猪の交尾や四つ足を模した舞もあり?山形県の獅子踊りはとにかく素朴!磐司祭 獅子踊りフェスティバルに行ってきた

8月6日、磐司祭 獅子踊りフェスティバルが山形県立石寺で行われた。松尾芭蕉の「...蝉の声」の一句で有名な土地で、森の緑と深い山が印象的な静けさと、生活感に包まれた土地だ。立石寺の境内では、3つの獅子踊りが披露されたので、それぞれの特徴について振り返りたい。

猪と人間の関係性の中で生まれた獅子踊り

もともと立石寺は慈覚大師が地域での狩猟を辞めさせたことから、動物たちがそれに感謝して喜び踊る様子を表現したのがしし踊りの始まりという話がある。これは地主神である磐司磐三郎が狩猟生活をしていたところ、そこから土地を借り受けて立石寺を建てた(860年)慈覚大師が猟を禁止したという流れであり、神道と仏教の対立構図を感じるものの、物語はいたって平和的に語られている点は実際どうなんだろうと思っている。

ちなみに、現在でも立石寺がある山では狩猟が禁止されている。立石寺のお坊さんによれば、一度猪は何らかの形で途絶えたようだが、近年は東日本大震災後に福島で猟師が減って猪が増えて、それが山形の方まで来ているという見解をお持ちであった。近年は猪が増えているようである。立石寺のエリアの近くの禁猟区でないところでは、猪が獲られているそうで、猿が増えすぎて困っているので猿の獣害駆除も内密に行われているという話もある。猿は人間に近いことから狩猟の対象とされることは珍しく、あまり公にはできないという。

磐司祭 獅子踊りフェスティバル

それでは、実際に現地で拝見したしし踊りについて、特徴を触れておこう。

長瀞猪子踊(ながとろししおどり)

猪の子と書く通り、これは猪の踊りである。最後の方で大きく跳ねるような跳躍を見せたのが印象的だった。ここまでのハイジャンプを披露するようなしし踊りは少ないという。旧暦7月7日に山寺で死者供養のための踊りを奉納。

沢渡獅子舞(さわたりししまい)

江戸時代に山寺から始まった踊りであり、かつて黒伏神社の祭礼で踊られていたことから、黒伏山信仰の山伏が伝えたという説もある。沢渡獅子舞のユニークな点は、四つ足や交尾の動きが踊りの中に見られることだ。極めて動物的な踊りとも言え、その動きをよく観察して表現したのだろう。また、獅子たちの先導役として、狩衣姿の大斧を片手に持った猿田彦が登場する点も見どころだ。これは獅子達が異界からこの世にくる霊として考えられているためである。毎年9月15日稲荷神社の祭礼で奉納。

鹿楽招旭踊(からおぎあさひおどり)

獅子の目は釣りあがり、猪のように突き出るような形状になっているという点で、造形が本物の猪に近い。山寺からいただいた木製の斧を背中に持っている点も独創的。ダイナミックな動きや突然走り出すような足さばきが印象的だった。供養の文言として「このなよ 御前は磐司の御前よ 獅子がなよ 参りきて 拝み上げます南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」の歌も伝わる。旧暦7月7日に山寺で奉納踊りを実施。

素朴な獣の踊り

今回の獅子踊りフェスティバルに実際に訪れてみて、とにかく魅せるということを意識しすぎない、脚色の少ない素朴な踊りという印象を受けた。あとは、フェスティバルと銘打つ(所によっては「全国」の名付けも散見される)には3団体ということでやや少ない気もしたが、助成金獲得などのために名付けたのだろうか。何か大人の事情んののようなものが絡んでいる気がする。イベントというよりはどちらかといえば、お祭りや神事に近いような側面も見られたのが良かった。とにかく、土地に根ざした踊りなのだ。

ps. 立石寺のお坊さんの生活

祭り後に、立石寺のお坊さんにお話を伺った。山寺で生活しているわけではなく、現在は新興住宅に住んでいるという。伝統的で俗世から離れた世界と、思いっきり俗世的な世界を往還することで、何かの悟りを開こうとしているのかもしれないと勝手に思った。立石寺は岩肌むき出しの斜面に建てられたお寺なので、石段を登って、毎度のように境内に食料をはじめとした諸々の備品を上げるのは大変なことだ。中学校の時は石段を上り下りして学校に通ったこともあるそうだ。また、立石寺境内には立ち入り禁止区域があって、これより先は修行僧しか入れませんということが立て札で書いてあった。ここにも俗世とそうでない世界の境界のようなものを感じたのだった。