11月19日
18:45~大畠町
地域住民の宮野修身(おさみ)さん(68)にお話を伺った。同行は吉野裕之さん。大畠町の獅子舞は伊切町から、68歳の自分よりももっと前の世代に習った。少なくとも昭和30年には獅子舞があったということだ。現在では、この獅子舞は途絶えている。
獅子頭は公民館に2つ保管されている。古い方は権九郎型の獅子頭で、「昭和二十七年秋祭 菅野海◯◯ 奉納」と下顎の内側に記載がある。新しい方は角が大きく顔が小さな子供獅子のような獅子頭で、裏側に「井波 野原晢夫作 奉納 墨谷博 昭和四十九年」と記されている。新旧の順序を考えれば、もしかするとどこかで大人獅子から子供獅子へ移行した可能性がある。また、角の有無を考えれば、雌獅子から雄獅子へと移行したとも考えうる。
棒振り2人、太鼓1~2人、横笛5~6人、獅子という構成だった。難易度が高い横笛ができる人がこれほどの人数いたのは特筆すべきだ。小学生の棒振りは基本は5~6年生男子が務めたが、人数不足で中学生や女の子がやっていたこともあった。棒振り以外は基本的には青年団がしていたことが多く、高校生ぐらいから30歳以上の人までが青年団として所属していた。棒振りが身につける衣装はシャガや白足袋で、これは橋立3町の獅子舞とも似た格好だったと考えられる。
祭りは9月の15日か16日にやっていた。祭りの日は公民館か神社から回り始め、町内を回り、神社か公民館に終わるという流れだった。午後から始まった記憶がある。みんなでお昼に集まってご飯を食べたような記憶はない。町内には28軒の家がある。千崎町と大畠町は合わせて美岬町という行政区に属するが、祭礼行事はそれぞれ別々に行ってきたという歴史がある。小学生の棒振りは2種類があり、薙刀と棒とがあった。各家で、2種類どちらの舞いも行った。また、神社や公民館の前で舞う「むっか獅子」という名前の特別な獅子舞があった。獅子を回すのが難しく、ノミ取りをしたり、最後にバーと走って行ってから突然後ろに引きずられたりするような動作があった。この「むっか獅子」について、話を伺う限りでは、塩浜町の「アクビ・マメ」という2種類の演目とやや動きが似ていると思われる。ここまでの合計3種類の演目が、祭りでは実施されていた。また、片山津温泉の方で聞いた80代の古老の話によれば、大畠町は草刈り鎌を持った人が登場するのが珍しかったと話していた。これが事実だとすれば、宮野さんよりもさらに上の年代の方は、もっと多くの演目を実施していたということが推測できる。
練習は今の公民館ではなく、昔は別の公民館があったので、そちらの場所で行っていた。お祭りの2週間くらい前、9月に入ってから練習を始めた。基本的に練習を行っていたのは夜だ。お祭りの時は屋台、のぼり、輪踊りなどもあった。輪踊りでは、越中おわら節を踊っていた。神輿は登場しない。
お話を伺っていて、大畠町の獅子舞というのは、加賀市の浜どこ(海側)の獅子のハイブリッドのような形なのではないかと思えてきた。つまり、棒振りの演目や衣装に関しては橋立地区によく似ており、棒振りが登場しない「むっか獅子」は塩浜町の獅子舞に似ている。また、獅子舞自体はどこから習ったのかというと、これまたハイブリッド獅子舞の典型的な伊切町である。伊切町は潮津町、小松市安宅、橋立地区の3つの地域から獅子舞を習ったと言われており、そこから習った大畠町の獅子舞はおそらく、究極的なハイブリッド獅子舞をしていたのではないかと思えてきた。しかし、今では獅子舞が途絶えているため、その実態を確認することは非常に難しい。