【2021年9月】石川県加賀市 獅子舞取材 2日目 篠原町・福田町・野田町・大畠町・大聖寺下屋敷町

2021年9月19日

9:00~ 篠原町

青年団長の西村健司さんと青年団の松本拓己さんにお話を伺った。同行は橋立公民館の吉野裕之さん。篠原町は本日が獅子舞の祭りの日で、9:30スタートだった。町民会館に着くと、青年団が6人ほど集まり談笑をしていた。青年団長は25歳で、その年齢が青年団の卒業の年齢とも重なるので、青年団の年齢は全体的に若い印象である。祭りが開始する前に獅子頭の撮影もさせていただき、祭りと道具撮影をそれぞれセットで取材ができた。獅子頭は鼻が割れている古いものと新しいもので2つ保管されていた。新しい獅子頭白山市鶴来の知田工房で知田清雲さんが作ったもので、古いものは加賀国金城住人の横山さん(塗り師と彫り師が同じ姓だが別人、兄弟か親子だろうか)が制作したもので、獅子頭の裏にその旨が記されている。どこから獅子舞を習ったとかについては聞いたことがない。ただ、お祭りの獅子舞の演舞を拝見した時に、ロッコイという掛け声をしていたのが印象的で、これは橋立地区によく見られる掛け声なので、何かしらそれらの地域との繋がりがあるのかもしれない。

いつもこの時期に、3日間土日月で普段は獅子舞をしているが、家の数はそれほど多くはなく、50軒ちょっとである。太鼓と笛と棒振りと獅子で構成されている。獅子の舞い方は2種類あり、笛は片方の舞いでしかやらない。今回なスペース的な問題もあり、神社の境内や区長宅などの限られたところでしか舞わないので、笛のない方の演目の方を行う。獅子舞に子供は関わっていない。獅子の動きはダイナミックで、後ろに大きく下がる動作もある。獅子の中には3人が入り、合計で7人は少なくともいなくてはならない。現状の青年団の数がその最低ラインをキープしている状況である。今日は午前で祭りが終わりなので、午後から車に乗る人もいてお酒は飲まないとのこと。コロナ禍なりにできることできないことがある中で、獅子舞を運営されていることがわかった。年齢的には皆20代前半ということで同年代同士ということもあってか、青年団の和気藹々とする姿は印象的だった。今回は若い青年団の方にお話を伺ったが、地域には神社のいわれなど詳しいことをご存知の方も多いようで、神社にいる狛犬は由緒ある子持ち狛犬だとかそういう事細かな話ができる方もいるようなので、またぜひお話を伺いに行きたいと感じた。

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10:00~ 福田町

肉のやなぎ屋の角谷裕司さんにお話を伺った。20年以上、獅子の舞い手として関わってこられた方である。同行は橋立公民館の吉野裕之さん。公民館は昔、仏壇屋だったので屋根が低く、大聖寺の商家の特徴として不届き者を槍で突ける高さで作られており、昔ながらの土間がある古民家の長屋を改築した作りだったのが印象的だった。元々子供獅子をやっていたが、途中で継続が難しくなって今は平成16年に白山市の鶴来で新調した大きめの大人用獅子頭で舞いを行なっている。新調の際は、浅野太鼓経由で鶴来に頼んで作ってもらった。なぜか浅野太鼓経由で鶴来に頼む例は大聖寺番場町などの地域でも見られ、その理由はよくわからない。今回の福田町のケースでいうと、鶴来で獅子頭を作っていると知らず、浅野太鼓の人に繋いでもらったそうだ。それからなぜかコミュニケーションの齟齬もあって飾り獅子が作られてしまい、少し重い作りとなった。

獅子舞を行うのは4月の桜まつりである。春だけで五穀豊穣とは関係がないので、秋に獅子が舞うことはない。山下神社の氏子なので、本来はそこから舞い始めるのだが、最近は山下神社まで行くということがなくなった。朝8時30分ごろから初めて40軒くらい町内を回り、昼過ぎから町の外の知り合いのところなどに舞いに行く。元々は座敷獅子なので座ってノミ取りから始まるのが基本だ。太鼓と獅子舞だけで舞う舞い方である。ご祝儀は昔は5000円から10000円も平気で出していたが、最近は3000円も多い。獅子舞の構成人数は獅子の中が3人で太鼓が2人で合計5人でできる。青年団のメンバーは20人弱である。ただし、青年団はかなり高齢化しており、最も若い人で35歳である。

獅子舞がどこから伝わったのかは聞いていない。福田町がどこかの町内に教えたというのは聞いたことがある。また、町民会館に残っていた写真によれば、1986年には既に子供獅子を法被を着ている子供が持っている写真が残されているので、その頃には子供獅子を舞っていたことがわかった。ただこれが持っているだけなのか、この時まで毎年舞っていたのか疑問が残る。また、獅子頭の新調の際は子供獅子と大人獅子で2体同時に舞った記憶があり、それが1986年の写真に記録されていたので、もしかするとこの年に獅子頭が切り替わったということかもしれない。角谷さんの記憶では子供が舞っていたのは30年以上前で、関栄の親子獅子にも似ている要素がある。角谷さんが冗談交じりに「獅子も髪が乱れてきたから町内のパーマ屋さん連れて行ったり、歯が欠けてきたから歯医者さん連れて行ったりせなあかんな」と行っていたのが印象的だった。

