浄瑠璃
安倍保名という人物が信太の森で狩人に追われていた白狐を助けたが、その際に怪我をした。そこで葛の葉という女性が、保名を介抱して家に送り届ける。葛の葉は保名を見舞いなどをするうちに、2人は恋仲になる。そして結婚して童子丸という子どもを授かる。しかし童子丸5歳の時、葛の葉の正体が白狐であることを知られ、「恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」と一首書き残し森へと帰る。保名はこの書き置きを見て、恩返しのために葛の葉が人間世界に来たことを知った。これは大和地方に伝わる話である。
これが今回の演舞では獅子狂言として、葛の葉が保名の父に身分を知られそうなことを悟って、保名が寝ついた後に障子に一筆を書き残すために、筆を口に加えて墨をつけて「恋しくばたずねて来てみよ和泉なる 志乃田の森のうらみ葛の葉(実際に拝見すると漢字等表現がやや違うかも)」などと書いて、それを斉唱して退場する。障子の下から書いたり横から書いたりさまざまな方向から文字を書くのが大変珍しく、理由を尋ねたかったが、聞きそびれた。
また、この演舞については、近隣の霧原大元神社の獅子狂言と似た流れのようである。



悪魔祓いの舞「鬼」
舞子 獅子(後持ち) 太鼓 一
鬼と獅子が掛け合いをしながら、悪魔祓いをする。これは個人的に最も謎に満ちた演目であった。二刀流の獅子と鬼がお互い格闘するわけでもなく、掛け合いをしながら、切り祓いを実施していく。

報われぬ物語「清姫」
狗子 (ゴザなし)舞子(後持ち) 和尚 船頭 太鼓 浄瑠璃
能の「道成寺」、伝説や物語では「安珍清姫」として知られる演目。和歌山県日高の道成寺縁起に由来する。若い修験者安珍は、補陀落浄土を求めて奥州白河から熊野へ来る途中、真砂(まさご)の代官の邸に宿泊。そこで清姫に慕われることとなる。そして、熊野参詣の後の帰りに再会を約束したが、安珍は修行の身であるため、清姫との約束を破って帰路を変更した。清姫はそのことを女の勘で察知して、安珍を追跡して日高川のほとりの道成寺にたどり着く。煩悩の炎により、その女の体はすでに蛇に代わっていた。
獅子狂言はここから始まる。女装した獅子は、千鳥足の爺さんに「若い女の一人歩きは俺でさえも心が迷う」と野暮な言葉を浴びせられたり、和尚に幽霊と間違えられて念仏を唱えられたりする。船頭に渡し船を断られ、しまいには入水して溺れて流れていく。船頭は清姫が鬼や蛇になったのかと驚き、逃げ出すのである。
獅子狂言はここで終わるが、伝説によれば、清姫に追われた安珍が逃げ場を失い、寺の鐘の中に身を隠す。しかし、蛇体となった清姫は鐘に巻きついて情炎により安珍を焼き殺して、清姫は日高川に身を投じて果てるという話のようだ。救われない人間の物語であり、煩悩について考えさせられる。
船頭が船を漕ぐときに使う「櫓」を舞台にバン!と叩きつける場面が印象深く、本当に思いっきり叩くので、観客の最前列の女性2名がその度にビクッと驚いていた。何度も何度も叩くたびに、毎度驚いておられた。タイミングが分からず、基本的には驚いてしまうようである。


悟りを深く育てる様子「牛獅子」
牛(前) 牛(後) 牛方 牛追い
京都臨済宗大本山妙心寺を開山した関山国師生誕の地でもある高梨。鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて生きた関山国師が修行をした姿を獅子狂言としたのが牛獅子という演目。四つん這いになった獅子が牛の姿を演じ、またそれを牛方と田五作が相手するという内容だ。牛方は蝿や虻を追払い、そして牛獅子が登場。田五作は牛獅子を中央に寝かせて、焼き餅(おやき)を食べさせる。そして自分たちもそれを食べ、また、会場の子どもたちにもそれを分ける。また、牛獅子を何やら諭すような問答を始める。また牛方が関山国師を演じ、牛をなだめすかす様子はユーモラスな笑いを起こさせることを意図しているようだ。関山国師はどうやら美濃国の山里に住み、昼は里人と共に牛を追い、田畑を耕し、夜は座禅を組むという姿を演じている。これは、仏教の禅宗における聖胎長養(しょうたいちょうよう)の姿であり、悟りを開いた後にその悟りを深く育てて養う修行のあり方のようである。
動画を撮影する限りでは、全体として12分ちょっとだったので、演目全体の中では短い方だったが、非常に牧歌的でのんびりとした演目であった。牛と人間の掛け合いがとても癒される感じであり、情緒を揺り動かされるような場面の数々の最後に、このような締めくくりになるのかと思った。そして、焼き餅(おやき)の登場には驚かされた。郷土食がこのようなところで登場するのかと思ったし、餅まきをするよりも珍しさと工夫が感じられた。



馬追の修行「丹波与作」
獅子(前) 獅子(後) 太 笛 鼓 太 笛 笛 爺 小
近松門左衛門の浄瑠璃「丹波与作待夜の小室節」に由来しており、与作が馬追をして修行し、立派な武士になった場面を獅子狂言化したもの。また、この演目のみ社殿前の舞台ではなくその近くの道祖神前で実施する。暗闇の中を移動する際、山車のような形で太鼓の台を移動していった。ぼんやりとした光は暗闇を薄く照らして、1日の終わりへと向かった。道祖神前には2つのあかり、そしてそれぞれに「道祖神」の文字が書かれている。それに向かうようにして、暗闇の中で獅子舞が舞われて、終了となった。

全体を通して、本当に長い時間舞っておられた。丁寧に長くしっかりと受け継いでおられる印象である。しかし、観客は少なかった。これは非常にもったいないことである。ただ逆に言えば、このように発見されていない民俗芸能の有り様こそが素晴らしい形なのかもしれないとも思う。観光客に媚びずに、伝統ただしっかりと淡々と受け継ぐ姿が拝見できた。それから長野駅方面に向かい、帰路についた。


須坂はなぜ獅子神楽や狂言が盛んなのか?
須坂にはこの10月中旬という時期に、さまざまな地域で獅子神楽や獅子狂言が実施される。獅子神楽の中に、代神楽(太神楽)、獅子狂言、祝福芸などが含まれているようである。歴史を遡れば江戸時代以降に、伊勢御師が回った伊勢大神楽が、次第に神楽団という組織に受け継がれて各地を回るようになった。それは『須坂市誌 第二巻 地誌・民俗編』2014年P600によれば、「神楽団でも有名なのは丸一神楽団で、㊀の印をし、江戸から上州に入り、吾妻郡あたりで大笹神楽団となって大笹街道沿いに須坂に移入されてきた」(1)とする。大谷町の神楽の腰幕に㊀印があり、また狂言のセリフなどに「丸一」という言葉が出てくるのが証拠とも言われる。その中で獅子神楽に続いて獅子狂言が登場するのは、須坂や高山の獅子舞の半数近くに上るようだ。
引用及び参考文献
(1)須坂市誌編さん室『須坂市誌 第二巻 地誌・民俗編』須坂市, 2014年3月






































































