【2021年9~11月】石川県加賀市 獅子舞取材 南郷町・大聖寺東横町

10月4日

11:00~ 南郷町

南郷町民館の事務員の江村直美さんにお話を伺った。同行は山口美幸さん。獅子舞の祭りは3月と8月下旬に実施している。2020年の春からは獅子舞ができていなかったが、2021年の春・秋と獅子舞をやらせてくれということで青年団が申し出たので、祭りはなかったのだが獅子舞のみ行なった。秋は町内190軒あるうちの90軒ほど回ることができた。通常は空き家と喪中のところ以外は全ての家を回るのだが、今回はコロナに配慮して申し出のある家のみを回った。回覧板の名簿を回して、獅子舞来て欲しいというところは名前に丸をつける形にして、丸がついたところだけ獅子舞が回る形とした。青年団のワクチン接種までは確認しなかったが、お酒を飲むことはなく、消毒液を持って歩き、蚊帳の中の人もマスクをして実施。区長さんはどうしてもというのならということで獅子舞の実施を許可した。普段は本物の木を使って幟(のぼり)を神社の前でクレーンを使いながら立てて、そこに神が舞い降りて奉納の舞いから始めるというのが伝統なのだが、今回は人数がたくさんが必要になってしまうので、幟を立てることはできなかった。それでも、獅子舞は実施できた。

獅子舞のご祝儀は3000円くらいが平均で、大体町内で相場が決まっている。子供会の小学生は、子供神輿をしている。小学生のような子供は、獅子舞には絡まない。子供神輿は秋だけで、獅子舞は春も秋もやるということになっている。また、女性も昔は青年団に入っていたこともあり、輪踊りをやって、南郷地区内の色んな地域に踊りに行ったこともあった。田植え前と刈り取り後という形である。秋は基本、祭りの日が8月25日になる場合が多く、それより日程を早めると農業をしている方々の繁忙期と重なってしまう。

現在は太鼓と獅子で行なっているが、以前の獅子舞の形態はよくわからない。現在、若い人が少ないので、人を集めるのが大変だということもあり、少しずつ舞い方も変わっている。南郷小学校の子どもの人数は現在47人である。幟に比べれば、獅子は云われはないということであまり獅子に注目する地域の人は少ない。20年に一度くらいのスパンで獅子を新調している。

獅子舞を始める八幡神社は、白山神社などのいくつかの神社を合祀する形でできた。これは元南郷城の城址跡で、大聖寺藩最後の砦となったお城である。御水(おすい)という大聖寺のお城まで繋がっていた用水は農業用に活用されている。農業の生産組合の管理がどこまで管理なのかわからない。南郷地区は中代町、保賀町が山代小学校校区になったことなどもあり、行政区が複雑になっているという特徴がある。昔は紡績工場「帝国繊維」もあって、その労働者が大量に住んでいた。紡績工場の労働者が娯楽として獅子舞を始めた例もあるし、行政区の歴史を紐解くと獅子舞の歴史にも繋がることもあり、念の為確認をさせていただいた。実際、獅子舞の始まりなどの歴史はよくわからない。

 

12:15~ 大聖寺東横町

区長の谷本佳隆さんと地域の歴史についてお詳しいナカジマさん(匿名)にお話を伺った。獅子頭は2つあり、大人獅子(雌獅子)と子ども獅子(雄獅子)がある。大人獅子は他町に比べても比較的サイズが大きく、獅子頭の箱には獅子頭発注の経緯について記されている。昭和25年11月、以前の獅子頭が50年余り経過して朽ちたために新調することが決まり富山県井波の今井徳造氏に発注、翌昭和26年4月に完成したという。それとともに昭和26年に蚊帳も大聖寺弓町の谷本染物店によって調製されたようだ。子供獅子について、新調された年は昭和39年と獅子頭の裏側に書かれており、獅子頭の箱には制作者の名前として富山県井波の今井幸太郎氏のお名前が書かれている。また、この獅子頭を修理した年について、「昭和53年6月17日 修理(田中)」「平成7年1月25日 修理(田中)」の文字がある。この街の獅子舞は平成の始めにはもう途絶えていたようなので、平成7年に関しては、獅子舞をやっていないけど壊れてしまっているから直そうという意図で修理したものと考えられる。

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大聖寺東横町の獅子舞の始まりは、大聖寺永町から舞い方から太鼓の叩き方から様々なことを習った。現在残っている大人獅子の始まりは戦後すぐ(上記の通り昭和26年)で、昭和37.8年が大人獅子の最後の年だった。つまり、大人獅子は10年ちょっとしか開催できなかった。この時、獅子舞の担い手は30人を超えており、町が青年団に獅子舞の運営を委託していた。大工、石屋、茶碗の絵師、漆職人など職人がもともと多く住む町で、戦争の疎開などでたくさんの人に部屋を貸して住まわせていたので、戦後は人が多くすんでいたのだ。この時、青年団は学校を卒業して仕事を始めた15~16歳くらいから30歳までが所属していた。

しかし最終的には、獅子舞は子供に教えていこうということになった。その後、昭和39年に小さな獅子頭が新調され、子供獅子が始まった。これは区長の谷本さんが3歳くらいの時の話だ。青年団の人が舞い方を変えずに子供に獅子舞を教えた。

獅子舞は大人獅子・子供獅子ともに、4月の桜まつりの日の2日間で行われた。加賀神明宮の奉納の獅子をしてから、町内には不動明王が祀られており、そこも奉納して、その後区役かそうでないかは関係なしに町内を順番に一軒一軒を回る形で行われた。他の大聖寺の町の個人商店や本陣や郵便局などにも舞いに行った。祭りの最後には輪踊りが行われたので、様々な人がこの町に訪れており、夜店もたくさん並んでいた。また、桜まつりとは別に、町内の不動明王の祭りが7月末にあるが、そこでは獅子舞は行われない。大聖寺東横町の子供獅子は少なくとも平成の始めには途絶えてしまった。25年前ごろに1回獅子を神輿につけて回ったことがあり、その時一回だけ復活したが、それ以来、獅子舞はできていない。