【2021年7月】石川県加賀市 獅子舞取材1日目 大聖寺本町

2021年7月1日

今年度も石川県加賀市の獅子舞取材が始まった。本日より1週間程度、加賀市に滞在して獅子舞を重点的に取材し、適宜ブログを更新していくこととする。初日は大聖寺本町の獅子舞を取材。区長の敷中さんに獅子頭の保管場所にご案内いただき撮影を行い、薬屋を経営されている山口晃平さんに獅子舞のお話を伺った。どんなお話が伺えたのかを振り返る。

 

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まず獅子頭は本町公民館に保管されていた。獅子頭が収納されていた木箱には、「昭和◯三年四月新調 井波町 渓久平刀」の文字が書かれてあった。富山の井波の彫り師に作ってもらったようだ。尻尾は2本あり、新しいものは真っ赤な色で、古いものは色が褪せたのかオレンジ色のような色だった。鼻の下に金、黒の順番で着色されているのが富山らしいデザインだと感じた。

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次に、獅子舞のお話を伺った。獅子舞は大聖寺の桜まつりのみで開催されている。青年団(&壮年団)は12~3人で構成されており、高齢化が進んでいて50歳くらいの方まで所属しているという。基本は皆、舞いを覚えているので、練習はせずにいきなり本番でも対応できている。

 

▼いただいた資料とDVD

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本番のご祝儀はバブルで景気が良かった時などに1万円札がよく入っていた。しかし、今では3000円が平均で、5000円出す人がいたら多く出してくれたという印象のようだ。獅子舞の演目は1つで、それをどこまで演じるかということで3パターンくらいに分かれている。大勢の観客がいたり、ご祝儀をたくさん出してくれたりした場合は長く演じるようだ。獅子舞は玄関の中まで入ることもある。

 

また、この大聖寺本町のもっとも特異な点は、空き家の前でも獅子舞を実施することである。特にご高齢の方に顕著な傾向として獅子舞は厄払いの意識が強く、留守にしていても舞ってほしいという要望が強かったためにこのような習慣が始まったという。また、このような場合は後日ご祝儀をもらいに伺うということもあるそうだ。また、ご祝儀は獅子舞だけでなく、さくら祭りで神主が巫女を連れてお祓いをしに家の前にきた場合にも渡す。

 

舞う時は昔は色々な町内を回っていたのだが、今では大聖寺本町のみを舞う。最初は他の町もやっているから獅子舞をやろう!という雰囲気もあり、他の町の獅子舞を見る機会も多かったが、今ではそのような機会も多くはないそうだ。

 

獅子舞を始めたのは2~3世代上、100年くらい前の話で、山本さんという方ともう一人の方が始めた。どこから習ったかは、もう初期メンバーが亡くなってしまっているので、よくわからない。ただし、獅子舞ではなくお囃子は大聖寺中町から習ったという。獅子舞よりも、お囃子の方に力を入れているようである。メインはお囃子で、獅子舞は賑やかしというイメージだそうだ。通常は獅子舞よりお囃子の方が演者が大変で、若い担い手を揃えなくてはいけないのでその点で廃れる地域が多い印象もあるそうで、お囃子が盛んだというのは貴重である。

 

また、お座敷由来という点では大聖寺関町の獅子舞とも似ているようだ。お囃子も獅子舞も元はお座敷で行われていたものに由来し、それだけ大聖寺本町という地域が大聖寺の城下町の中でも裕福な町だったということだ。それもあってか祭りにもプライドを持って取り組んでいたのである。昔は、お年寄りが集まる古民家があって、畳があってお座敷のようになっていて、そこで踊りが行われていた。今のようにコミュニティースペースやカフェがサードプレイスになっていたのではなく、地域の家が自然とサードプレイスになっていたということである。

 

大聖寺の面白いところは、昔の古地図がそのまま残っているところ。ドローンで上から町を写してから、古地図を頼りに町を歩こうという企画も行っているようである。本町の本とは「本当の町人がいる町」という意味であり、隣の京町は「京都から職人が来た」というのが、名前の由来とのこと。この本町と京町はお城に一番近い町でもあったのだ。やはり、城下町で文化は盛んに花開くということが再確認できるエピソードである。祭り以外にもお菓子屋が残っているなど、様々な文化が今でも残っている。