福井県勝山市にあるブータンミュージアムに行ってきた

ブータンという国に興味を持っている。2015年に建築や祭り等の調査のため2週間ほど滞在したことはあるが、それ以来訪れることができていない。昨日はコロナ禍でもブータン気分を味わいたいということで、昨年リニューアルオープンした福井県勝山市ブータンミュージアムに行ってきた。そこで知ったブータンの魅力やブータンと日本との関連性・似ているところなどについて言及したい。ブータンは1960年代まで鎖国状態だった稀な国で、国際交流はほとんどない国だったが、照葉樹林が生い茂る点では日本と植生は類似しており、生活文化に似たところがある。実際にブータンの芸能を見ても、獅子舞と似た獣の仮面を被った祭りがあるなど大変興味深い。実際にブータンミュージアムで知ったことをここに記す。

 

カフェでブータン流の料理をいただく

ブータンミュージアム福井県勝山市にあり、えちぜん鉄道勝山永平寺線の発坂駅から徒歩7分の場所にある。車でも勝山ICからすぐの場所なので、アクセスはしやすい。鉄道沿いにルンタというチベット仏教の旗がはためく家を見つけたら、目的地はもうすぐそこだ。カフェとミュージアムが併設となっている。まずは、お昼からランチを食べておらずお腹が減っていたので、15:30の遅めのランチをいただいた。

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 日替わりのランチを頼んだら、多くは日本食だったが、ブータン料理のケワダツィを出してきてくれた(写真右下)。ダッツイはチーズの意味で、いわゆる唐辛子とチーズの煮込みだ。辛くて美味しかった。食材は朝市で買ってきたり、無人の野菜売り場で買ってきたり、自分で育てたり。こういう自分の身の回りのもので食材を揃えるのがブータン流とのこと。カフェのまわりには自家栽培の野菜が植えてあり、自分達が食べるものだけつくっていた。食べたのは日本食だが、作り方はブータン流。なかなか深いと思った。

 

ランチを食べながら、ミュージアムを運営するNPOの方にお話を伺った。ブータンミュージアムは常設だと、ここ、福井県だけ。お寺になっているブータンミュージアムだと四国にある。あとは、鹿児島県に一部ブータンの展示をしている博物館があるのと、ネットのみの博物館があるという。また、ブータンと勝山の違いについて似ている風景がたくさんあるとのこと。個人的には、山と山に挟まれて川が流れている感じがブータンそのままだと思った。(後ほどミュージアムブータンの地形をミュージアムの展示で見ると、まさに谷と山ばかりで平野がない。そのような印象を受けた。)NPOの写真家さんが勝山に似ている場所として、プナカやパロ、ジャッカル等を撮影されているのがとても興味深かった。歩くと目線が低くて色々丁寧に見えてくる。そういう意味で、これからも歩くことを大事に土地に向き合いたいと思った。

 

ブータンミュージアム1階でお話を聞く

2011年にブータン国王が日本にきて、その翌年2012年にブータンミュージアムを作ったそう。2011年といえば、東日本大震災の年。ブータン国王ご夫妻が慰霊のためにお祈りのために、来日された。その時の様子を聞いて感激した福井の知人とともに、ブータンの国王代理の方を呼び、最終的には大臣の許可をもらってブータンミュージアムを福井に作ることとなったという。

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絵画や写真の額の装飾処理がとても素敵と思った。日本の装飾はとにかくシンプルに茶色とかもおおいなかで、ブータンは国全体が色に溢れている。紫外線が強い分、色が明るい。日差しが強いと色が飛んでしまうから派手に仕上げるのだろう。お坊さんの色(オレンジ)と国王の色(黄色)、そこに雷竜がいるのが、ブータンの国旗。天に巻き上げられる、神や仏の力で砕かれてしまうなどの精神を勧善懲悪で表現しているそうだ。

 

また左の棚に並べられているブータンの仮面は十二支。丑だけ目玉が3つあり、骸骨が付いているものもある。これは日本の獅子舞の源流にある中国五台山などで行われる跳鬼の祭りの面を連想するようなデザインだ。何か繋がりがあるかもしれないので、これは後程詳しく調べておきたい。日本の面に似ているのは、トルコから来たような鼻が高い面と、おばあさんの面の2つ。あまり派手ではなく、能に出てきそうである。ちなみに、オマツリの衣装も3つ目。悪いお坊さんをよいお坊さんが退治するためにきて、一緒に踊る。最後に剣でグサッとやったという仏教の言い伝えを表現している。 

