稲村行真 Yukimasa Inamura ブログ「旅してみんか」

「伝統文化の魅力」を広めています。日本の伝統的な木造建築の古民家とその街並み、山奥の少数民族の村、過疎地どこでもフットワーク軽く旅をしております。

台湾原住民の村「福山部落」を訪問、日本と台湾の繋がりを考える

台湾 桃園-烏來100km徒歩「日本人探し旅」のゴールが11月23日。翌日、24日は台湾の原住民文化が色濃く残る「福山部落」という場所を訪れた。徒歩の旅のオーガナイザー・メットさんに連れて行ってもらい、大学が同じで台湾在住の小山さんとともに、福山の豊かな暮らしと素晴らしい伝統文化に触れることができた記録をここに残しておく。

 

福山部落は、地理的には徒歩の旅のゴール地点「烏來」のさらに奥、道路の最終地点である。そこでは、自然と共存する人々の姿と、伝統文化、日本統治時代の面影や西洋人の進出による異文化の需要といった過疎地特有のテーマを深く考える絶好の機会となった。

 

f:id:ina-tabi:20191202124321j:plain

 福山に向かう道路の途中、烏來の手前で、桂山発電所という場所に立ち寄った。ここは、日本統治時代にできた台湾で2番目に古い発電所である。日本のインフラ整備は急速に進み、この地域一帯に電力を供給した。そして、この地域開発とともに出てきたのが、台湾原住民との領土問題である。今回の徒歩の旅は、「台湾原住民と旧日本政府の領土の境界」を歩くというコンセプトで行われた。その中で、この発電所付近も境界線が張られていたという。台湾原住民は首狩りをする風習があり、それを恐れた日本政府はこの地に電気柵を設けた。上記写真の対岸あたりに作られたそうだ。

 

f:id:ina-tabi:20191202125345j:plain

福山の村に入る前に、僕らは烏來で台湾原住民の食事をいただいた。葉に包まれたおこわのようなご飯や川魚などを食べて、素朴な味に感激した。これぞ、自然の味だ。この地域の狩りについて研究をしているメットさんによれば、この周辺に住む原住民であるタイヤル族は、犬を連れて狩りをするという。罠をかけて、獣を仕留めるのが主流のようだ。夏は痩せているので、冬に狩るのが良いと言われており、なるほど雪の降らない地域ならではだと感じた。

 

また、原住民のタイヤル族はクマを狩って食べないという。大昔、クマは黒かったが、他の地球上のほとんどは白かったらしい。クマは絵が得意で、地球上の様々なものに絵を描いて色をつけていったらしいが、肝心の自分に色をつけた動物達がどうやら絵が下手だったらしく、自分をなんと黒く塗ってしまったのだとか。タイヤル族の人々は、クマを聖なる動物であり神の使いと考え、狩ることはしないらしい。もし狩れば、先祖に罰せられると考える。また、狩りの話だと男女間のタブーも存在して、例えばタイヤル族は男が狩りをするが、他地域の台湾原住民であるアミ族では女でも狩りができるようだ。アミ族では、タイヤル族と違って首狩がないらしいが、女性への尊重がないと激怒するようで恐ろしい争いに発展したこともあるという。

 

またメットさんによれば、この地域とは関係がないが中国の福建省のとある村の農業コミュニティでは、9月から1月まで仕事をしないで祭りをして暮らすという話もしてくれた。ポイントは米がお金になり、田植えから収穫まで済ませればお金になることと、土地を貸すビジネスによって不労所得が生まれるからなのだとか。なるほどなるほど。
 

f:id:ina-tabi:20191202130124j:plain

それにしても、台湾のメニュー表はカラフルだ。日本人の色彩感覚だとこういう色遣いはないだろう。おそらく台湾の色彩感覚は陰陽五行説に基づくもので、全方位を色と関連づけるところがあるので、寺院やら獅子舞やら、こういう日常生活に色が溢れているのではないか。

 

f:id:ina-tabi:20191202131121j:plain

それから、福山部落に車で向かった。道を犬が塞いで通せんぼをしてきたので、1分くらい待つ。本当に車が来ないような過疎の村というのは、飼い犬も穏やかである。車の中では、本当にたくさんの話を聞くことができた。今では変哲もない道も、昔は日本政府と首狩をする原住民との衝突の場であったわけである。しかも、漢人と日本政府との対立もあったというから、この問題には収拾がつかなくて大変だっただろう。

 

f:id:ina-tabi:20191202135516j:plain

 突如、出現したのが「瞭望台(リャオワンタイ)」と呼ばれる見晴台だ。敵方や獣などの見張り台に使った台湾の独自の建築である。竹を多用して作られているようだ。

 

f:id:ina-tabi:20191202131742j:plain

福山という部落は、その名の通り「福山」という山の麓に存在している集落である。おそらく人口は数百人ほどであろう。上から見てみるとよくわかるが、家の形がバラバラである。ここには、台湾原住民の文化が息づきながら、日本政府が原住民向けの学校を建設してそれが残っていたり、キリスト教の教会があったりと、様々な文化が共存している稀有な場所なのである。

 

f:id:ina-tabi:20191202132655j:plain

さて、では集落の中の様子についてご紹介していく。まず、このドラム缶のようなものは、何の機能も持たないらしい。「飾り」として集落の道に置きっぱなしにしているのだとか。描かれている菱形はタイヤル族特有のマークで「先祖の目」が見守っていることを表すという。

