【2021年9~11月】石川県加賀市 獅子舞取材 1日目 田尻町

2021年9月18日

田尻町獅子舞取材

田尻町青年団長さんにお声がけいただき、獅子舞のカメラマンをさせていただいた。田尻町は何度も取材させていただいている馴染み深い町で、今回は初めて仕事の形で、祭りのカメラマンを任せていただいた。祭りをすると言っても、例年通り3日間できるわけではなく、集合写真を町民会館前で撮影してから、町民会館前で舞い、神社の境内で奉納の演舞をしてから、町民会館に戻るという流れで行われた。13時に始まり15時に終わるというかなり短時間のお祭りとなったが、その分濃い時間で盛り上がりも半端なかった。

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田尻町青年団が獅子舞を行う道中、最も盛り上がった場面について、実際に撮影をさせていただいた立場からここに記しておく。まず、集合写真の時点では皆あまり体が温まっていないのか、表情はまだ硬かった。意外と集合写真の撮影ではっちゃけるという場面は見られなかったのだ。ただ、神社での奉納のあたりから青年団の盛り上がりが始まった。手水舎の水が溜まっているところに青年団のメンバー同士担ぎ上げて降ろし、水に浸してしまったり、水を掛け合ったりというふざけ合う場面も多く見られた。これには見物客も巻き込まれていたが、祭りなのでまあしょうがないという風に考えているのか、それを気にするような人はあまり見られなかった。この時から、ご祝儀を読み上げる時など獅子を舞う合間に「よーいよい」などの囃子声がかけられるようになった。ご祝儀の掛け声は最初少しだけ遠慮がちにも聞こえていたが、徐々に気分も乗ってきた様子が見られた。また、神社の境内から町民会館に戻るときには、青年団の人同士が肩車をして歩き非常に迫力があり盛り上がった。町民会館に着くと、ホースで水かけ合戦が始まり、青年団の人はみんなびしょびしょになった。町民会館の中に入ると獅子の蚊帳が雑巾絞りのように絞り上げられ、回転するように回る仕草が見られたが、そのときに獅子頭を持って踊る仕草をするエセ獅子頭持ちの人々が表れて盛り上がったのは印象的だった。また、最後の方になると、獅子頭を最終的に木箱の上に収めて終了という流れになるのだが、祭りの時間を引き伸ばすためかなかなかそこに収まらず、邪魔をするものや獅子頭持ちにお酒をかける様子が見られた。町民会館の床は酒だらけだ。太鼓の音がものすごくリズムが早くなり音も最高潮に大きくなった(橋立公民館長の吉野さん曰く、太鼓のリズムは全体的に昔より早いらしい)。最終的に獅子頭が収まったときには、青年団皆がずぶ濡れで、すごい状態になっていた。最後青年団長から役職持ちまでが胴上げされていたが、天井に体をぶつけるように勢い良く投げられ、酔いも回って勢いが半端なかった。やはり、田尻町ほど祭りに全力で取り組んでいる町は加賀中を探してもなかなか見つからないだろう。それにしても、手水の水、ホースの水、酒の水とふざけ合うことを媒介するものが「水」であることは大変興味深いポイントであった。やはり、漁師町ならではのアイデンティティがここに表出しているようにも思えた。

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盛り上がっていたのは、青年団の人達だけではなかった。それを取り巻く地域の見物客もすごかった。皆携帯で動画を撮り、写真を撮るものはいなかった。おそらく、獅子の動きとかふざけ合う場面とかをそのまま記録したいという気持ちの表れだろう。自分は写真も動画も撮っていたので、むしろこういう場面では写真的な記録が残りにくいのかなと思い、どちらの記録媒体の特徴も生かして記録したいと考えた。また、小学生に上がる前の子供たちは最初獅子を怖がるのだけど、途中から全然怖くなくなって、じっと獅子の演舞を見守る姿が印象的だった。子供は頭を噛まれるシーンがいくつかあったが、嫌がる様子があまり見られず怖がる子も少ししかいなかった。また、子供が獅子や棒振りに近寄って接触してしまうということも多々あり、それほど子供たちにとっても興味深い対象だとわかった。ミニ獅子頭を自分で持ってきてパクパクさせている子供もいた。あと意外だったのは、見物客に高齢者の姿は少なくてむしろ30代までの女性が多かった。青年団関係者の奥さんとか子供達が撮影役として駆けつけたということだろうか。今回の演舞はコロナ禍で最小限に執り行われたため、告知も十分に行なっていないからというのもあるだろうが、こんなに見物客が若い獅子舞というのも珍しいと感じた。

全体を通して、まず今日は晴れてよかった。ずっと雨続きだったが、なぜか獅子舞をしている時間だけ晴れた。コロナ禍で子供が一人でも感染していたら実施できなかっただろうし、そういう意味では今回は奇跡的な開催だったといえる。今回撮影させていただいた集合写真は脚立を使って俯瞰的に撮影することで綺麗に撮れた。後ほどプリントして、青年団の皆様と町民会館用でそれぞれお渡しできたらと考えている。コロナ禍では貴重な祭り取材の機会をいただいたことが本当にありがたかった。また、ぜひ3日間ぶっ通しで祭りをやるときにも顔を出せたら嬉しい。ぜひ他に撮影希望の地域があれば、お声がけいただきたい。

 

ps. 2021年9月19日追記

本記事公開後、田尻町の獅子舞を昔から見てこられた南俊一さんより、facebook経由で以下のような貴重なコメントをいただいたので、紹介させていただきます。

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僕が子供の頃公民館は今の神社の隣ではなくここから500mくらい離れた場所にあってクラブと呼ばれていました。三日間かけて町内全戸をまわった獅子は神社でハイテンポな薙刀のリズム(田尻の獅子舞は歩き太鼓、六尺、薙刀の三つのリズム)でカンサマガエリ(三日間神様は獅子と一緒に町内をまわってここで神社に戻られるのだと思います)を終え棒降り、笛、太鼓の子供たちは青年団にハツウマ(肩車)され棒降りは薙刀、六尺、太刀、剣、鎌などを構えのポーズで田尻町クラブまでの500mを整列して歩き太鼓で行進しました。そしてクラブについてまたハイテンポな薙刀のリズムで二人棒から四人棒まで間髪入れず棒降りが舞い続けました。やがて獅子のかやは畳まれ大広間を何周もして終わる祭りを惜しみ眠りにつくのを悔しがって置き台を睨み付けまた台を何周もして何度を口をガシャンガシャンして置くのかと思ったらグーっとまた下がって、また台を睨み付けてガシャンガシャンやってこれを繰り返して最後に獅子は台に置かれました。この田尻の獅子舞のクライマックスは見ている誰もが鳥肌を立てていました。祭り全体としてはこいこい祭り、ぐず焼きまつり、大聖寺さくらまつりなどに到底及びませんが出し物単体としては田尻の獅子舞が加賀市ナンバーワンです。1970年代後半に加賀市でひとつの祭り(かがしフェスティバル~かがしまつり)をやっていた時期がありますがそこで舞われた田尻の獅子を街の人達が目を丸くして見ていたのを思い出します。