2026年8月8日、岡山県真庭市の湯原温泉ではんざき祭りなる祭りが開催された。はんざきとは半割きの意で、オオサンショウウオのこと。オオサンショウウオは体が半分になっても再生することから吉をもたらす動物として、はんざき様とされている。この地でオオサンショウウオの獅子舞が開催されるとのことで、現地に伺ってきた。
お盆始まりの休日、なかなかに道路が混んでいてバスが進まない。3時間遅れで大阪に到着。そこからスーパーホクトに乗り、超急ぎで、左用から普通の路線に乗った。
佐用から津山に向かう途中、電車の中で乗客は1両に30人ほどはいたが、ほとんどの人が携帯電話を触っていなかった。僕ともう1人くらいが触ってるだけ。後の人は何をしているかといえば、車窓に広がる青々とした里山の風景を眺めているか、あるいは淡麗を飲みながらうとうとされているおじさんもいた。
津山で途中下車をして、ホルモン焼きそばを食べた。スタミナ系の料理だが、さらに大盛りにしてもらった。店主も息子と思われる人物も大人しそうな方だったが、はい!大盛りの方!などと持ってくる時の雰囲気が良かった。それから、再び電車に乗り、中国勝山駅に着いた。ここで宿にチェックインしてからバスに乗り、湯原温泉へと向かった。谷あいの旭川に沿って上流へと進む。

湯原温泉は非常に穏やかな旭川に面して作られた温泉地であり、オオサンショウウオ研究班賞の地とも言われる場所である。実際にバス停に降り立つと、山と山の間にある谷あいの風景が清々しく夏色に染まった川の周囲に大人も子どももはしゃぎ自然に生息するアヒルと遊んだり、川に入ったりして暑気払いもしていた。それから温泉薬師での祭礼へと向かった。
はんざき祭りの本祭はこのような流れで行われた。
8月8日(土)
13:00~ はんざき・フォーラム2(湯原ふれあいセンター) 集え!「はんざき」大好き人間! はんざき最深研究発表と討論会
15:00~ 温泉薬師祭礼(温泉薬師堂)
16:00~ はんざき大明神祭礼(はんざき大明神)
17:00~ ☆カラオケ大会☆(予選)
18:30~ 山車・道中ばやし お祭り広場入り 総踊り ※飛び入り参加大歓迎。
19:00~ 舞台パフォーマンス カラオケ大会決勝戦!
はんざき〇✖クイズ! オオサンショウウオ生息地指定100周年に向けて
20:30~ はんざき獅子舞、ハンザキねぶた お祭り広場入り お笑いLive「ザ・ピーチ」 岡山県住みます芸人・吉本興業所属 ☆江西あきよし (湯原温泉お笑い芸人番頭) ☆ハロー植田 (B'zものまね芸人)
21:00~ 花火 もちなげ
(HPより)
さて、湯原温泉に到着したのが15:15ごろだった。そこで温泉薬師に向かったがほとんどその祭礼は終了しており、数人が薬師に向かった拝んでいるような感じだった。そこから、ヨーグルト屋さんを見つけたので入ることにした。脇に流れる田羽根川には、オオサンショウウオが生息するという。ヨーグルト屋さんの窓からオオサンショウウオが見られることがあるようだが、今回は見られなかった。人家とオオサンショウウオの生息地が非常に近いのが魅力的である。

古式豊かなはんざき大明神祭礼
16時からは「はんざき大明神祭礼」が始まった。神主、僧侶の順に祈りを捧げた。最後に街や祭礼行事の重役たちが玉串奉天をするという多くの祭式と同様の流れであった。神仏の垣根を超えた祭礼のようである。林の中で祠に祈る姿は、観光化されたはんざき祭り全体から見れば異様な光景だ。しかし、古きものをしっかりと受け継いでいる姿が印象的だった。

その後、はんざきセンターに入った。ここで、オオサンショウウオの生態について学んだ。本物のオオサンショウウオが飼育されているほか、大きなオオサンショウウオの骨は標本などもあった。オオサンショウウオの所見は全く動かないということ。少し呼吸のために水中から外に向けて口をパクパクするような仕草が見られると、大きな歓声が上がった。オオサンショウウオの巣穴の再現などもあり、大きくて強い「ヌシ」であるオスが卵を守るのだと知った。