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11:00~ 野田町

予想外にテンポよく取材が進んだので、中々アポとりが難しかった野田町に電話をかけてみた。そしたら案の定断られてしまったが、何度も粘り強くしつこく頼んでみたら、「そんなもんをする人はダラ(アホ)や」と言われてしまったが、とうとう最後には「あと30分以内に来れば案内する」と言ってくれたので急いで向かい、公民館近くの草取りをちょうどされていた区長の南出健市さんに神社の倉庫のような場所をご案内いただいた。こういう方ほど、度がすぎるように頼むと逆に優しく対応してくれる。同行は橋立公民館の吉野裕之さんだ。

獅子頭の保管場所である倉庫に行くと、そこには提灯がずらりと並び、まずはそれが圧巻の光景だったのだが、その奥に埃をかぶった獅子頭が3体出てきた。白髪の獅子と、ゴツゴツした鬼のような富山型の獅子と、権九郎型の頭がこんもりとした獅子とで、各種全くタイプの違う獅子が出てきたのだ。推測するに、3代に渡ってタイプの異なる古い獅子が出てきたということはかなり昔から獅子が行われていたと同時に、かなり昔に獅子舞が途絶えたことだけはわかった。人手不足などもあってか獅子舞ができなくなってまず神輿に切り替えたが、それも今では行われていない。撮影時間は3分ほどと短く、獅子舞に関するお話はほぼ伺うことができなかった。以前野田町の獅子舞の印象を他町の人に聞いたとき、野田町では獅子舞をやった歴史はないという認識の人もいたほどで、野田の獅子舞について語れる人はかなり少ないような印象だ。

ただ、出てきた獅子頭は非常に珍しく、野性的な風貌をしていた。この面白さは、自分のようなよそ者を通してしか届けることはできないのではないかと思った。それと同時に食べ物を食べるくらいに分かりやすく実益的なことでないと町の人が直接関心を持つということは難しく、ひっそりと町の精神的な基盤を担ってきた公益的な獅子舞文化について個人個人が意識的になるということの難しさを実感した取材であった。

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11:30~ 大畠町

区長の山谷喜朗さんにお話を伺った。同行は橋立公民館の吉野裕之さん。町民会館は神社の横にあった。神社には、祭りの準備がしてあったが、今では提灯を灯すくらいであまり派手に祭りをするということはなくなっている。いつも祭りの日といえばこの9月の第三休日の時である。現在、獅子舞は行われていない。いつ途絶えてしまったのかは定かではない。非常に大きな角が生えている顔の小さな獅子頭とよく見る権九郎型で白髪の獅子頭の2体が保管されていた。前者は井波で製作されたもので昭和49年の年記銘が残っており、小型なので子供獅子だった可能性が高い。小型の顔に大型の角が生えている獅子頭は、大聖寺新町と大聖寺鉄砲町でも見られた。少なくとも昭和49年には獅子舞をしていたと思われる。棒振りが使う槍などが4本見つかったので、おそらく獅子殺しの演舞があっただろう。ただし棒振りが使う槍の形状は新しいので、そこまで長く使われたような形跡がない。

千崎町と大畠町を合わせて美岬町と呼ぶ。つまり、大畠町は厳密に言うと、石川県加賀市美岬町字大畠町となるわけだ。やや複雑な行政区に位置するのには、どのような理由があるのだろうか。美岬町の方が新しい行政区なのだが、美岬町には区長がいなくて千崎町と大畠町には区長がいると言う関係である。獅子舞もこの通り区長に紐づいて、千崎町と大畠町にそれぞれ存在するのだ(大畠町の方のみ途絶えてしまったというのが現状だ)。獅子舞の伝来経路の話で言えば、千崎町が橋立地区から獅子舞を習ったことと、千崎町と大畠町は地域的な交流が深いと言う関係から推測するに、大畠町も橋立地区の獅子舞の影響を強く受けているだろう。

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13:00~ 大聖寺下屋敷

大聖寺の600軒以上の建物に関わってこられた大工の市田信博さんにお話を伺った。同行は片山津の山口美幸さん。いつも桜まつりの際に子供会が主体となって、獅子舞を実施している。昭和58年7月7日に獅子頭を新調したのだが、公民館が新しくなった時の演舞に間に合わなかったため、その時だけ塗りをしていない獅子頭を持って子供たちが舞った。その時の様子を撮影した写真が下屋敷町の冊子に残されている。また、この時新調した獅子頭の値段は85万円だった。また、練習用の獅子頭が一体残されており、かなり簡易的で素朴な作りをしている。これは下屋敷町の獅子頭が新しく作られる時に練習するために北さんという本番用の獅子頭を作ってくれている方が作った獅子だ。獅子頭の新調後の練習ではこの獅子頭は使っていない。昭和58年7月22日の獅子舞の練習風景に関する「獅子頭購入練習会」と名付けた写真がきちんと残っており、町民会館の一角に飾ってあったことからもこの年に練習に精を出していたことが読み取れる。ちょうどこの頃、昭和58年の7月に町民会館が完成したようなので、その前後の話と思われる。

