【2022年4月】石川県加賀市 獅子舞取材 大聖寺錦町・塩屋町(追加)

2022年4月5~6日の日程で加賀市に滞在した。獅子舞取材を振り返る。

4月5日
11:00~ 大聖寺錦町

荒木実さんにお話を伺った。錦町(にしきまち)の獅子舞は、昭和3年の御大典記念の時に即位の祝賀ムードの中、国、県、町などの予算が下りて始められた。これは明治維新後に全国に神社が作られたのと動きとしては似ている。天皇の力が強く、国の命令が絶対の時代であり、戦争に向かって各町内がまとまっていくような意図もあったかもしれない。東北の方に獅子舞の取材に行くと、村境から疫病が入ってくるなど境界地点に厄が宿っているということで村人同士が喧嘩のように獅子舞を繰り広げてきた地域もあるが、これは紛争を平和的にユーモアに昇華して解決する手段だった。しかし、今回の話を伺っていて、実は獅子舞が戦争に向けて国家の統制や秩序を作り出すために利用されていた側面もあるのではないかという風にも思えてきて、それは新しい気づきであり十分に考えていかねばならないテーマと感じた。

桜まつりの獅子舞はほとんどこの昭和天皇の御大典記念の時期以降に始まっただろう。錦町に獅子舞を伝えたのが下福田だ。その頃、錦町は穴虫という名前だった。神様が加賀神明宮から水森神社に神輿が移動するときに、神様を賑わすという喜びの表現の意味で、獅子舞が行われた。これは神輿についていく形ではなく、あくまでも町内で別に行う。昔は桜まつりは2年に1回で、神輿が通るルートの町内が獅子舞を出すという考え方の時もあった。錦町の獅子舞は雌獅子には獅子殺しがつかず、雄獅子にのみ獅子殺しがつくという形で発展していった。その後、獅子舞は10年もしないうちに一時断絶してしまった。

いまから約50年前に青年団が発足して、獅子舞が復活した。再び下福田の人にお酒を飲みながらも習った。この時復活した獅子舞は基本的には太鼓と獅子で行う獅子舞だが、備品として槍や笛など昔のものが残っていたので、昔は少し違う獅子舞をしていたかもしれない。太鼓や獅子などの備品は使える状態で残っていたので、金銭面で発足に問題はなかった。約45年前に高度成長期で働きに出る人が多くなり仕事が休めない人も出てきて中学生が獅子舞の担い手として参加しだして、そこから大人と中学生で2チームができた。その後、大人が指導役で中学生が担い手になる時期もあったが、現在は大人と中学生で2チームに戻った。

演目の数はいつも立ち獅子と寝獅子で、これは一連の流れの中で行うため、1つの演目と考えて良い。当時から比べるとどんどん舞い方は簡略化されており、太鼓が特に変わった感じる。「テレスコテン」というリズムで獅子頭を回すが、その時の動作が少し短くなった。これは世帯数が多くなったのと、飲み会の時間を長くしたいなどの考えがあった。他の町内が3分舞っている横で、錦町の獅子舞が1分半の獅子舞をした時もあって「乞食獅子」と呼ばれた。バタバタと獅子舞をして蚊帳が破れてしまって、男の手で塗って修復したので縫い目が荒くて、それが舞うものだから「また穴虫の乞食獅子が来たわ」と楽しそうに賑やかす人もいた。「それではいかんわ」という話をする人もいて、演目の動作を長くして、しっかりと指導をする時代もあった。

担い手の数は今30人ほどいるが、実際に町内にいて稼働しているのは5~6人だ。この人数で錦町180世帯を、4月のさくら祭りの2日間をつかって回る。世帯数が多いのでご祝儀の金額は2~3000円が平均で、それでも十分運営していける。親子三世代の獅子舞が余興として獅子舞を演じたこともあったが、基本的には青年団が実施してきた。錦町には龍笛という能関係の笛の名手である林さんという方がいて、獅子舞を一本橋町に教えたそうだが、錦町の獅子舞には特に関わっていなかったようだ。近年は獅子舞に参加してくれた子供にバイト代を渡す。中学生、高校生、大学生で金額は変えている。最初はバイトと言えども、獅子舞に愛着を持ってくれるきっかけになればと考えてバイト代を渡している。青年団に入っている人にはバイト代を渡さず、基本的には飲み会でお金を使う。大聖寺は町ごとに神社があるわけではなく盆踊りはしないため、獅子舞が終わったらすぐに飲み会に出かけた。打ち上げでは加賀市内の料亭に行って、コンパニオンを呼んで飲むような日常的にはできないことをした。昔は打ち上げがやりたくて獅子舞をしていた人もいたし、祈りの気持ちも強い人もいた。今は継続しなければという義務感もあり、参加してくれる人も多い。

獅子舞は基本的には桜まつりの時だけだが、結婚式でも行うこともある。青年団長が数年前にがんで亡くなったときに、獅子舞を舞って送ってほしいという遺言があったので、葬儀の時に獅子舞をしたことがあった。基本的に獅子舞はお祝いの時にやるので、葬儀の時にも賑やかな獅子舞をそのまま披露した。