それから湯原図書館を訪れたが、あまりここでははんざき祭りのことを調べることができなかった。時間が10分くらいしかなかったのと、受付の方に尋ねても、資料はないですねとのこと。それから休憩スペースのfreewaterをいただき、砂湯にいってから、食事を取ろうとしたが、祭りの日だからか一人客お断りと言われまくり、結局夕食が食べられなかった。これはなんとかならないものだろうか。屋台飯は量が少ないので、いくら買い漁っても、あまり食べた気にならない。お祭り広場ではカラオケ大会が行われ、出演者と観客で賑わっており、90点台を出しまくりだった。
巨大はんざきの山車が動き始める
そんなことをしているうちに、巨大はんざきの山車である太郎と花子が動き出した。イボイボの再現などが非常に忠実だった。行列は先頭に太郎、そして、囃子、はんざき音頭の踊り手たち、最後尾に花子という順番であった。そこからお祭り広場へと入っていった。オオサンショウウオは手が可愛いことに気がついた。



それからお祭り広場では、踊りが続けられたのち、カラオケ大会の決勝戦が実施された。大阪から来た参加者もいたようで、この祭がどれだけ観光客誘致しているかを改めて実感した。95.3点などを叩き出した方もいて、素晴らしいなと。昨年に引き続き決勝に上がってくる小学6年生もいてこれも素晴らしいなと思った。それからオオサンショウウオのぬいぐるみを高く掲げて、歌っている出演者もいて、なんだか、オオサンショウウオだらけだなと。


それからオオサンショウウオを研究されている研究者が登場して、オオサンショウウオの◯ ×クイズが出てきた。10問以上正解しまくって、最終的に舞台に上がって最終問題まで正解した人が5人ほど。これもなかなかの難問で、オオサンショウウオのに噛まれた時に雷が発生した後にその口を離すか?などさまざまなクイズが出された。

はんざき獅子舞の登場
それから、クイズが終わろうとした終盤、突然後方から、太鼓と鉦の音。しまった!出遅れた!ついに待ちに待ったはんざき獅子舞の登場である。実際に拝見できたのがお祭り広場に入る前と入った後の2回のみ。
はんざきのねぶたの前方で、厄を払うかのように舞っていた。太鼓と鉦でとにかくガンガン囃し立てるようなリズム、獅子舞は一人立ちでひたすら激しく舞う。2頭一対の形で出てきた。おおよそ3分ほどだったであろうか。その短い舞は、ねぷたの登場と相まって、この祭りクライマックスを象徴しているように思えた。オオサンショウウオクイズから一転、リズムで盛り上がる身体知は時空を超えて、象徴的な記憶を作り出した。
獅子舞の担い手の1人であろう人物に「この舞に詳しい方はどなたかいらっしゃいますか?歴史とか舞い方とか、練習はどのようにしているかとか」と尋ねてみた。
顔をしかめた担い手は、あまり慣れない質問だったのが、端的に答えてくださった。「おそらくねぷたがで始めた頃からでしょう。今いる人の中で詳しい人は見当たらないですが、とにかく荒々しく舞うようにしてるんです」とつぶやいた。
本来、オオサンショウウオはゆっくりと動く生き物である。しかし、ガンガン鉦を鳴らしとにかく激しく舞い狂うオオサンショウウオの動きは不思議と、「そうあるべきなのではないか」と思えてきた。ゆっくり動くものをただゆっくりと舞わせても面白くはない。この獅子舞はどこまでも魅せることを意識しているように思う。
これは妙だなと思ったのが、獅子頭の造形である。はっきりとした目を描かずに、植物の蔓のような有機的な線を張り巡らせるようにして、獅子頭の造形が作られている。この造形はオオサンショウウオ自体もその目を含め、表情を捉えづらいのだが、その特徴がよく現れているように思う。胴幕は伝統的な模様のようであるが名前がわからない。



