【2022年7月】石川県加賀市 獅子舞取材 中代町・新保町(追加)

2022年7月15日~17日の日程で石川県加賀市に滞在し、獅子舞のヒアリングを実施した。

 

7月15日 16:15~17:00 中代町

区長の東出ひであきさんに主にお話を伺った。以前、区長の西出さんにお話を伺った時のことを絡めながら記録を残しておく。

由来

獅子舞がどこから伝わったのかはよくわからないが、町で一番の長老(約90歳)によれば、敷地町から伝わったかもしれない。今から150年前くらいには既に獅子舞は行われていた。農業地帯なので、農具の箕を2つ組み合わせて、パクパクするようにして舞っていた時がある。目や鼻などを描くことはしなかった。非常に素朴的で歴史のある農耕社会の獅子だ。中代町は現在、国道八号線を境に2つに分かれている。ただ、小学校の校区は同じで、昔から同じ町内だ。北側が比較的田んぼが多く、南側に旧町が広がっている。神社も旧町の方にある。

 

獅子頭

獅子頭は70年前くらいに金沢の別院通り付近のところに発注して新調し、それ以来同じものを使っている。耳や目が大きい。30年前には少なくとも存在したが、どこで作ったのかなどは分からない。襞の多さや顔の凹凸の少なさなどが井波由来の獅子頭に似ているように思える。暴れ獅子ではないので、あまり獅子頭をぶつけて壊すということはない。昔からの獅子頭ではあるが比較的新品に近いほど綺麗である。オスかメスかわからない。笛がないことがオスかメスかを左右する場合があるようだが、詳しいことは不明だ。

 

祭りの様子

祭りの日は3月17日と8月17日と決まっている朝5時から開始し12~13時間かけて日が暮れるまで行う。神社から始まって、お寺、区長宅、生産組合、各住宅を回って神社に終わる流れだ。朝とお昼は休み時間があり、少なくとも朝は団長さんの家でご飯を食べていた。空き家(2~3軒)は舞わないが、留守宅は舞っている。町内には75軒ほどの家があり、その家々を一通り回る。

 

舞い方

舞い方は1種類で、名前は特にない。また、ご祝儀の額などによって舞い方を変えることはしない。太鼓に向かっていく舞い方で、中腰のところからスタートする。町を1一軒一軒回っていく時と、神社で舞う時は空間の使い方が違う。神社は参道が広いので、そこを十分に活用するようにして舞う。昔と比べると太鼓の音のタイミングが合わない時もあり、少しずつ変わってきていると感じる。   

 

担い手

運営主体は青年団だ。高校1年生から25歳までが入る。常に稼働しているメンバーは5~6人ほどだ。獅子頭1人と尻尾1人と太鼓2人で合計4人いれば舞うことはできる。笛などは登場しない素朴な獅子だ。練習は2週間前くらいから行い、夜8時から始まり9時半には終える。初心者の人も上級者も同じ長さの練習時間だ。ただし、初心者の方は祭りの当日に自分の家の前で舞い、動きの確認をしておく。大学生や働いている人など、地域外に出ていく人も多く、ずっと地域にいる人は少なくなってきている。

 

7月16日 17:00~18:00 新保町

岸グリーンサービスの岸ひできさんにお話を伺った。以前、獅子頭の撮影に伺ったときのお話も絡めながらここに記しておく。

 

 

歴史

獅子舞はいつから始まったのかわからない。元々、「チウラカ」という演目しかなかったが、昭和24年(1949年)に、演目を増やすために片山津温泉青年団から新たに「コンケラコン」「シャンシャン」「チョウチョウトマレ」の3つの演目を習ってきた。それ以来、この3つの演目を今でも継承している。隣の柴山町にはチョウチョウトマレは伝わらなかったが、あとの2つは共通している。最近これらの演目を「コンコン」「シャンシャン」「チョウチョウ」と簡略化して呼ぶ。昔の方がリズムがよりゆっくりだったが、少しずつリズムが早くなっている。お酒を飲んだ勢いで早くやりたくなることもあるし、新保町の中にディベロッパーが開発してニュータウンができ、世帯数が多くなったので早く回らないといけなくなったという背景がある。以前はご祝儀が5000円か1万円で、5000円の場合はコンコン、シャンシャン、1万円の場合はチョウチョウまでやるというのが通例だった。ただし、ニュータウンができてから、3000円の祝儀のみでコンコンかシャンシャンだけ舞うということもある。

