秋田県「本海獅子舞番楽」を取材!洗練された所作の先に、八幡信仰など全国の獅子舞のルーツを見た

本当にあの山奥の憧れの獅子舞を見られるのだろうか。2023年1月2日早朝。僕は山形県酒田駅に立ち尽くした。昨日の能登半島地震の影響で、電車もバスも動いていない。パソコンに「羽後本荘」の文字をでかでかと書き記し、ヒッチハイクをしていたが、なかなかつかまらない。仕方がないので、朝8時からかろうじてレンタカー屋が空くらしいので、駆け込んだ。車で1時間半ちょっとの道のりを急いだ。山奥に続く道からはそびえ立つ鳥海山の雲を被った雪景色が美しい。あの山の麓で祈り、受け継がれてきたのが、秋田県由利本荘市の本海獅子舞番楽である。

今回、公演が行われたのは、「まいーれ」という施設。由利本荘市の民俗芸能伝承館である。入場料は五百円。受付で取材許可証をいただき中に入ると、およそ50名ほどの客席は満員になろうとしていた。取材陣は、地元のテレビ局や秋田魁新報などの記者さんたち。東京から国立劇場の方が来ていた他は、基本地元の方が訪れていたような感じだった。

スケジュールとしては、午前10時から開始してお昼前までの2時間ほどだった。流れとしては以下の演目の通りである。

祓い獅子(猿倉講中)

鳥舞(前ノ沢講中)

三番叟(二階講中)

三人立(猿倉講中)

<休憩>

祓い獅子(二階講中)※受験生のお祓い

信夫(前ノ沢講中)

やさぎ獅子(猿倉講中)

上記の通り、由利本荘市内の本海獅子舞番楽の3団体が入れ替わり立ち替わり演目を披露していく流れとなった。最初と最後にお祓いをして、獅子舞に始まり獅子舞に終わるという流れだ。

獅子舞は伊勢大神楽などと同じように二人立ちで、獅子の中に入ったり出たりを繰り返す。また、頭を噛むという所作がある。印象的だったのはまず、二階講中の祓い獅子である。背筋がしっかりと伸び、獅子がクルクルと回転したり、歯切れ良い噛み音がカッカッと響いたり、非常に洗練された所作に感じられた。写真に撮っているとどこを撮っても格好良く撮れる。担い手の技術が非常に高いのだろう。

また、獅子舞という点で言えば、最後のやさぎ獅子はとても盛り上がった。子ども2人と大人2人での2頭舞となり、親子同士の共演だったので、そのことが最後にアナウンスされると会場はどよめき、拍手が沸き起こった。今回の最後の演目ということもあり、カメラマンたちも非常に身を乗り出して場所の争奪が始まるような感覚は、とてもこの演目への期待値を感じさせられた。やはり、芸能は親から子への伝承、という側面を改めて大きく感じることとなった。

やさぎと言う言葉の意味について、担い手の方に伺ってみた。「調査書にも記載がなく、自分も色々調べた事がありましたが、ハッキリした事は解らずでした。番楽は獅子にはじまり、獅子で終わると言う言い伝えがあり、昔は幕の後ろで着替えをしていたらしく、やさぎ獅子は『切り上げ獅子』と言われ、最後に番楽幕をまくり上げ、もう着替えもしていないし、何も無いのを見せる意味でまくり上げたと言われております。」とのこと。

猿倉講中の三人立ちは所作が鬼剣舞に似ていたし、信夫というのは神楽の山の神舞に似ていた。諸芸能との関わりをとても感じられた演目の数々だった。

終了後にまいーれの中で行われていた展示を拝見した。本海獅子舞番楽を研究されてきた大御所の方の紹介や、この獅子舞の概要、そして、地元の小学3年生が必修として獅子頭を持って回してみるという授業があるらしく、その写真がたくさん展示されていた。ここでは学校教育にも獅子舞がたくさん取り入れられているようだ。

子どもへの伝承を遊び感覚に

また公演後に、年間10以上の公演を行い、本海獅子舞番楽の代表格とも言える猿倉講中の代表にお話を伺うことができた。

一一今回は何回目のご出演ですか?

4回目ですかね。

一一この公演を通して伝えたいこと、魅せたいものはなんですか?

子ども達に対してという想いがあります。新しい舞の振り付けを覚えてもらって、披露するということですね。

一一年に何回の公演を行うのですか?

昨年は秋田市、東京都など、10公演くらいですね。コロナ前は月一回くらいのペースでした。(地元では)鳥海の獅子祭りや、虫追いという病害虫を祓う行事で披露しています。2年前に子ども達がこの虫追いを見にきてくれたこともあり、それがきっかけで練習に来てくれて、子ども達は一昨年の9月がまいーれでの初舞台でした。今日も子ども達の舞いは拍手喝采でしたね。

一一いやー本当に盛り上がりましたよね!大人と子どもの共演はよくやるのですか?

最近になってからです。もともと大人2頭でやってたのですが、子どもが参加してくれるようになり、大人と子どもで一頭ずつということになりました。

一一東京での公演など、猿倉講中は本海獅子舞番楽の中でもよく代表になるんですか?

うちは若手が多いからですかね。子どもが出ると目が向きやすいということもあります。中学生ぐらいの人は全国に派遣されて舞いに行きましたよ。国立劇場との繋がりもあり、民俗芸能大会に行けたらと考えています。子どもの芸も増やしていきたいです。

一一千葉県から来てるので、ぜひ東京の方でやることがあればぜひ見に行きたいです!

ぜひ!

一一全国で子どもへの芸能継承に困っている団体も多いと思うのですが、その点で工夫されていることはありますか?