余韻を残して帰路に
さて、はんざき獅子舞の実態はよくわからないまま、祭は最終盤に。花火が上がって、それが10分ほど続いた。やはり花火を見ると、皆、固唾を飲んで空を見上げる。照明もアナウンスも消えた夏空に、ピュ〜〜〜〜バン!と空に華が咲く。花火はいつ見ても良いものだ。いつが最後なのか、今か今かと待ち続け、金色の大団円が描かれて終了となった。その後、祭り広場では、餅まきなどが行われたようだが、帰りの終バス(臨時の一便)のため、並びそうだったのが気になって、湯原温泉のバス停に向かった。

帰りのバスは暗い夜道を進んでいった。そして、中国勝山えきに着いた。コンビニで水とおにぎりを買って、宿に向かった。素晴らしい1日だった。暗い林業施設の横を身震いがするような思いで通り過ぎた。この素晴らしい真庭の森。国内の林業界の最先端を行く人々がこの街には住んでいる。昼には木材のペレット化、工芸品化なども進んでいてお店も見かけた。その最先端を走る人々。どうにもこの地域の人々は、宿泊といっても、鍵をかけないような都会ではあまり見られないような信頼の置き方をしている。しかし、観光業と林業に関してはなかなかに最先端を行っているような盛り上がり方をしている。
はんざき祭りに関しては、オオサンショウウオ(はんざき)一色だった。とにかくこのオオサンショウウオがこの街の観光と経済を一躍引き上げている。素晴らしい取り組みである。個人的には新しいはんざき獅子舞という獅子舞の形態を見ることができてとても面白かった。
さて、その翌日、真庭市の中央図書館を訪れて知れたことを振り返ろう。ラーメン定食(750円)をいただき、悪魔のビールを飲んでから、新しい発見とともに、帰路についた。
はんざき祭りとは
さてここからは資料によって知れたことを振り返る。『はんざき風土記』によれば、「昭和三十年頃に「はんざけ大明神保存会」というのが発会して夏祭り執行、祠堂修理、境内整備等を目標として、湯本小学校の秋期運動会の日に祭礼が執り行われて来た。(要項は後掲する)第十七回国体が岡山県で開催され山岳部の閉会式前夜祭が湯本校々庭で行われる事になり、地元有志の手で伝承の長さ10米余りの大はんざけの模型が町中を練りあるき、婦人会のはんざけばやしはんざき音頭が手ぶりよろしく踊られる等、大明神5も次第に有名になつて来た。近年では温泉場の年中行事である温泉まつり、はんざきまつりが盛大に行なわれるようになつた」とある(1)
この時にはすでに巨大な山車の形式が生まれていたようである。
明治31年から東京帝国大学教授の石川千代松氏が湯原温泉を訪れたことで、オオサンショウウオ研究は非常に進展する。民俗の保存にも熱意があったようで、大正十年にははんざき(はんざけ)大明神の土地の買取りもされたという。


