【2021年9~11月】石川県加賀市 獅子舞取材 片山津温泉(追加)

10月14日(木)

20:00~

地域の獅子舞の歴史に詳しい枷場(はさば)達雄さんにお話を伺った。同行は山口美幸さん。枷場さんは子供の頃に大人から獅子舞の歴史の話をよく聞いていたので、その歴史についてよくご存知のようだ。片山津温泉の獅子舞は、能登半島田鶴浜の山口半次郎さんが明治時代に片山津温泉に引っ越してきて、富山県石動の獅子舞を伝えたという話に始まるが、その真相はどのようだったのか。

そもそも、なぜ田鶴浜の山口半次郎さんが、石動の獅子舞を知っていたのだろうか?おそらく、地域間の交流があったのかもしれないし、富山由来の獅子が能登半島東岸を北上して伝わったという事例も多い。元々、田鶴浜の獅子は石動の影響を受けていたのかもしれない。ただ、現在の田鶴浜の獅子舞というのは、能登獅子でも氷見獅子でもない、地域特有の獅子舞を継承している。とりわけ田鶴浜三引の獅子舞は、猿の子、ジジ面、ババ面などユニークな面も登場する。これらは周辺地域に広がっていない。この事実が不思議なのである。山口半次郎さんも、この田鶴浜三引の獅子舞ではなく、石動の獅子舞を片山津温泉に伝えた。

山口半次郎さんの紹介で、おそらく石動の青年団片山津温泉に獅子舞を教えにきていた。石動の人々は1ヶ月ほど片山津の常願寺に投宿しており、毎晩その御堂でお参りがないときに、練習を教えたのだ。その時、石動の青年団は一人ではなく3~4人は少なくとも来ていて、その人たちは高い宿に泊まるようなお金はなかったと思うが、練習を教えてくれたので、片山津温泉の人々はお金を払っていた。農繁期と農閑期があり、農閑期は時間がたっぷりあった。それもあってか、この人々は仕事を持ち込んで来ているというわけではなかった。

そして、この石動の青年団は練習の時に獅子舞を教えるだけでなく、6月28.29日の湯のまつりの手伝いもしていた。この日程の中で、獅子舞は前夜祭の27日に行われた。この当時は今と湯の祭りの日にちが異なっており、温泉の開湯の日に合わせて実施されていた。観光要素も加わり、8月の夏の祭りへと変わっていくのは後々の話である。湯のまつりでは昔、今の作見地区などを含めて獅子舞大会も開かれて、様々な地域の獅子舞がそこで披露されていた。

枷場さんは直接、山口半次郎さんにお会いしたことは無い。しかし、その後も獅子舞のレパートリーを増やすために、石動の青年団片山津温泉に呼んでいた。また、山口半次郎さんの息子さんに、枷場さんが所属していた片山津温泉青年団の先輩が獅子舞を習ったという話は聞いたようだ。枷場さんが獅子舞を始めたのは小学校4年生の時だった。そこで習ったのは、獅子頭の振りが主体となる舞いで、現在のように棒振り主体の頭がおざなりになるような舞いとも少し違っていた。石動の木工所の従業員に獅子舞の話を聞く機会もあったが、町内ごとにレパートリーをすごい持っていて、片山津の獅子舞はこの系統だと感じたこともあったそうだ。おそらく片山津温泉の周辺の地域も、この舞いの珍しさ(節など)に惹かれて習いにきたのだろう。箱宮町、高塚町、柴山町、新保町、小松の串茶屋あたりは片山津温泉から獅子舞が伝わった。柴山町は獅子舞の歴史が古く、小松の影響もある。

山口半次郎さんに始まる「シャンシャン」や「コンキラコン」などの舞い方含む、片山津温泉の最初の獅子舞は、今日のものと比べて演目が多かったし、曲も長かった。寝獅子については、山口さんが伝えたものではない。寝獅子は現在、潮津町だけで継承されているが、昔は片山津温泉でも特別な時に(ご祝儀が大きい旅館「森本」などで)時間をかけて舞われていた。ひょっとこではなく、赤フンを巻いて泥棒の格好をして、寝ている獅子にちょっかいを出すような感じで行われた。

片山津温泉青年団と並行して、片山津温泉6区の子供獅子は行われていた。これも山口半次郎に始まる獅子と節が同じである。片山津温泉青年団が解体してからは、まず片山津温泉1区に青年団が立ち上がった。何も知らない中で、祭りの道具屋に買いに行った。柴山町に習おうと思って行ってみると、片山津温泉の獅子をやっていたので、結局、片山津温泉青年団の獅子を継承することになった。一方で、片山津温泉青年団は獅子舞ができなくなってから、社会福祉法人 伊奈美園の子供達に棒振りで関わってもらおうと考えた。獅子頭の振りはこの青年団の有志たちが継続した。その後、片山津温泉青年団2~4区、5区、6区も皆同じものを始めた。三番叟は遊びの獅子である一方、棒振りは狩りの獅子だ。それぞれをピッシリと教えたところと、比較的ゆるく教えたところとで伝わり方が分化していった。

<その他の獅子舞など豆知識>

小松の五十鈴流も大聖寺のお座敷獅子もまた別の話である。伊切町、潮津町、塩浜町の獅子舞は繋がっている。大畠町の獅子舞は草刈り鎌を持って舞う、珍しい獅子舞だ。合河町の毛合や川尻などは激しい棒振りの獅子である。尾中町は新しい村で5~6軒しかない村だったので獅子舞はないが、お金持ちがいたのか神社は存在する。小松の獅子舞は口上がたくさんあるのが特徴だ。加賀7木を切ってはいけないという決まりがあり、塩には大変な薪がいて伐採することも多かった。(しかし、それでは洪水などが発生するため)勝手に切ったら耳を切られるというものがあった。藩の人がずっと木を見て回っていた。その他、かなり広範囲の加賀市のお話を伺うことができた。

f:id:ina-tabi:20211015085952j:plain