獅子頭の羽を求めてフィリピンまで...地域に愛され繋がれてきた、神奈川県相模原市「鳥屋の獅子舞」を見てきた

神奈川県相模原市は東京都心から1時間でつける田舎。古い民像や風習が今でも残っている。今回、相模原市の観光関連のお仕事をされている八木さんにご紹介いただき、8月12日に鳥屋の獅子舞を見に伺った。橋本駅からは車の移動。現地で見たこと感じたことを振り返りながら、都会に近い田舎の可能性について考えた。

単調な動きは神がかりか?鳥屋の獅子舞

獅子舞は14時には鈴木家にて準備が始まっていた。代々、獅子舞の宿として、準備場所を提供しているお家である。出発前に新旧の獅子頭にナスとキュウリが備えられていたのは興味深かった。これはお盆の習慣であり、行きは馬(キュウリ)に乗って、足早に家族の元に帰ってきて、帰りは牛(ナス)に乗って、ゆっくり帰るという逸話に基づいたものだろう。子どもは未経験でもできるささら役に従事。父獅子、母獅子、小獅子はなかなか小さな子供ができるようなものではないので、大人が主に務めるようだ。

さあ、15時にこの鈴木家から道行が始まった。辻々で太鼓を叩きながら進むような仕草があり、基本的にはただ歩くような道のりも多かった。串川を渡って、513号沿いを進むタイミングで、御囃子の乗った山車やおそらく死者供養の意味がある万灯振りと合流して、諏訪神社を目指した。山車の上にも獅子が乗っていたが、これは唐獅子系の伊勢大神楽を源流とするルーツの異なる獅子である。それから神輿が合流してより一層活気を増して、諏訪神社に到着したのが16時ごろである。

諏訪神社では、御囃子の演奏と神輿の担ぎがラストで盛り上がってから、四方を結界で囲み、藁の敷物を敷いてから鳥屋の獅子舞が始まった。同じような動作がずっと繰り返す獅子舞だったので、途中でセロトニンが増加して世界観に吸い込まれていくような感覚があった。終了後、腰につけた色紙の御幣のようなもの(フサ)は持ち帰って飾ると良いそうだ。

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鳥屋の獅子舞は格式高い「神がかり」の舞い

さすが、神奈川県の無形民俗文化財に指定されているだけあって、この地域の獅子舞は非常に神事性が高く、のんびりとした同じ動作の繰り返しの格式高い舞いである。これは一種の神がかりを目指した踊りでもあろう。都市祭礼に代表されるような、脚色がついた芸能とは異なる魅力を感じた。一方で、同じ諏訪神社の祭礼の中で御囃子の山車の人々は非常に年齢層が若く、100人ほどの若者が関わっていたのに対して、獅子舞の方はかなり高齢化が進んでいるように思えた。現代的なリズムとは異なるし、じっくり鑑賞する型の芸能なので、若い人が盛り上がるモテるとかそういう要素が少ないのかもしれない。どこもそうだが、無形民俗文化財として舞いを正しく繋ぐこととの両立は非常に頭を悩ませるところではある。

八王子と縁のある?獅子舞の歴史

この鳥屋の獅子舞を拝見して感じたのは、八王子から伝わったんだろうなということ。御囃子も山車の形態もかなり八王子のものに似ていたので、そっちとの交流関係が深くて、芸能の通り道になっていたんだろうという推測であった。実際に歴史を担い手の方に伺ってみると、江戸時代初期に、八王子の宝院寺で修行した円海という修験関係のお坊さんが武州地方の獅子舞を伝えたそうである(八王子の獅子舞が直接伝えられたのかは不明)。円海はもともと諏訪神社の鍵取寺(元天台宗清真寺)の10代目住職で、祭り行事がないことを寂しく思い、獅子舞をはじめたということのようだ。

獅子頭の羽は、なんとフィリピンから調達!

祭りの後、鳥屋の獅子舞の担い手を50年以上にわたって経験されてきた荒井さんにお話を伺った。小売店が民俗資料館になっており、獅子頭をはじめとした祭り道具や民芸品などが展示されていた。本は全て配れるようにコピーしており、膨大な資料をいただけた。大変ありがたい。

ここでわかったことは、獅子頭づくりはプロではなく、荒井さん自身、2年〜3年かけてじっくりと制作されてきたようだ。現在の鳥屋の獅子舞の獅子頭は3頭とも、荒井さんが制作されたものだ。340年前に作られた獅子頭が古くなったということで、新しく近年制作したのだという。原材料となる木は桐、塗りは漆で行なっているそうだ。獅子頭の造形のモチーフは龍であり、現在は中国から入ってきた唐獅子系の造形も作られるようになった地域もあるようだ。獅子頭につけられた羽根は非常に効果であるため、「この羽根はいくらくらいしたんですか?」と好奇心で聞いてみると、「フィリピンで安いチャボ(トウテンコウという鶏)の羽を買ってきた。でも航空券代が15万円かかった。羽根は1つ2000円するが、フィリピンでは5円程度で買い求められる。」とのこと。なかなか調達には工夫が必要でフィリピンにまで行ったという話は今回初めて聞いたので、個人的には面白いエピソードだった。同時に地域愛を感じた。

獅子舞の銅像に1000万円

ところで、鳥屋野獅子舞の像が相模原市役所緑区役所鳥屋出張所の目の前に設置されていた。1000万円以上はかかったと思われる。昔、宮ヶ瀬ダムができたときにあまりの予算で設置されたそうだが、結局儲かったのは石屋だけで、この像があるから何か観光客が誘致されたとか何かの効果があったかといえば不明である。他の使い方があったかもしれないとも思いつつ、この像を眺めていた。

 

ps. 博物館の「三増(みませ)の獅子舞」

午前中に時間があったので、愛川町郷土博物館の「三増(みませ)の獅子舞」の展示を拝見しに行った。江戸時代中期から行われている一人立ち三頭獅子舞で、それを導く「バンバ」と「天狗」がいる。バンバというのは初めて見たが、これはおそらく造形からして「婆婆」であり、ひょっとこやおかめのような存在と同一だろう。また、ササラもいる。獅子の耳や目、口などを誇張しているのは、魔の誇張表現であり、厄祓いの最大化を目指したものとのこと。ちなみに鳥屋の獅子舞は完全に龍頭だが、この三増の獅子舞は中国由来の唐獅子の造形をしているので、一人立ち三頭獅子舞の系譜と習合したものを思われる。まだ実際に現地での舞いを見たことがないので、改めてぜひ拝見してみたい。それにしてもこの博物館、展示が充実しているのに入館無料で、博物館の敷地含む神奈川県立あいかわ公園には子どもたちがたくさん遊んでおり、良い立地と展示環境にあると思った。

楽しくてディープな田舎体験

総じて、この地域の獅子舞は面白い要素が少しずつあった。自然環境が恵まれているので、キャンプや川遊びなどができ、これは都会にない魅力だと思う。同様に獅子舞も、都心部ではなかなか見られない自然との共存の延長上に生まれた芸能と言える。資料館や祭りの盛り上がり含めて、獅子舞を見ることで何か楽しくてディープな田舎体験のようなものがあるように思えた。