親子でたまたま獅子舞を見に来てくれて、太鼓叩いたり、鉦を叩いたり、笛を吹いてみたり、最初からやり方を覚えるのではなく、ひとまず親しんでもらいます。覚えたいけど覚えられないというジレンマがあるんです。だから、入口としては遊びの中でリズムを覚えてもらうということで、猿倉講中はうまくいっているのだと思います。

なるほど、猿倉講中は子どもへの伝え方を遊び感覚にすることで、芸能の継承に成功している団体のようである。

それからレンタカーで再び酒田方面に走らせ、帰路に着いた。途中、青々とした冬空にもっさりとした雪と雲を被った鳥海山が堂々と姿を現した。あの山へ恒久の祈りが捧げられていることを思うと、自分の存在は非常にちっぽけであると改めて感ずる。安全運転で帰れたことにほっとした。そもそも地震の影響で取材できるかもわからないヒヤヒヤした状況だったから、終わってみればとても充実した取材ができて本当に良かった。

総称が「獅子舞」とされた番楽

ここで、本海獅子舞番楽の歴史的な背景などについても触れておこう。

番楽は神楽のことで、このような呼び方をするのは、山形県秋田県の一部のみである。番楽にはさまざまな意味が含まれている。鳥海町の猿倉では「幕を張って番を数えて舞うこと」とされている。番のニュアンスとして、番を重ねるように次から次へと舞っていくという意味がある。ただ、この名称の由来は現在に至るまで詳しくわかってはいない。番楽はアソビと呼ばれていたこともあるという。この事実は先ほどの猿倉講中へのインタビューに出てきた、子どもへの獅子舞継承を遊びから始めるという精神と通ずるような気がする。

また、番楽を総称して昔は獅子舞と呼んでいて、番楽の名称が広く普及したのは江戸時代後期以降とも言われている。逆に言えば、元は獅子舞がとりわけ重要な位置付けの神楽であったということでもあり、この観点から言えば、獅子舞研究をする上でこの番楽というのは非常に重要な意味が含まれているように思われる。

獅子舞伝播の古層「八幡信仰と箕売り」

修験道では、古くは獅子によって祈祷を行うのが、通常だった。鳥海一体の矢島修験の寺坊に獅子舞が付随していたことも記録がある。ここに八幡信仰関連の神社が多く、その信仰の繋がりが見え隠れしている。本海獅子舞番楽の獅子について、猿倉講中が「鳥海山文殊獅子」、前ノ沢講中では名前無しなどを除き、その多くは「八幡様」と読んでいる。興屋講中や猿倉講中などで見られる神宮獅子はもともと石清水八幡宮へ奉納した獅子舞であると言われている。葵祭の日に京都の綾小路を囃し立てた獅子舞を学んだのが神宮獅子だというのだ。神宮獅子の一形態に「這い獅子」というものがあり、臥す(うつぶせになる)所作が見られ、これが似ているようである。ただし、これは直接石清水八幡宮に習ったというよりも、八幡信仰をなかだちとして獅子舞縁起が作成されたという可能性が高いようにも思われる。

また、横岡番楽の伝承の由来にある箕売りが獅子舞を伝播したとの記録が、日本全国の獅子舞伝播の裏話として通ずる背景を感じる。下百宅の文平が箕売りのために仁賀保に出かけて、なかなか帰ってこなくて、その時に横岡の若者に懇願されて獅子舞を教えていたとのことが斎藤七蔵著『獅子舞言立其之他記』(昭和51年)に記されている。この鳥海一帯の地域は出稼ぎの人も多くいたようで、人の移動と交流の下地があったようにも感じられる。

本海獅子舞番楽の特徴

本海獅子舞番楽は秋田県由利本荘市鳥海町の13地区でそれぞれ伝承されている神楽。その13地区は、上百宅(かみももけ)講中、下百宅(しもももけ)講中、上直根(かみひたね)講中、中直根(なかひたね)講中、下直根(しもひたね)講中、前ノ沢講中、猿倉講中、興屋講中、二階講中、天池(あまいけ)講中、八木山(やきやま)講中、平根講中、提鍋(さげなべ)講中である。

この番楽の歴史は、寛永年間(1624~44年)ころに、本海行人(ほんかいぎょうにん)あるいは本海坊と呼ばれる宗教者によって伝授されたと伝えられている。明暦4年(1658年)や元禄15年(1702年)の銘を持つ獅子頭が残されている。当時の舞いと現在の舞いが同内容かはわかっていない。

本海獅子舞や本海番楽と呼ばれることもある。鳥海山を中心とした山岳信仰を背景として、特に獅子舞を重要視した番楽だ。鳥海山は出羽富士、秋田富士などと呼ばれており、日本海を航行する船の目印になったほか、噴火をする活火山として人々の信仰の対象になってきた。

本海獅子舞番楽の一年の活動は、1月に幕開きを行い、9月、11月、12月などに幕納めを行う。いずれも地区内の家に講中の人々が集まり、獅子を拝した後に獅子舞を舞う。各地区の神社祭礼や盆、新築の家の火災除けなどに演じられている。

他の山岳系の獅子舞に比べると動作が激しくて歯打ちが多いという特徴がある。獅子舞の他には、儀式的な舞(先番楽、鳥舞、翁、三番叟)、神の舞(山の神、三人立、剣之舞)、武士舞(信夫、曾我、熊谷、八島)、女舞(若子、鐘巻、橋引、天女)、道化舞(もちつき、番楽太郎)などが存在する。

 

参考文献

月刊文化財『本海獅子舞番楽(新指定の文化財 民俗文化財; 重要無形民俗文化財の指定)』2011年3月, 文化庁監修(570)p6~8

由利本荘市教育委員会『本海番楽ー鳥海山麓に伝わる修験の舞ー』2000年3月