【2021年9~11月】石川県加賀市 獅子舞取材 番外編(水田丸町・永井町・大聖寺馬場町・大聖寺十一町・大聖寺金子町・大聖寺木呂場町・山中温泉四十九院町)

獅子頭がないことの証明というのは非常に難しい。過去に獅子舞をしていたという記録はあり、獅子舞をしたことがあると言う人もいる。しかし、肝心の獅子頭がもうなくなってしまっている。モノがないので、獅子舞の祭りが行われていた物的証拠が何もない。そういう地域を紹介しておきたい。

 

大聖寺金子町・大聖寺木呂場町

どちらの町も大聖寺の菅生町とのつながりが深い。結論としては、獅子舞をしていたけれども、他町の獅子舞の担い手を務めていただけであって、自分たちの町に独自の獅子舞を持ってはいなかったという結論に至った。そのため、当然町で獅子頭保有してないと言うわけである。それが分かったのが、2021年10月22日の大聖寺の突撃訪問の時だ。知り合いゼロだったので、大聖寺出身の山口美幸さんと車のある家で、ご年配の方が住んでそうな家をピンポンを押して聞いて回ると言うことを繰り返し、どちらも80前後の長老に巡り合ったが、結局町内に獅子舞はなかったということになった。大聖寺木呂場町の野田さんは建築関連のお仕事をされており、大聖寺木呂場町は昔から川が溢れても水に浸からない町だと言うことを教えて頂いたほか、立派な建築模型まで見せて頂いた。また、車で回っていくことで、金子町・木呂場町ともに道が狭くて入り組んでいると言う特徴があることを知れた。なかなか獅子を舞わすにもスペースが狭いようにも思えた。町の特色が見えてきた面白い取材だった。昭和63年の石川県の獅子舞緊急調査報告書によれば、大聖寺金子町・木呂場町は大聖寺菅生町とともに獅子を舞ったと言う歴史があるが、昭和37年から獅子舞を休止しており復活困難になったとの記述がある。

 

大聖寺十一町

獅子舞及び獅子頭を見たことがあると言う町民が1人も見当たらなかった。そこで、獅子頭は無しと結論づけられた。2021年10月22日午後、町内の空書店の方にお話を伺って、その獅子舞をしていたと言う記憶はないとのこと。また、その隣町である大聖寺一本橋町にお住いの細川晶子さん(85)が隣町に獅子舞が行われているのは見たことがないとおっしゃっていたこともあり、さらに獅子舞に関する調査は困難なことが分かった。昭和63年の石川県の獅子舞緊急調査報告書によれば、昭和45年(1970年)に獅子舞が途絶えたと言うことで、今から50年ほど前の話なので、70~80歳くらいの地元出身者であれば、獅子舞のことを知ってそうな方がいてもおかしくはない。しかし、そのような方は現在、見つかっていない。

 

永井町

2021年10月22日の12時ごろ、元区長の中村さんにお電話をさせていただいた。永井町にはなぜか神社が2つある。それが、白山神社と箱多満里神社の2つである。このうち、箱多満里神社の社務所獅子頭が保管されているのでは?という情報を得た。そこで後日、獅子頭を調べていただいたところ既にもう無くなっており、獅子頭を燃やしたと言う町の記録が発見された 。それで、最終的には獅子舞はしていたけど獅子頭はないということで結論が出た。昭和63年の石川県の獅子舞緊急調査報告書によれば、昭和50年(1975年)に獅子舞が途絶えたようで、獅子頭を燃やしたのはいつの話なのかよくわからない。

 

水田丸町

2021年11月8日の15時から、獅子舞の調査のため、歩きながら地域住民5人ほどにお話を伺った。獅子頭が燃えたという事実は確認できたが、どこで誰が燃やしたのか、または燃えたのか、そこらへんがよく分からなかった。85歳の生まれ育ちがこの地域の方で、しかも区長を務めたご経験のある方でも獅子舞についてご存知ではなかった。少なくとも70年前にはすでに獅子舞が途絶えていたことがわかる。また、以前の電話では、獅子頭が火事で燃えたと言う話もあった。自然焼失かもしれない。その詳細は不明である。昭和63年の石川県の獅子舞緊急調査報告書によれば、水田丸町には獅子舞がなかったことになっている。しかし、これが間違いであることは明らかだ。獅子舞自体はあったがそれがいつの話なのかはわからないというのが正解だろう。