 

祭りの様子

祭りの日は2日間で約100軒回る。朝5時半~6時あたりから夕方4~5時くらいまで行い、最後に神社での奉納の舞いをする。神社では1万円+お酒とか、2万円が出る時もあり、舞いを豪華にしなくてはいけないということで、コンコンのダブル(略してコンダブ)を行うことがある。これは動作を繰り返して演目を長くする形だ。また、シャンシャンのダブルが行われる時は、2人で演じるという意味での「ダブル」である。町外では明石家病棟に慰問に行ったり、仲良くなったお店、湖北小学校、片山津中学校に舞いに行ったりすることはある。ただし、片山津中学校は自分たちだけ獅子舞でお休みをもらうという子供も多いので、訪問には抵抗があり現在は舞いに行っていないかもしれない。お昼は家とか公民館でお弁当を食べ、2日目は源平食堂のランチを食べる。

 

担い手 

青年団は中一で入ってまず棒振りを行い、そこから笛や獅子頭をする。青年団の年齢制限は30歳までだったが、徐々に年齢が上がっていって、壮年団に入るまでという認識が強まっている。担い手の人数は現在、20人ほどだ。戦後、予科練と言う飛行機の練習場だった関係で、次男坊や三男坊が地元に帰らずに一白町に移住する現象が起こり、新保町の人が結婚に行って家を建てるということもあった。そのような交流があったことから、一白町の人でも獅子舞をしたいという人が出てきて新保町の獅子舞に加わってもらうこともあった。蚊帳の中には最低3人、棒振り、太鼓、笛がいるので、結構人数が必要な獅子舞である。昔は篠原村字新保と言い、生業は漁業をしていた人もいたが、のちに撚糸を始める人が多かった。現在、大きな勤め先は片山津ゴルフ場、岸グリーンサービス、北野土木、大家産業などだ。

 

舞い方

柴山・伊切・新保は舞い方が似ている。棒振りの棒は紅白の色のものを使う。新保町の獅子舞はキビキビした動きをするのが特徴で、そこが周辺の町内との違いだ。チョウチョウの演目が最も激しい。棒振りが一番体力が必要である。「目録1つ金貨千両大鯛万頭(まんがん)美人千人御酒肴は沢山右はえーとえーと〇〇さま方からご贔屓等あって当新保町獅子若連中にくださーる」という口上は、橋立地区と似ている。獅子と棒振りが対峙するものの、最終的に決着はつかない。棒の両先にはフサフサがついており、槍や薙刀などを使うことはないというのが、単純な獅子殺しの演目と異なるポイントだ。演目の合間にそりゃ!という掛け声をかけることがある。

 

祭りの日程

9月12.13日が祭りの日になっており、獅子舞が出たり、屋台が出たりと賑やかな日になる。春祭りはお参りのみだ。「今年の祭りは何曜日や?」「有給取らなあかんかな」などの声が毎年恒例のように聞かれる。中学校、高校などを休むときは、「(地域行事なので)公欠扱いには出来んけど認めるよ」というのがいつもの先生とのやり取りだ。ただ、強豪校の野球部などは流石に休めないこともあり、練習だけ出て本番ができないということもある。現在、祭りの日を土日にしようという議論はあるが、なかなか昔からの恒例なのでずらすことはできない。また、祭りの日程は柴山町と伊切町と新保町で一週間ごとに行う。新保町と柴山町はお互いのお祭りに出かけるなど、活発に交流がある。祭り以外では初老の祝いや結婚式に獅子舞を呼ぶこともあり、今でも結婚式では舞うことがある。

 

練習

獅子舞の練習は夜8時から10時までの2時間で行われ、その後にご飯や飲み会をすることもある。年代を経るに従ってそのような場は少なくなっている。練習期間はお盆から祭りまでの1ヶ月感だ。

 

獅子頭

平成27年富山県井波で作られた獅子頭が保管されている。耳をつける穴はあるが、お祭りの当日も耳をつけるという習慣はない。獅子舞の性別はメスだ。道具の色は紅白が多い。蚊帳も縦ラインに紅白のデザインだ。