 

f:id:ina-tabi:20191202134413j:plain

桜の木が植えられていることには驚いた。日本人がこの地に関わっていた証拠だろう。

 

f:id:ina-tabi:20191202134539j:plain

日本人といえば、この村唯一の小学校を整備したのも日本人。タイヤル族の文化には、青を使うという習慣がないらしく、それを教育機関に使ってしまったのはいささか複雑な心境の人もいるという。それにしても、彩り豊かな小学校である。日本政府はこの原住民学校を整備した他、日本学校と一般学校もその他の地域に配置したと言われている。日本の皇民化教育を進めた一方で、原住民文化を尊重しなければならないという狭間で、日本政府は苦労したことだろう。

 

f:id:ina-tabi:20191202134845j:plain

トイレの壁面などには、トーテムのような木彫りの彫刻がある。縄文人を思わせる顔の濃ゆさである。額や顎に刺青があるのは、タイヤル族の風習だ。タイヤル族には、「gaga」という規則があるようで、それに基づいて刺青が行われる。

 

f:id:ina-tabi:20191202135845j:plain

また、こちらの水路を整備したのも日本人だ。今から約100年前に上下水道を村の中に作ろうという構想が持ち上がり、村の上部から下部に向けて位置エネルギーを利用して作ったこの設備のことを「自来水(じらいらいすい)」という。清朝時代も灌漑のような簡易的なものはあったが、やはり日本はインフラ整備に大きな投資をしたようだ。日本政府は台湾原住民との交渉を行い、日本がこの設備を提供する代わりに、原住民がモノを献上するという契約を交わしたとのこと。今では、この水路は台湾の人々によって上記写真のように維持管理されている。

 

f:id:ina-tabi:20191202140457j:plain

そのほかに、怖い犬が出ると噂のこの派出所を作ったのも日本人。日本政府警察は、清朝の統治時代と異なる政策を進めており、この派出所の業務の中には「集落資料作成」というものが存在した。集落の人々がいつ狩りにいって何を取ってきたかとか、集落の出来事を詳細に記録するということをしたようだ。この「集落把握」という作業のために、この警察署は村の一番高い所付近に建てられている。

 

f:id:ina-tabi:20191202141537j:plain

一方で、村の中には日本政府と関係のない西洋文化であるキリスト教の教会(2軒)やマリア像が見られた。これは、「漢族」と自分たちは異なる民族だという台湾特有の民族意識が大きく関わっている。まずはキリスト教徒が食べ物をこの地に持ち込んだことにより、文化の接触が生まれ、プロテスタントカトリックが入ってきた。そこに、漢人と同じものを信じたくないという意識が生まれ、中国と近い文化以外に、キリスト教を受容しようという動きが生まれたようである。面白いのは、日本でいう神仏習合のごとく、このキリスト教タイヤル族の信仰が混ざり合わなかったことで、それぞれ独立して存在しているようだ。漢人だと「天帝教」のように、キリスト教と自国の信仰を融合させた宗教が存在するが、それがないというのは特筆すべき点である。

 

f:id:ina-tabi:20191202141429j:plain

これは、村を後にする直前に発見した壁絵。この村には古くから先祖代々どのような人物がいたか名前を遡れる歌が存在するといい、それを遡って親戚でなければ、結婚が認められるらしい。多くの場合は、村の男が他の村から花嫁を椅子に座らせ担ぎあげ、山道を歩き村に迎え入れるという習慣があるようだ。この村にはアーティストが住んでいて、他にも村の各所でタイヤル族の信仰にまつわる壁絵を描いているのだという。例えば、「男女足を交差して踊る様子」とか「笛を吹いているときの様子」など、人間の行為に関わる絵が多く見られた。

 

f:id:ina-tabi:20191202133201j:plain

 僕らは2~3時間の滞在後、村を出た。そして、帰りに烏來近くの狩人が経営するカフェに立ち寄った。あいにく狩人夫妻はご不在だったが、おしゃれなタイヤル族の伝統工芸に見とれた。このカフェでは、台湾在住の小山さんに、日本と台湾との違いについて尋ねてみた。

 

・化粧が短い台湾、長い日本。

・人との距離が近い台湾、遠い日本。

・娯楽が少ない台湾、多い日本。

 

などのキーワードが見えてきた。3つ目に関して、台湾はとりわけ遊園地やショッピングなど娯楽が少ない。一方、恋愛にかける時間も長く尽くす男が多いとか、海外への観光に目がいく人が多いという事実もあることをお話されていた。今日はメットさんと小山さん、本当にありがとうございました。メットさんの案内と、小山さんの通訳によって、台湾文化や日本との繋がりについてかなり理解が深まった1日でした。

 

f:id:ina-tabi:20191202143348j:plain

最後に福山から車で台北へ帰る時に見た、烏來の大滝と虹。タイヤル族の伝説によれば、人は死ぬと虹の橋を渡り、雲の向こうに行ってしまうという。カラフルな虹の先に死後の世界を想像するという発想力の豊かさに驚かされる。自然に対する畏怖の念と、深い森や滝、川や海の先あるものに対する想像と信仰はここでも世界各地と変わらず存在していた。

 

 

***************

こちら、日本統治時代のことについてよくわかる映画をメットさんに紹介していただいた。「セデック・バレ」という作品。

www.youtube.com

 

 福山部落の場所はこちら。

 

2019年11月21日~23日に開催した、台湾 桃園-烏來100km徒歩「日本人探し旅」の1日目の様子はこちら。

ina-tabi.hatenablog.com