この獅子舞が始まる前は、お神輿はあったが獅子舞は実施されていなかった。それからなぜ獅子舞が始まったのかというと、熊坂町に昔、字◯◯という地域がありそれが畑岡、庄司谷、吉岡、北原(きたわら)という名前で、その中でも畑岡の角谷茂雄さんという方が下屋敷町に引っ越してきた時に故郷の獅子舞をそのまま教えたと言われている。それからは、お祭りにおいて紐を引っ張る形の神輿が出るときもあるが、基本的には獅子舞をメインで実施するようになった。今、熊坂町の獅子は1つしかないのだが、昔はその中でも4地域に分かれておりそれぞれ独自の舞いを持っていたようだ。この時の4つの獅子頭が残っているかはわからないので、今後再調査が必要である。

▼昭和42年の加賀市地図より

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桜まつりの獅子舞はまず加賀神明宮で朝9時ごろにお祓いをしてもらって、奉納の舞をしてから、90軒ほど町内を回り始める。町内が済んだら、2日目では他町の知り合いのところまで舞いに行く。大聖寺の獅子舞は全般的に、他町の知り合いのところまで舞いに行くという文化があり、町同士の交流が盛んなことは特筆すべきである。桜まつりの2日間の最終日は最後、町民会館で終わるのが恒例である。今年はコロナ禍で桜まつりは規模が縮小してしまったが、家々は回らずに道の辻々(道の曲がり角など)で獅子を舞ったようだ。大人は基本的について歩くだけで、子供が獅子舞を行う形式である。子供は小学校6年生がメインで、太鼓2人と獅子舞4人で合計6人いれば舞える獅子だ。小学校3~5年生辺りの学年の子供でもこれに参加している。ご祝儀は2000円ほどの場合が多い。演目は1つで、比較的ゆっくりと舞う。桜まつりに向けて練習は2週間ほど行う。子供が仕切り役というよりは子供会の大人がリーダーシップを発揮する形で練習から本番まで行っている。

元々下屋敷という町自体が存在しなくて、この町の町民は引っ越してきた人ばかりである(『公民館開設記念 下屋敷町の記録』(昭和61年3月)によれば、下屋敷町の成立は昭和33年)。お話を伺った市田さん自体は、三男坊だったこともあり、獅子舞が始まる10年前、つまり昭和48年に大聖寺錦町(当時の地名は穴虫)から引っ越しをしてきた。楽焼工房の荒木さんもその時に錦町から引っ越してきたし、この時に新しく町を作っていくような感覚があった。この下屋敷町ができる前は庄兵衛谷という村がありどのような理由かわからないが、下屋敷町という町ができていた。ここは元々城下町の鉄砲の訓練所があった場所で、市田さんの息子さんの部屋で兵隊さんの幽霊が出たということもあった。そこらへんの木を切って製材しようとすると鉄砲の弾が入っていて、錆びているので鉋で削ると鉋がダメになってしまう。ここら辺一帯は古戦場となっており、雪の研究で有名な中谷宇吉郎大聖寺に母方の実家があって住んでいたこともある人物だが、かんざしを挿した白蛇が出るというので、錦城山には登らなかったという話まで残されている。また、下屋敷町の公民館には、大聖寺藩の藩邸の家の設計図などが残されており、大聖寺の歴史を考える上でかなり重要な場所であるように思われる。

また、町民会館にはトロフィーがたくさん飾られており、運動会、バトミントン、綱引きなどの地域のイベントがたくさんあり、地域交流が盛んだったということがわかる。また、錦町と下屋敷町の合同で24時間耐久のソフトボールの大会が行われたこともあり、12時間耐久だった時の写真は町民会館に残されている。現在では、火の用心のために大人も子供も歩いて回ることがあり、マイクを持って子供もたまに呼びかけることがある。これができる町はなかなかないだろう。これらの話から、地域の人が知恵を絞ってどうしたら町が盛り上がるかを考えてきた軌跡をたどることができ、この下屋敷町の事例から町の誕生とそこに精力を注いだ方々の地域交流に対する情熱が読み取れる貴重な取材だった。

ps. 大聖寺のご年配の方は、嬉しい時にはしゃぐイメージで「ピッチンココク」と言う。これは大聖寺特有の方言なのか流行り言葉なのかよくわからないが、他地域からしたら何を言っているのか全くわからない感じがとても面白い。

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