オスかメスか分からず...謎多き取材となった「青梅の獅子舞」

2023年9月17日、青梅市の友田の獅子舞と、長淵の鹿舞を拝見してきた。ここ最近は特に獅子舞が多い時期で、秋祭りが日本各地で行われている。少しでも回れるだけ獅子舞を回っておこうという思いで、2つの獅子舞が同日に行われる青梅市を訪れた。

ここの地域には獅子舞が7ヶ所に伝わっており、どれも江戸時代に始まったと言う点、そして、市指定の無形民俗文化財に全て指定されていると言うのは特筆すべき点である。この地域の獅子舞は演舞のことを「舞う」とは言わずに「狂う」と表現する場合があるのは非常に興味深い。

青梅の獅子舞の最古の伝来は、山梨県丹波山村から沢井の獅子舞が獅子舞を習得したとの記録が福島家の古文書に記されており、これが1757年である。しかし、これは習い直しだったようで、「日本獅子舞之来由」によれば1661年という年号が書かれている。

木漏れ日美しい神社「友田の獅子舞」

『友田獅子舞概要』のパンフレットには、「友田獅子舞の由来」として、次のようなことが記されている。古老の言い伝えによれば、今より500年前(文明7年(1475年))に、「光岸寺(今の花蔵院)の住職である賢海法院(印?)が寺院を再興した時に、檀徒の雅子が獅子を冠りて踊ったのが始まりとのこと。演目でいえば笹掛りが天正年間、花踊りが承応年間といずれも徳川家康が生きた時代である。また、元文年間に疫病が流行って、陸奥国から獅子舞を習って歌詞を改めて作曲したのが花掛りという演目のようだ。また『新編武蔵風土記稿』によれば、毎年例祭は9月19日で獅子舞があるという内容が書かれているが、現在ではその前後の休日に行われていると考えられる。

まずは14時に友田の獅子舞が行われる御嶽神社に訪れた。既に祭り囃子の音が鳴っていたので、神社の方向を間違えることはなかった。鳥居に向かって木漏れ日がさし、急坂にかけられた階段を登っていくと、狭い境内に祭り関係者が準備を着々と進めており、ちょっと緊張しながら拝殿にお参りだけして獅子舞が始まるのを待った。御嶽神社の拝殿裏には鳥居だけ建てられた神社もあり、あれ?これは山への祈りか自然信仰か?などと想像を膨らませた。

拝殿前から道行が始まったのが14時半ごろ。舞台のところまで舞い歩き、その後に演舞が始まった。ささら、獅子、棒使い、天狗と、各種配役と務めている担い手の名前が呼ばれていった。「名前を呼ばれたら手を挙げるんだよ」などと言われて、舞いながら手を挙げると言うシュールな場面が見られた。被り物を被って世界観に入り込んでいる担い手に手を挙げさせると言うのもどうなの?とは思ったが、担い手のきっと我が子を記念に写真で撮ったり動画で収めたい親心なのかもしれないとも想像してみた。

あと、四方のささら役の背後から団扇で仰ぐとか飲み物を飲ませるという所作が見られたが、音を奏でるささらはひたすら立ち尽くしているというわけだから、これはなかなかに意外ときついのだろうと予想する。側から動画を撮りつつ見守っている僕からすれば、団扇を仰ぐことすらも演舞の一部なのではないかと思えるほどに規律立った所作であった。

さて、今回の演目は雌獅子隠しだ。朝霧が立ち込めると、雌獅子が見えなくなってしまう。それで、雄2頭が探し回るのだ。片足立ちの所作が目立つなと思いながら演舞を拝見していた。全体で30分ほどである。

それから棒使いというのは、日本の至る所に登場する棒振りなどの芸能と同じようなものだろう。普段、北陸の加賀獅子の獅子殺しの演目で、獅子と対峙する棒振りの所作が見事にこの三匹獅子舞の棒使いと似ている気がする。

交尾か決闘か、謎の所作を目の当たりにした「長淵の鹿舞」

次に16時に長淵の鹿舞が行われる鹿島玉川神社を訪れた。この地域の舞の起源は今から403年前、1620年に徳川秀忠公の時代に社殿の大修理を行ったらしく、その後の遷宮祭において五穀豊穣を祈願して舞われたのが始まりとのこと。創建以来、1080年の歴史を持つこの神社の節目に、この舞が始まったのだ。

この鹿舞というのは、三匹獅子舞とほぼ同じとみて良いだろう。三匹獅子舞は猪よりの芸能かと思ってきたが、鹿とはっきり明言しているところも珍しい。この青梅の獅子舞を調査した石川博司氏によれば、著書『青梅市獅子舞巡り 付録 青梅市内の獅子舞』(平成元年4月, ともしび会)の中で比較的獅子頭(鹿頭)が小振りであることを指摘しているが、実際にこの事実との関連性は定かではない。

ここの鹿舞、大変演舞時間が長いと思った。小組、中組、大組でそれぞれ1時間半ほどの演舞の持ち時間が用意されている。小組、中組が中学生を主体としており、大組は青年が演じてきたようだが、現在はどうなのだろうか(小学生くらいの子どもも小組で見た気がする)。

今回拝見したのは小組だった。繰り返しの所作も省略せず、しっかりと継承されている印象だ。途中から腕がプルプル震えて動きが鈍くなっているのが、鑑賞者側から見てもあきらかだった。担い手の先輩たちはそれを心配してか、途中に危険そうな演舞者を中断させてお茶を飲ませるなどしていた。

小組は女獅子隠しの演目だった。個人的な見どころは、雄と雌の交尾シーンである。しかし、雌獅子が隠されている場面だったので、雄獅子同士が交尾をしているように見えた。あれ?と思った。これはどういうことだろうか。一頭の雄がもう一頭の雄を後ろから突いて、それでやられた雄がよろめいている。なかなか立ち上がれないようにして、立ち上がったら再び正常どおり踊り始めるのである。これは雄同士の戦いを表現していて、交尾の表現ではないということだろうか。しかし、よく見ると、片方の雄には頭にギボウシュがついているので、これは他の地域では雌の印のことがある。つまり、これは雄と雄の戦いではなく、雄と雌の交尾かもしれない。あれ、どっちだろう...。だとすれば、隠されている雌は雌ではない...?謎が深すぎる演目。どのように解き明かしたら良いんだろう。ただし、決定的なのが、ギボウシュのついた獅子が突く側と突かれる側の両方の役をすることに、後から動画を見返して気がついたので、もしかしたら、雄同士の争いを表している可能性が少し高いようにも思われる。

思い返しても見れば、先月、山形の獅子踊りフェスティバルで沢渡獅子舞に見られた所作と見事に似通っている。あの時は完全に、雄と雌の交尾だったことを思い出す。やはり、山形の獅子踊りというのは関東の三匹獅子舞とも近しい関係に思えてならない。

四方のささら役の背後から団扇で仰ぐとか飲み物を飲ませるという所作はこの長淵の鹿舞でも見られたが、大きな扇風機が四方にとりつけられていた点で、効率化が図られているように感じた。

それにしても青梅の獅子舞を2つ拝見してみて思ったのが、この地域の特色として獅子舞が担い手役の名前を呼ばれて返事をするとか、ささら役は団扇で扇がれるとか、もろもろの共通点があるようには思われた。そして、獅子舞の世界は奥深いと改めて感じた取材となった。

参考文献
東京都青梅市青梅市史 上巻』平成7年10月
石川博司『青梅市獅子舞巡り 付録 青梅市内の獅子舞』(平成元年4月, ともしび会)