【2022年12月】石川県加賀市 獅子舞取材 大聖寺下福田町犬澤(追加)

石川県加賀市にて、本作りのための獅子舞に関する追加ヒアリングを実施した。今回の対象地域は大聖寺下福田町犬澤(いんのさわ)である。

 

12月22日 16:30~

まずは宮地弘晃さん(71)に農作業途中、納屋にて時間をいただきお話を伺った。

 

獅子舞の歴史

獅子舞が途絶えてもう10年以上は経っている。昭和59年(1984年)の息子が高校1年生の時(2000年)はまだ獅子舞をしていたが、30歳の時(2014年)にはすでに獅子舞をやめていた。その間のどこかで途絶えたと思われる。途絶えた理由は担い手不足だった。隣の下福田町山岸のように生涯現役といって8軒でも獅子舞を継承している場合もあるが、犬澤は若者がいないので辞める決断に至った。20軒ほど家があったが、今は17軒に減っている。どこからいつ獅子舞を習ってきたのかはわからなくて、どこかに伝えたという記憶もない。若い時に獅子頭を新調した気がする。

 

祭りの様子

祭りの日は3月21日と8月21日と決まっていた。下福田町は昔、山岸も東組西組も同じ日に祭りをしていたので、太鼓の音が聞こえてきたことを覚えている。祭りの当日は親方の家(年長者)に13時ごろ集合してから、地域の端の家から回り始めて、最後はお宮さん(神社)で17ごろ終わった。そこから盆踊りの準備をして、夜は盆踊りを楽しんだ。あとは社務所で飲むこともあった。普段買い物に行く上福田町の山田食品に獅子舞を舞いに行ったこともある。

 

結婚式の獅子舞

「こんでもええ」と言っていたけど、結婚式には獅子舞が来てくれた。式場か家かどちらかに来た。ご祝儀を渡したら、いつも通りの舞いをしてくれた。犬澤の人が結婚したら、必ず獅子舞を舞いに行くというのが恒例だった。祭り以外で獅子舞をしたのは結婚式の時だけだった。

 

舞い方

舞い方は手首を返すような仕草があり、雌獅子だったのでゆっくりとした動きだった。5人で演じ獅子舞の中に入ったのは3人である。あとは太鼓2人と獅子頭の交代要員が必要で6人で、笛をする人はいなかった。獅子頭は少し大きいサイズだと感じている。獅子舞をしていたのは玄関の前で行っていた。道は狭いが玄関まで入り込むことはなく、あくまでも玄関の前で行った。

 

担い手

獅子舞の組織は若連中と言って、高校1年生から35歳まで関わることができる。基本的には各家の長男が入ると決まっていて、次男は入らない。養子の場合も入ることがある。学生にとって祭りの日は春休みと夏休みの期間だが、社会人にとっては仕事を休んで祭りに参加するのが恒例だった。社会人というのは、農業をする人もいたが、サラリーマンの人もいた。大学生は遠いところに行った人も、祭りの時に帰ってきた。35歳で卒業する担い手がいる年は、鹿児島や北海道(雪まつり)などに遠方まで旅行に出かけることもあった。遠方まで旅行に行けたのは、ご祝儀が高くて1万円と決められていたからだ。20軒の家があったので、1回獅子舞をすると約20万円入ってくる計算になる。その半分を貯蓄に回し、もう半分で大聖寺の料理屋に行って飲み会に使っていた。そういうわけでお金も貯まるので、年によっては遠方まで旅行に行くこともできたわけだ。

 

練習

獅子舞の練習は新入部員がいる時は祭りの10日~20日前、いないときは3日前から行った。新入部員が入るのは春祭りの方である。一番年長の担い手を親方と言い、犬澤は公民館がないので自分の農作業の小屋を練習場所として提供していた。

 

17:00~

さらに獅子舞の由来のお話が聞けるかもしれないということで、出嶋藤治さん(85)を紹介いただきお話を伺った。

 

昔、4月の大聖寺の桜まつりの時に、大聖寺神明町大聖寺中町の本陣に行って獅子舞をして、お小遣い稼ぎをしていたことがあった。この時は車がなかったので、自転車の荷台に、箱に入れた獅子頭を乗せて、大聖寺の街中まで繰り出した。加賀神明宮の近くの川のほとりに自転車を置いて、獅子舞を舞って回った。その当時は3月、4月、8月に獅子舞をしていて、10人くらいの担い手がいた。村には19軒の家があった。