はんざき大明神の伝説
ここからがなぜオオサンショウウオを祀ることになったのかの起源の話である。今の社がある一帯を竜頭の淵といったそうで、ここには大きなサンショウウオが棲んでいたという。人が近づくとパクッとひと飲みされてしまうということで非常に恐れられていたようだ。 それだけではなく、牛なども飲み込むほどであったという。
『はんざき風土記』(1967年)によれば、
「文禄の初年(今から凡そ三七〇年前)村人達が家を建てる手伝いをし棟木を上げていると、向うの道を六十六部が通りがかり大声で「今この下のふちに大サンショウウオが出ておるが、お前らは大勢おつても捕つて見せる者は一人も無いか、男の子はおらんか」と大声でどなったものだ。
するとこの中に三井彦四郎という浪人者がいて、「よし、よくも人を笑ったな。男の子がおるか、おらんか見せてやる」というよりも速く、腰に紐を結び短刀を持ち「我、此の紐を引かば、直ちに引き上げくれよ」というと共にふちに近づくと大サンショウウオは、たちまち彦四郎を飲みこんでしまった。気丈な彦四郎はサンショウウオの腹を断ち割って出て紐を引くと、村人達はすぐに引上げた。
見ると驚くばかりの大サンショウウオで、体の長さ三丈六尺(一〇米余)周囲一丈八尺(五米余)あつたという。
このことがあって後、毎夜彦四郎の家の戸をたたき泣き叫ぶものがあるので、出て見ると何もおらず、村人達は恐れて日暮になると戸を締めて外へは出なかったと、間もなくして三井彦四郎の一家は死に絶え、村内にも祟(たたり)があるようになつたので、産土神(うぶすな神、うちがみ、人の生まれた所を守る神)
国司大明神の境内に宮を造り祭ったのが、はんざけ大明神だと伝えられている。その後に国司大明神は明治三十年に八幡神社(在、町内禾津)に合祀され、境内の樹木もほとんど伐採されたが、はんざけ大明神だけは宮を改築し、現在その跡地に祭られている。お宮の戸をあけると、内側に見える古びたお宮が旧のはんざけ大明神である」(3)。
『ひととき』Vol.17 No.7(2017年7月号)によれば、
「元真庭市湯原支局長の浜子尊行さんによれば、こうした伝承が残るのもこの地の人が昔からオオサンショウウオと深く関わり、大切にしてきた証だろうという。
「この伝承が記された江戸時代の書物『作陽
誌』には、若宮を建てたとあります。若宮とは不遇のうちの死があった場合に建てられるとも言いますし、現在も残る大明神があるのは古墳の上。実際に何かあったのかもしれません」という(4)。大変興味深い話である。
オオサンショウウオの生態
漢字で書くと、大山椒魚。体の表面の「いぼ」から出る粘液が山椒の匂いに似ている、あるいは皮膚の色や形が山椒に似ていることからそう名付けられたそうだ。地域名称である「はんざき」、あるいは「はんざけ」の由来は山海名産図会、巻二に「性至て強き物にて、常に小池に畜ひ、用ゆべき時其の半身を截断の半を復、小池 へ放ち置けば自づから肉を生じ、元の全身となる故に作州の方言にハンザキといふ」とあるようだ。つまり本当かはわからぬが、半分に裂けても回復することから強壮の生き物として、崇められてきた背景もある。
世界最大の両生類であり、サワガニやカエル、魚などを主食とする。いきた化石と言われるほどに太古より生き続けてきた生物である。
「およそ二七〇年前スイス、エーニンゲンの始新世(およそ六〇〇〇万年前)の地層から全長一二〇糎もある大頭の大動物の化石が出た。この化石をスイスの当時有名な大学者でショウイクセリという医師が見て「これはノアの洪水の時に神の罰を受けて、おぼれ死んだ人間の赤子の死がいだ」と思つたのである。 それで、一時世界的の大評判となった」という(2)。
後に日本に渡ってきたこの有名なシーボルトが2匹のオオサンショウウオを持ち帰り、それが先の骨格と似ていることからこれは人間の赤子ではなくオオサンショウウオであったことが判明した。
もともと日本では日本書紀第十一巻仁徳天皇の時代の頃より文献での記述も見られる。
1952年に天然記念物指定。許可のない捕獲や飼育は禁止となる。1971年、研究発祥の地として「はんざきセンター」を建設。飼育と保護も進んでいる。


引用
(1)編集兼発行 湯原町教育委員会 おおさんしょううお保護対策協議会『はんざき風土記』(1967年)P5
(2) 編集兼発行 湯原町教育委員会 おおさんしょううお保護対策協議会『はんざき風土記』(1967年)P14。ノアの洪水は人類の堕落を怒って神が起こした大洪水のことで、ノアは妻子と全種類の動物のつがいを方舟に乗せてアララット山に漂着したために人類は絶滅しなかったという話。
(3) 編集兼発行 湯原町教育委員会 おおさんしょううお保護対策協議会『はんざき風土記』(1967年)P16
(4) 『ひととき』Vol.17 No.7(2017年7月号)、株式会社ウェッジ、2017年P23
参考文献
編集兼発行 湯原町教育委員会 おおさんしょううお保護対策協議会『はんざき風土記』(1967年)
『ひととき』Vol.17 No.7(2017年7月号)、株式会社ウェッジ、2017年
湯原町総務課『元気印新世紀湯原町』(湯原町, 2000年)
湯原町文化財専門委員会『湯原町の文化財』(湯原町教育委員会, 1997年)
生駒義博(編)『日本ハンザキ集覧』(津山科学教育博物館, 1973年)
山陽新聞社(編)『岡山の祭りと行事 上』(山陽新聞社, 1982年)
信用組合 1995年10月P34-35, 真庭信用組合 武田昌郎「はんざき祭り」


























































































