【2021年9~11月】石川県加賀市 獅子舞取材 大聖寺田原町・大聖寺八間道(追加)

10月29日

16:00~ 大聖寺田原町

区長の西谷伸一さんと、直谷さんの自宅の倉庫にお伺いして獅子頭の撮影をした。同行は山口美幸さん。直谷さんの自宅の倉庫は敷地面積が広く、獅子舞の道具始め町内の資料がまとめて保管されている。この地域に公民館はない。獅子頭が保管されているのかわからないとのことだったが、実際に保管されていたので、感動的な再会だった。昔は「チロリ」というお店があったところに倉庫が立っていて、そこに獅子頭が保管されていたが、その後に家が建ってしまったので、獅子頭がどこにあるのか?という話になっていた。獅子頭は直方体の形をした箱に入っており、子供獅子を入れるには少し大きすぎる箱だったので、もしかしたら大人獅子が昔入っていた可能性がある。ただ、小道具を入れるスペースを作っていた可能性もあるということだろうか..。尻尾が獅子頭とともに箱に入れられていた。箱には、「清雲作」と書かれているので、白山市鶴来の知田工房で作られたものだろう。獅子頭は新品同様にピカピカ光っていたが、鼻の頭のところだけ少し擦れた傷があった。獅子頭の新調からあまり年数が経たないまま、獅子舞が途絶えたのだろう。

獅子舞は昭和45年(50年前)ごろから昭和55年(40年前)ごろには獅子舞を少なくともやっていた。子供獅子だった。最初は小学生の男子が獅子舞をやって女子は着物を着て付いて歩くということをしていた。しかし、人が少なくなって女子が笛を吹くようになった。その時は少なくとも、中学生までは獅子舞をやっていた。大聖寺田原町という地番をもつ家は少ないが、行政区では大聖寺東町や大聖寺南町なども入ってくるので田原町に属していると言う家も多い。つまり大聖寺東町の獅子舞というものを含めて、大聖寺田原町の獅子舞の実態を探っていく必要がある。

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16:30~ 大聖寺八間道

地域住民の平岡久秀さん(平成20年度区長)にお話を伺った。同行は山口美幸さん。獅子舞は中学卒業した62.3年前ごろには行っていた。ただ、その後2~3年で獅子舞をしなくなった。若い人がいなくなったからだ。青年団も太鼓も獅子舞もすーっとなくなった。太鼓は好きだから、自分で竹のバチだけ作って、昔使っていた太鼓を鳴らすということをたまにしていた。その後、獅子頭は区長の持ち回りとなったが、家の作りが小さくなったのか、なかなか保管ができなくなった。それで、最終的に平成13年に江沼神社の旧拝殿の裏側に倉庫を建てて、区長さんと江沼神社の宮司さんで、鍵を2つもって管理することにした。平成20年にはそこで獅子頭の保管を始めた。

平岡さんが町内に来る前には、大人獅子と子供獅子が同時に行われていた。お金持ちも多い地域だったので、2つの獅子頭を使っていたのだ。八間もあった幅の広い道(八間道の町名の由来)に行政関係の人が住み、とても綺麗な小学校がある地域だった。ただし、最後の方には、大人獅子のみになっていた。大人獅子は獅子4人、太鼓2人という構成で、棒振りと笛はなかった。大人の法被もあった。中学生はいなくて、高校生以上の人が青年団に所属していた。最後の方には、青年団が5~6人しかいなくて、ギリギリの状況で獅子舞を行っていた。

獅子舞の練習は江沼神社や小学校で練習を行った。練習の時は音を大きくすると近所迷惑になるので、太鼓の上に綿の入っていない布を置いて音を抑えながら練習をしていた。繁華街である大聖寺八間道ならではの工夫と言えるだろう。

獅子舞は桜まつりの前日である4月15日に町内を回り、16日に他の町内の本陣も回るという流れだった。前日の朝は8時ごろから区長さんの家から舞い始めた。リヤカーに太鼓や獅子頭を乗せて、家々を回っていった。お昼は町内の道で座って食べた。町内を回っていると、お酒や食べ物などをくれるような家もあった。獅子舞が終わった後は、夜ご飯として魚が食べられる料亭で座敷に入って刺身を食べた。

桜まつりの当日は、加賀神明宮(山下神社)から今の山口の薬屋のところまで、ダーっと屋台が並んでいた。屋台が並ぶからこそ、町内の各家は祭りの前日に舞うのが恒例だった。祭りの当日は、大聖寺京町や本町、中町あたりの本陣を回った。また、大聖寺八間道にある江沼神社の祭礼では獅子を舞わず、加賀神明宮の桜まつりのみで獅子を舞った。ただし、江沼神社に配慮するためか、加賀神明宮に奉納の獅子舞をしに行くということはなかった。

獅子舞の舞い方は、スッタンタンスッタンタンと足を出してリズムをとるような獅子だった。デコデンデコデンと太鼓を鳴らして、それで獅子が起き上がって、自分の足をパクパクしてノミをとるような動作もあった。口を開けてわーっとして終わりとなった。昔は蚊帳に竹を通して蚊帳の中に入ったが、最後の方には竹を使わなくなっていた。大聖寺の中には、おそらくこの八間道のような舞い方をする獅子は多いだろう。