佐渡島はなぜ「日本の芸能の縮図」なのか?獅子舞と鬼が融合した鬼太鼓を見てきた

2022年6月25日、新潟県佐渡島に行ってきた。なぜ日本海の孤島に民俗芸能は次々と集積され、芸能における日本の縮図とまでに言われるようになったのか?その理由について調べるとともに、鬼と獅子舞が融合した佐渡の民俗芸能の顔・鬼太鼓の真相に迫る。

佐渡島はなぜ、芸能のるつぼなのか?

新潟県佐渡島には、「日本の芸能の縮図」があると言われている。奈良時代から中世末期まで、流刑地として様々な文化人(記録に残るだけで70数人)が流され、現地住民との接触があったからだ。有名どころでいえば、順徳天皇日野資朝世阿弥などである。

また、江戸時代に佐渡は金銀銅が産出されるということで天領とされ、幕府の直轄地となったために、奉行や用人交代、金銀銅の輸送に関わる佐渡地役人と江戸との交流が活発化された。また、西回り航路や北前船の着船記録も多い。これらの背景から、外から文化が流入することになり、どんどん文化は島から出て行かずに蓄積したため、民俗芸能もかなり多様になったと考えられる。ここで言う民俗芸能の分類としては、神事芸能、風流、獅子舞、盆踊り、人形芝居、地芝居、能楽狂言、門付け芸、大道芸などが挙げられ、日本のほとんどの芸能分野を網羅していると行っても過言ではない。獅子舞のバラエティも豊富で、田んぼの中を突き進む一ノ宮まつりの獅子や、暴れて海に突っ込むという沢崎まつりの獅子などもある。

佐渡の芸能の始まりは現存する資料で最も古いものが1351年の長安寺文書で、久知郷の初代地頭の本間直泰の祖父・貞泰が長安寺の舞楽に対して、興行費用の補填のために田地を寄進したり、領内での舞楽の演舞を許可したりというものであった。この時の舞楽がどのような形態のものであったのかはわからないが、のちの久知八幡宮で9月15日に行われる祭礼行事である花笠踊り、小獅子舞、鬼太鼓などに影響を与えたとも言われている。また、久知郷の6代地頭の本間時泰の時に、芸才ある者に奈良春日大社の神事能、京都賀茂社の鹿舞などを習得させたという話もある。

佐渡で最も身近な民俗芸能・鬼太鼓

数ある民俗芸能の中でも、佐渡の全域に見られて最も身近な民俗芸能といえば、鬼太鼓であろう。鬼太鼓はなぜ佐渡島で流行したのだろうか?その起源ははっきりとわからないものの、延亨年間(1744~1748年)の相川まつりの絵図には鬼太鼓が描かれており、金銀山の抗夫が鬼の面をかぶって太鼓を打ったという記録が蔵田茂樹『恵美草』(1830年)、川路聖謨としあきら)『島根のすさみ』(1840年)などに散見される。このことから、佐渡の鬼太鼓は相川から発生したのではないか?とも言われている。

また、京都では公卿の山科言継卿が執筆した『言継卿記』という日記の中で、1559年正月18日に「隠太鼓」の記述があり、「隠」は「鬼」の訛りであることから、この頃にはすでに京都で鬼太鼓が2人で演じられたということが明らかにされている(後藤淑の論文『鬼太鼓』より)。

佐渡鬼太鼓は主に相川系、国中系、前浜系の3種類がある。相川系の鬼太鼓は豆をまく翁が登場するのが特徴で、相川、沢根、二宮、八幡、真野、西三川など真野湾沿岸に伝えられた。一方で前浜系は太鼓と笛に合わせて2匹の鬼が向かい合って踊るという特徴があり、地面を強く踏む反閇(へんばい)の所作がある。これは豆まきの起源でもある追儺行事の所作を連想させるほか、土地の精霊や悪霊などを踏んで抑え込む鎮魂の精神的な動作で陰陽道修験道にも関わりがある。この形態は前浜地域の松ヶ崎、多田、丸山、小倉、莚場、徳和、岩首などに伝承されている。国中系は今回訪れた新穂天神まつりのものをはじめとしてかなり数多く分布している形態だ。悪者の獅子を鬼が退治するという鬼の悪魔払いが特色となっている。この構図は石川県や富山県で流行している加賀獅子の獅子殺しに類似しているように思える。そして能登や氷見に多く見られる加賀獅子の天狗と、佐渡島の鬼太鼓の鬼は同じ役割を担っているのでは?と個人的には考えている。これに関しては鉱脈のモチーフであり佐渡では絵図として見られるムカデという存在が、富山県に存在する百足獅子と何らかの文化圏を共有していたのではあるまいか?獅子舞の頭や蚊帳のデザインから推察するに、佐渡富山県の獅子舞は似ているようにも思われる。この形態は主に国中地域に伝承されている。

この3種類に属さない鬼太鼓もある。城腰の花笠踊の中に登場する鬼太鼓において、鬼は鉱山の地下で働く者を模して、腰をおろして小刻みに足を運ぶというのだ。また、太鼓の黒い紋を見て嬉しげにバチを使う様子は、鉱脈を探し当てて穴を開ける様子を所作として芸能に取り入れた形だという。これは鬼太鼓の初期の面影を今に伝える貴重な無形文化財と言えるだろう。

獅子を阻止する鬼は何に由来するのか?新穂天神まつりの様子

6月24~25日の日程で行われる新穂天神まつり。「チョーサヤ、チョーサヤ」の掛け声とともに行われる提灯行列や神輿、そして締めくくりの鬼太鼓が行われた。興味深かったのが提灯行列や神輿がお寺や神社、お堂や交差点などで3回回るという決まりを守っていること。これは富山県魚津市で取材した行道獅子が神輿などとともにお堂の周りを回ることとどこか共通点を感じた。鬼太鼓は2頭の獅子をお堂に入れないように、黒髪と白髪の鬼が相互に対峙して、腕を高く上げるなどして獅子の侵入を阻止していたのが印象的だった。獅子殺しをせずに獅子を通行止にする発想は、富山県北部に見られる天狗と同じ役割と言えるだろう。北陸一帯に修験者か何かのネットワーク、文化圏があったようにしか思えず、この文化的繋がりと壮大なドラマに、謎は深まるばかりだった。

参考文献

佐々木高史『佐渡のまつり』(2018年10月)

両津市郷土博物館『佐渡ー島の自然・くらし・文化ー』(1997年3月)