【2021年9~11月】石川県加賀市 獅子舞取材 三木町(追加)

10月30日

16:00~ 三木町

地域住民の西本清治さん(昭和14年生まれ)に獅子舞のお話を伺った。獅子舞の始まりは、能登から木こりさんが来て、永井町に住んで仕事をしながら、永井町、奥谷町、三木町の3町のそれぞれに獅子舞を伝えたことに始まる。その頃の集落はお互いに対抗意識があったので、一緒に習いに行くということはなかっただろう。これらの獅子は能登獅子で、人伝いで継承したとはいえ太鼓の音が少し似ている部分がある。おそらく獅子舞を伝えた木こりさんの名前は、宝達志水町出身の清水某さんだ。各町内で動作の格好が少しずつ変わっていったので、今は元の形をそのまま伝えているところはない。もしかすると、橘町は奥谷町経由でこの能登獅子を習った可能性がある。現在、奥谷町、永井町、橘町はいずれも獅子舞が途絶えており、永井町ではすでに獅子頭は焼失して存在しない。この中では三木町のみ、現在でも獅子舞を継承している。これらの獅子舞の始まりに関する話は、西本さんが青年団の時、獅子舞を教えにおいでた60~70くらいの方に教えてもらった。

青年団は16歳で入り25歳で卒業した。人数は20~30人いた。16歳で青年団に入ると、そのうち1名が選抜されて、3年間槍突きを務めた。槍突きは毎年1人選ばれ3年で卒業するため、常に3名が町内で槍突きの役目を務めるという運営体制になっていた。衣装の数が3名分だったということもあり、この人数になった。3年間、槍突きを行った人は、その後蚊帳や笛や太鼓など他の役を務めた。槍突きの選抜について、その時の青年団長が新入りの16歳の中から運動能力など様々なことを考えながら、声を掛けて決める。青年団に所属する人は男子のみで、女子は青年団に入らない。

獅子の舞い方は4つあり、ホウダツ、ムカシ、チュウブル、ヤマジシという名前である。ヤマジシは天狗が登場する獅子ゴロシで、お宮さん(三木神社)、区長、青年団長の3軒のみで舞う。ご祝儀が高いとか、村役をしているとか、神社の世話をしているとかの場合はムカシ、普通はチュウブル、所帯を出た次男坊やご祝儀が低い場合はホウダツを舞った。槍突きは3年目で、ヤマジシやムカシという演目を舞わせてもらえた。60年前ごろ、一番ご祝儀が低い場合は200円で、町内100軒なかったので、ご祝儀は全部合わせても2万円いかないくらいだった。

獅子舞の日程は、今も昔も9月16日だ。神社への奉納の舞いから始まり、区長さん、青年団長を回って、上から順番に回っていく。夕方以降は櫓を建てて、盆踊りをする。その際に、神社の境内に来た人に梨を一個ずつみんなにあげる習慣があった。西本さんの時は梨をプレゼントするというのが獅子舞の後の恒例だったが、時代によってはご祝儀が上がったら旅館に行った時もあったし、飲み食いも多少していた。三木町では収穫感謝の秋祭りだけで、春祭りに関しては3月16日に催事だけ行なっており、獅子舞はしていない。

獅子舞の練習は町民会館ができる前は、松岡さんという方の家の中で祭りの1ヵ月前くらいから行っていた。祭りの日のお昼も、松岡さんの家の中で食べた。町の中でちょうど真ん中あたりに位置していた家だったので、人が集まりやすかったということもあっただろう。今この家はなく、獅子舞の練習は町民会館で行うように変わっている。

獅子頭は2つ残されており、新しいものは白山市の鶴来で作ってもらった。古い方はどこで作ってもらったのかよくわからない。獅子頭の修繕については、加賀市山中で漆を塗ってもらったことがある。

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