【2021年3月】石川県加賀市 獅子舞取材 大聖寺敷地町 冨塚町 下河崎町

今年度最後の石川県加賀市獅子頭取材を行った。小学生向けの獅子舞の本(2020年度版)の作成に向けた最後の取材だった。本の打ち合わせやイベント出店(カガコレ@竹の浦館)などもあり、とても充実した3日間の滞在となった。その最終日(2021年3月4日)に、大聖寺敷地町、冨塚町、下河崎町の3地区を取材させていただいたので、その内容を主に振り返る。

 

大聖寺敷地町

加賀市の獅子舞の中でも一番古い地域の一つとして、敷地町が挙げられることが多かった。ぜひ取材させていただきたいと思い、山口美幸さんにアポを取っていただいた。敷地町の役員をされている藤野幸三さんと青年団に関わっておられる小坂貴行さんに、敷地町公民館にてお話を伺った。ライター仲間のおばたみなこさんにも来ていただき、今回の獅子舞取材などを題材にしたYoutubeの撮影もしていただいた。その時に伺った話を記録しておく。

 

この地域の獅子舞は、春と秋のお祭りの時に行う。秋の獅子舞の流れが特殊で、加賀二ノ宮である菅生石部神社で奉納の舞をしてから、町内を回り、最後に田んぼで終える。この地域は農村地帯だったので、収穫感謝のお祭りだ。昔は、結婚式で「ノミの舞」を披露したこともあった。これは、東山田町の「ノミ取り」の舞いと同じ方かもしれない。獅子頭の特徴は顔が縦に長くて奥行きがあり、目が大きく、角が小さい。そして、髪は赤い。明治三十五年に作られたかなり古い獅子頭で、どこで作られたのかは不明。獅子頭の裏側には、「塗り師 佐藤寅吉、彫り師 材谷喜三郎」とお二人のお名前が彫られている。また、獅子頭の底面に取っ手がついているので平行に置くことが難しく、撮影をしようとすると少し傾いてしまう。この作りの獅子頭は非常に珍しい。大聖寺の菅生町の郵便局に飾られている獅子頭に似ている。獅子舞は現在、休止中だ。

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そのあとは天気が良かったので、車で菅生石部神社に移動して撮影。宮司さんにお話を伺ったり、獅子頭の写真撮影をさせていただいたりもした。門は随身が左右に控え、神様をお守りするという形である。江戸時代の終わりに、前田藩の山上善右衛門嘉広さんの系統の大工さんが手がけた門とのこと。門のところに掛けられていた絵馬が履物(下駄)の形をしており、正面で履物(下駄)を履き替えてお参りをして、後ろの門から出ると病が治癒するというお話にちなんで、履物(下駄)の形をしているとのこと。また、この神社は街道沿いに位置しているので、旅の安全や健脚になるという願いも込められているようだ。また、境内には県で二番目に古い狛犬があり、1600年ごろに作られた。前足が取れてしまっているので、土にのめり込むように置かれている。神社と竹割まつり(御願神事)は1300年の歴史がある。

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②冨塚町

冨塚町は獅子舞が盛んだと聞いて、山口美幸さんにアポを取っていただいた。青年団団長の木村脩生さんにお話を伺った。団長がなんと22歳!青年団が若いのが特徴である。青年団のLINEグループに入っているのが15人で、そのうち獅子舞のために稼働しているのが10人とのこと。青年団には高校1年生に入り、25.6歳で卒業する。冨塚町の青年会館で撮影させていただいたのだが、提灯の数と大きさにびっくりした。祭りは8月17日、18日で行う。7月中旬から1ヶ月ほど練習をする。獅子舞が町内を回るのは18日のみ。午前3時半くらいから準備を始め、午前5時くらいから町内を回り始める。夕方までで1日で100軒回る。獅子舞の演目は2部制となっている。棒振りは2人いて、それぞれが1部・2部という風に舞う。ご祝儀を払った人は値段と名前が木の板に書かれて張り出される。回る数は100軒以上である。基本的にはお金を出す人は変わらないが、金額が変動することはある。獅子舞の尻尾の木の材質が珍しく驚いたが、材質についてはわからなかった。獅子頭は2つあり、軽くて古いほうが練習用、重くて新しいほうが本番用となっている。