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ブータンの絵画文化は、絵画の派閥や学校のコミュニティの延長に成り立っている。絵画を描く決まりが定められていて、日本で言えば琳派風神雷神と同じイメージだろう。しかし、そのタイプのアートしかない。日本のアートは多様化している一方で、ブータンは伝統をひたすら受け継ぐという感じのようだ。実際に僕も2015年にブータンを訪れて子供が通っているアートの学校を見学させていただいたことがある。病院を改装して作った学校だった。今回の展示では、虎にのってきてタクツアン僧院にお寺を開いたグルリンポチェの絵画があった。100万円単位でつくってもらったそうだ。かなり高価である。

 

ブータンの衣装はとても美しい。お参りするには、衣装を伝統的なものを着ないといけない。男性はゴとキラだ。マニ車を回して功徳になるというお祈りをする。お祈りのとき、日本は個人のお願いをするが、ブータンでは世界の人が幸せになりますようにと祈るそう。これが、幸せの秘訣かもしれないとのこと。

 

ブータンミュージアム2階でお話を伺う

ブータンの山の写真が飾られていた。ガンガプンスムは世界でもっとも高い未踏峰の山で、ブータンの最高峰でもある。これが、加賀の白山と写真で並置されているというのはとても興味深かった。また、ブータンのサッカーは南アジアのチャンピオンにもなったそう。ユニフォームや靴なども展示されていた。

 

ブータンで農業開発を進めた西岡けいじさんの展示もあった。現地の人間がやれることをやらせたというのが大事な考えだったそう。日本の技術をそのまま持ち込むのではなく、ブータン現地の生活文化を重要視したという。その功績もあり、ダショーという特別な称号をもらったそうだ。衣装も特別な人しか作られない赤の布をつける。

 

また、ブータンの織物は特別な加工がされている。表と裏のデザインが全く異なっており、裏面には糸が出るような折り方をしている。これは、日本の西陣織やっていることを何百年も前からすでにやっていたのだ。手と足を精一杯使って仕事をしている写真が印象的だった。巾着袋のようなカバンもつくられていた。

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ブータンの切手製作についての展示もあった。切手製作は国策だそうだ。観光客向けのオリジナルの切手もつくってくれるそうである。使うよりは飾る用の切手という方が正しいかもしれない。国際の郵便法に加入して流通経路を確保しつつも、ブータンという長い間鎖国をしていた国ならではのオリジナルの切手を作った。これは経費もあまりかかるものではない一方で、観光客はブータンの物価では考えられない大金を払うので、外貨獲得のために有効な知恵だったのだ。これとともに、ブータンのことを国際的に知ってもらう機会にもなった。最初の郵便局を作ったのが、1962年。ここから始まったので、かなり最近のことである。ちなみにこういう丸型の切手もあるらしい。とても驚いた。

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ブータンから移住した方の話。

ブータンから移住して、この勝山でミュージアムのスタッフをしている方がいるというので話を伺った。小学生のときにブータンで撮ってもらったとある一枚の写真がきっかけだったそうだ。何年も後に、ブータンミュージアムのポスターに使いたいということで話が来たとのこと。その縁もあり、1年前からブータンミュージアムのスタッフやその関連会社で働いているようだ。それにしても縁もゆかりもない日本に、1人ブータン人として移住するというのは、このミュージアムと勝山を魅力的に感じた結果だろう。

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やはり、ブータンミュージアムと勝山は桃源郷というにふさわしい場所たった。田んぼにツルがいて、山に囲まれ谷がある。柔らかでゆったりとした空気感が感じられ、まるでブータンに来たような感じた。改めてブータンに再訪して、その生活文化を書き留めて写真に残したい。いまなら6年前の自分と感受性も多少変わっているだろう。そのようなことを考えながら、ルンタのたなびくブータンミュージアムをあとにして、田んぼのなかをあるき、えちぜん鉄道に乗って福井駅市街へ向かい、帰路についた。