7月3日
本日は石川県加賀市南郷地区の3つの町の獅子舞を取材させていただいた。橋立町公民館長の吉野さんにお電話と送迎をしていただき、各町の区長さんなどにお会いすることができた。その時に伺ったお話を以下にまとめておく。
①黒瀬町
区長の松本修さんにお話を伺った。コロナ禍では祭りができず、奉納の舞だけ行った。祭りは春と秋に行われ第2日曜日に行う。農家が今は20軒ほどあるが、昔はもっと多かったので、祭りも農耕的で五穀豊穣の意味も強い。青年団の先輩たちが担い手となっており、青年団だけでは行っていない。昔は笛も棒もあったが、今は太鼓しかない。獅子頭の耳が立っており、鬼のような形相だが、雌獅子である。ただし、舞い方は激しくて暴れ獅子があり、舞だけを見ると雄獅子のようだ。蚊帳の中に入る人は2人。太鼓2人と合わせて、4人は少なくとも必要である。1日で200軒回る。ご祝儀の額は決まっておらず、人によって金額はバラバラだ。役員は5000~10000円を出す人が多い。よその町の人が見にきて、500円玉をひょいっと渡してくれたこともある。獅子頭や蚊帳はいわれがあるわけではなく、その時の青年団の好みで作っている。昔の獅子頭の髪は白かったが、今は黒い。昔、結婚式に呼ばれて獅子舞を行なったことがある。また、保育所で舞ってほしいと頼まれたこともあった。獅子舞の祭りが終わると、男女が蚊帳の中に入ってごちゃごちゃやったと言われている。最近は若い人がいなくなったので、高校生にアルバイトとして舞ってもらったこともある。伝統行事なので受け継がなくてはいけないという義務感もある。ただ、春の祭りを簡略化(舞いを短く)して秋に重きを置くなど、人口減少下でも工夫して実施しているようだ。
②中代町
区長の西出崇春さんにお話を伺った。耳がでかく、目がでかい。ぎょろっとした獅子頭を持っている。30年前には少なくともあった獅子頭なので、どこで作ったのかなどは分からない。襞の多さや顔の凹凸の少なさなどが井波由来の獅子頭に似ているように思える。記憶では、50年以上は獅子舞を実施している。3月17日と8月17日にお祭りを行なっている。獅子頭1人と尻尾1人と太鼓2人で最低4人いれば、獅子舞を実施できる。この点では、黒瀬町と一緒である。舞い方は1種類であり、ご祝儀の額などによって舞い方を変えることはしない。太鼓をドンと叩いたら起きる寝獅子の舞い方である。暴れ獅子ではないので、あまり獅子頭をぶつけて壊れるということはない。昔からの獅子頭ではあるが比較的新品に近いほど綺麗である。コロナ禍でも獅子舞だけはなんとか行いたいと考えていて、夜の盆踊りはできそうにないが、奉納の舞いはできたらと考えている。
③吸坂町
区長の八日市泰隆さんにお話を伺った。鶴来の知田工房で昭和62年に獅子頭を作ってもらった。凹凸のない綺麗な丸顔である。お祭りの日は9月15日と決まっている。コロナ禍では、獅子舞を実施できていない。蚊帳の中に入るから、感染が心配のようだ。ご祝儀をいただかなくても、全部の家を回る。空き家や留守になっている家は簡易バージョンで舞う。町内は約40軒の家があるが、年々少なくなっている。ゆっくり舞うのと「早舞」と呼ばれる早い舞いという2つの種類があり、簡易バージョンの場合はゆっくり舞うのみで終わる。「早舞」は走るという動作もある。玄関の中に突っ込むかは頭次第で、厳密に舞い方が決まっているわけではないので、獅子頭を持つ人の動き次第であり、他の人はそれに合わせていくスタイルである。笛を吹く人はいない。棒振りや笛がある場合は、雌獅子のことが多い。中学生から獅子舞に参加でき、蚊帳の尻尾持ちから始める。20年間、獅子舞が途絶えてしまったことがある。今、70歳くらいの方が40歳くらいの時にやめてしまったので、単純計算でいくと、今から30年前のことだ。それから、獅子舞を復活させようという動きが強くなって、昔獅子舞を実施していた方に習い、獅子頭を新調した。獅子舞の動画は残っていなかったが、覚えている方に教えてもらって復活した。獅子舞の中には3人入る。尻尾を持つ人は蚊帳の中だと暑いので、蚊帳の外で舞うことも多くある。