 

大聖寺馬場町

2021年11月9日の17時ごろ、以前突撃訪問をしていただいた地域住民の石川さんを再訪した。三谷さんしかそのことはわからないとのことで、山中温泉の旅館「胡蝶」の会長である三谷さん(88)の息子さん(58)に胡蝶経由でお電話を繋いでいただき、お話を聞かせていただいた。息子さんは会長さんに聞いた獅子舞関連のことを電話越しで教えてくださった。三谷家は昔、聖城高校前で撚糸工場を営んでいたがそれを閉めて30~40年が経った。大聖寺馬場町は公民館も神社もない地域である。昔はその撚糸工場に獅子頭を保管していたようだが、今ではそこに新興住宅が建っている。三谷家も今は旅館業を営む山中温泉に引っ越しをした。そういう経緯があり、獅子頭がどこにあるのかよくわからない状況である。おそらく処分してしまったのだろう。獅子舞といえば大聖寺錦町や今出町で行っていたという印象が強く、既に58歳の息子さんが子供の時には獅子舞を実施していなかった。88歳の会長さんが獅子舞の写真をかつて飾っていたが、その写真も今ではどこにあるのかよくわからなくなっている。今、会長さんは体も弱ってしまっていてお会いしてお話しできる状態ではないとのこと。そこで、今回大聖寺馬場町の獅子舞に関しては、獅子頭なしという事で結論づけるしかなかった。昭和63年の獅子舞緊急調査報告書によれば、昭和45年(1970年)まで獅子舞をしていたという記載がある。

 

山中温泉四十九院

11月15日(月)に山中温泉四十九院町に獅子頭があったのでは?という話が出てきた。友人から以下のような資料を見せてもらったのである。山中町民俗資料調査委員会が平成2年6月1日に発行した資料だ。この記述によれば、町内の白山神社にて、一対の獅子頭が大切に保存されているという。この真相を確かめるべく、次の日に山中区長の林康男さん(70)に電話でご連絡させていただいたところ、ご丁寧にお返事いただいた。約20年ほど前からのぼり旗は上げていない。区長をもう3年勤めているが、最初の1年目、つまり25.6年には獅子頭は無かった。獅子を舞っていたという記憶はない。獅子舞を経験したことがあるという人も聞いたことがないとのこと。つまり、資料と林さんの話を総合するに、平成2年(1990年)から25年前である平成8年(1996年)までの間に獅子頭があった可能性が高いというわけだ。どこかにあるのではないか?と思えてきて、11月18日(木)に山中温泉四十九院町の町内を歩いて周り、家の外に出ておられた町民何人かに聞いて回ったが、獅子舞をしていた事実も獅子頭があるという話も聞かなかった。最終的にはたこ焼きの「たこはな」というお店で聞いてみたが、そこで従業員をされている林さんに遭遇。柿をいただいた上、「神社の長持をもう一度調べてみる」とおっしゃっていただいた。それで、調べていただいて、後日携帯のSMSメールにいただいたお返事によれば、獅子頭はなかったとのこと。本当に短い期間保管されていたか、途中で個人よ流になったか、放ってしまったのか。何れにしてもその真相は定かではない。獅子舞をしていたのをみたことがないという町民の証言から推測するに、一対の獅子頭というのは飾り獅子だった可能性もある。また、滝町のお宮さんは燃えて、幟旗や剣旗が四十九院町に受け継がれたというので、その時に一緒に獅子頭が受け継がれたという可能性は否めない。

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ps. ちなみに獅子舞調査には次のような段階があると思っている。このような全体像が見えてきたので、共有しておきたい。石川県加賀市には281町があり、それを獅子舞分布の点から区分けしてみると、以下のような結果が得られた。

①獅子舞を現在実施しており、獅子頭も当然ある(87町)

②獅子舞は途絶えたが、獅子頭は保管されている(40町)

③獅子舞は途絶え、獅子頭もなくなった(6町)

④獅子舞をしていないし、獅子頭も当然ない(148町)

 

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▼水田丸町の中心にある鹿島神社。かつてこの地を舞台として、獅子舞が行われていたはずだが、それがいつ頃のことだったのだろうか?依然として謎は深い。

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