獅子頭白山市の鶴来で作ってもらった。今は3代目で、形は初代と変わっていない。太鼓は松任の浅野太鼓に頼んでいる。

コロナ禍では3年間獅子舞ができていないのが現状だ。名簿を回して丸がついたところだけ回っていくことも考えたし、後継者を育てるためにも獅子舞をやるべきという意見はあった。ただ、獅子舞はお神輿に乗っている神様を賑わす存在でもあるため、お神輿が出ないのに獅子舞をするというのは趣旨が違うということで、結局獅子舞はできていない。天の岩戸の神話と同じで、獅子舞は御隠れになった神様を賑やかして楽しませて、俗世の世に出てきてもらうような存在として考えている。

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14:00~塩屋町

獅子舞を現役でされている熊岡さんにお話を伺った。

祭りの日が楽しみで、中学生の時から「早く祭りの日が来れば良いのに」「一生続けばいいのに」と感じてきた。獅子舞は重たいし、酔っ払いの先輩がいたら後輩がテンション上げていかないといけないしで、辛いこと厳しいこともたくさんあるのだが、楽しいこともたくさんあった。中学生の時は祭りの前日に親の許可をもらって、公民館に泊まれるのも楽しかった。貸切の部屋でジュースもお菓子も食べ放題で、大人の世界を覗き見するような感覚でもあった。ファンタとコーラを混ぜて、そこにマヨネーズを入れて、じゃんけんで負けたら一気飲みということもしていた。また、とんがりコーンを食べさせられたら、とんがった部分にわさびが入っていて、とても辛い思いをしたこともあった。また、前日にあわら温泉にも出かけた年もある。祭りの日は朝5時~5時半くらいから神社の奉納に始まるが、3時半くらいから寝ようとした仲間に「もう3時半やぞ」とちょっかいを出したり、寝ている人にマジックで落書きをしたり、寝ずに祭りを開始する年もあった。

祭りの始まりの時は、お神酒を飲み、獅子頭にお酒を吹きかけ、法被着て二礼二拍手一礼をして獅子を舞い、「さあ行こう」という流れで出発する。東と西で雄獅子と雌獅子に分かれて舞うが、メンバー発表は公民館の黒板に書かれているので、そこで確認する。朝の集合に遅れた人は「連チャン要員」として迎える。雄獅子と雌獅子だと雄獅子の方が重いので、午前と午後で入れ替え負担は平等にする。舞い方はご祝儀によって変わるが、雌獅子と雄獅子で変わることはない。小雨くらいであれば獅子はやるが、雨で濡れた蚊帳は重くて操作がしにくいし水たまりに浸からないように気をつけねばならない。途中、蚊帳を絞ったり、乾燥機をかけたりする年もあった。

まずは獅子舞が回る家、回らない家はどのように決めていくのかという話。獅子舞は喪中の人の家は回らず、喪に服している人は法被を着ない、鳥居をくぐらないなどの諸々の決まりがある家もある。また、親戚関係は場合によっては祭りに顔を出さない。塩屋町の家を一軒一軒回るときに、クリアファイルに地図を入れておいて、その地図にマーカーで印をつけておき、「そこの家は喪中やぞ」と声を掛け合ったりする。ただ、快い人は「祝儀だけでももらって」とお金を渡してくれる場合があったり、形だけでもお礼として少し獅子舞をする場合がある。また、商売しているお店や金比羅神社、鹿島の森など町内じゃなくても回る。鹿島の森では正装をした人がいて、その場所の太鼓を使うので、鹿島の森だけ違う音の太鼓をたたく。秋の祭りの時に最後の神社の奉納で行う「あげ獅子」まで時間がある時、バス停のロータリーのところで、獅子舞で遊ぶ。ドンドンドンとワンフレーズの動作で何度も繰り返したり、バスに一瞬乗って少しだけ獅子舞をしたりということもある。漁船パレードが秋に開かれ、港祭りと呼ばれていたものが秋の例大祭になった。太鼓は船の上に乗せて大漁旗がはためく中、パレードをする。この船には獅子舞はのせない。これは10月の大聖寺の十万石祭りの時期に行う。

獅子舞の寝る行為のところは「チャリ」という呼び名がつけられている。「チャリあるぞ」というと、祝儀が1万円くらいの場合だ。太鼓に対して獅子の動きのアプローチの動作が2パターンあり、「両チャリ」というと祝儀が3万円くらいの場合にやる。肩で合図したりABCで合図したりなどで何の演目をするかを伝えていく。祝儀をどこからいくらもらったという書き出しはしない。500円玉の時もあれば、おばあちゃん1人の場合は商品券を渡してくれる時もある。

高校生以下で獅子舞の担い手として参加してくれた場合は、飲み会に参加できないため、寿司折りやお金を渡す。大人は飲み会でコンパニオンを呼んだり、昼間に回ったスナックで夜にどんちゃん騒ぎをすることもあった。春は当日に打ち上げ、秋は一ヶ月も経たないうちにどこかのお店を貸し切りにしてコンパニオンを呼ぶか、公民館でピザを頼んで獅子頭の新調に向けて節約をするという流れだった。昔はソフトコンパニオンを呼ぶ事もあったが、今は普通のお酒を注いでもらうコンパニオンを呼ぶくらいで、おとなしくなった印象だ。喧嘩もしなくなった印象がある。世代なりの楽しみ方で、獅子舞は受け継がれている。