【2021年9~11月】石川県加賀市 獅子舞取材 熊坂町(追加)

2021年10月31日

16:00~ 熊坂町

熊坂町といえば、7つの集落(大同、花房(ケブソ)、吉岡、庄司谷、畑岡、北原、石坂)と神社が存在するということで、そこに昔、獅子舞がそれぞれ継承されていたのか?をテーマとして聞き取り調査を行った。現在は1つの青年団が庄司谷という集落を起点として、熊坂青年団の1つの獅子舞を持っているのみだ。そこで、地域住民に山口美幸さんの同行のもとで、突撃インタビューを実施した。

青年団を経験したことのある角谷直樹さん(49)に、25年前ごろの獅子舞のお話を伺った。高校卒業して18歳から25歳まで青年団を務めた。祭りは収穫感謝のお祭りで、朝5時に庄司谷の集落の神社の奉納の舞いから始まり町内を回り、その後、花房(けぶそ)の神社とその町内、吉岡の神社とその町内、畑岡の神社とその町内、北原の神社とその町内などという風に、5つの集落を順々に回っていった。早い時は夕方18時ごろに回り終えたが、遅い時は夜の20時まで回ったこともあり、青年団の担い手が少ない時はとにかく時間がかかった。お昼は町内に食事を摂るお店があった時はそこで食べていたが、最近は町民会館で食べるようになった。基本的に祭りは1日完結だが、祭りを土曜日でやった時にはその前の平日の金曜日に、大同工業などの企業に獅子舞を舞いに行ったこともある。ということは、少なくとも金曜日に仕事のお休みを取らねばならなかった人もいた。

獅子舞の種類は太鼓2人と獅子4人で、舞い方は1種類である。蚊帳はとても長いのが特徴である。寝た状態から始まり、太鼓の動きで起こされて、最後は動き回るような動作で終える。練習はお盆明けからしていたが、新しく入ってくる人がいない年は、祭りの1週間前から始めた。青年団をしていた時、人数は7人だった。県外にいる人が祭りのタイミングで帰ってくるということもあった。集落を回る範囲が広いが、担い手や小道具を運ぶのは軽トラックだった。獅子頭は現在、2つ保管されている。

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地域住民の宮本一幸さん(88)に青年団だった頃のお話を伺った。熊坂町には当時から大同工業という大企業があり、近隣の雇用先として一番大きいところだったため、当時としてはかなり裕福な町だった。ご祝儀の額はものすごくて、何十万円もの額が集まってきた。青年団の役についている人は、1軒あたり、1万円をだすのが普通だった。宮本さんが青年団長だった25歳の頃の話である。その頃から、祭りの獅子舞は一体だけで、今と同じように庄司谷から舞い始めた。

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最終的には、7つの集落と神社にそれぞれ獅子舞が継承されていたという事実を確認することはできなかった。もしこのような事実があるとしたら、江戸時代以前の話かもしれない。ただ、地域住民の山下久美子さんによれば、昔は5つの集落(花房、吉岡、庄司谷、畑岡、北原)の各神社で祭りの当日に輪踊りを実施しており、獅子舞を実施したあとは各集落ごとに神社で輪踊りをするという流れだった。昭和30年代ごろにこの地域に嫁に来てから、この輪踊りが廃れてしまっている状況だったが、婦人会でそれを立て直したことがある。演目としては、越中おわら、佐渡おけさ、じょんがらなどの踊りを行っていた。