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ps. 2021年3月8日追記

冨塚町の獅子舞に関して、山口美幸さんが木村脩生さんのおじいさん(木村政幸さん)とおばあさん(木村富美子さん)から詳細なお話を聞いてくださった。『富塚史』によれば、獅子舞の由来について、白山麓より中谷忠作氏達が青年団時代(大正期)に習ってきたのではないかと言われ、それを出村春一氏が野田村に伝承したとされる。ただし、白山市ではなく粟生(能美市)から獅子舞が伝わったという話もある。毎年8月18日の秋祭りの他、4月10日に行われる「焼祭り(やきまつり)」でも獅子舞が行われる。これは冨塚大火の供養の意味があり、夕方5時頃から役員宅約8軒と火を出した家を回り獅子が舞う。今51歳の息子さんがなぎなたを振る(棒振りとは違う)とき、亡くなったおばあちゃんが赤装束と青装束の2人分の装束を縫って奉納した。赤はなぎなた用で、青は棒振り用である。その後は孫が役を引き継ぐことになり、今度はそのおばあちゃんが2人分縫って奉納した。

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ps. 2021年7月7日追記

木村政幸さんと木村富美子さんに追加で取材を行なった。

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その時にいただいたメモを貼り付けておく。基本的には、この内容に沿ってお話を伺った。今年はコロナ禍でも、8月17日に獅子舞を行うかもしれない。衣装は前の人の作ったのを見て、基本的に手作りで行なっているようだ。富塚の獅子舞の青年団が若い理由としては、祭りのために若い人が帰郷するからかもしれない。若い人が多い分、アイスクリームの差し入れを出してくれる家もある。

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③下河崎町

南郷地区の取材が十分にできていなかったこともあり、吉野裕之さんに下河崎町の区長である菅村修一さんにアポを取っていただいた。吉野さんと山口美幸さんに同行していただき、下河崎公民館にて獅子舞の撮影を行った。獅子頭は2つあり、新しい方は非常に大きく、井波で作られた。ぎょろっとした、かっこ良い表情をしている。鼻の塗りがはげたので、鶴来で修理をお願いした。古い方は髪の毛が抜けており、紐が髪の毛のように見立てて付けてあった。ベロが上に少し反っている。蚊帳は小さいが、中には2人入る。

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獅子舞は、昭和30年くらいに菅生町に習いに行った。春祭りで3月中旬ごろに行う。朝は8時から始まり、半日で終わる。青年団は4から5人しかいない。演目は2つで「マイ」と「マクリ」がある。舞は寝ているのを起こしてから暴れるような感じ。昔は今よりかなりゆっくり舞っていた。交代で10軒ずつ舞うが、重い獅子頭で祭が終わる頃には腕がぱんぱんになったそうだ。合計で50軒まわる。昔は家でやる結婚式で獅子舞をやった。「おめでたいことをやる」とかけて、「鯛をとる」という所作があった。獅子頭の口から手を伸ばして新郎新婦の間に置かれている鯛をとるということだ。現在は太鼓を叩ける人が少なくなったという印象がある。4月以降、Youtubeの配信や獅子舞のパネル展示も検討しているとのことで、ぜひ関わらせていただけることがあればと思っている。

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今回は実質3日間と短い滞在であったが、毎日とても充実した滞在となった。今年度末には獅子舞をまとめた子供向けの本が出来上がる。山口さんと吉野さんとは、最終調整に向けた会議も行った。今後の仕上げに向けて修正点を直して、後ほどお披露目したい。改めて、地域の皆様にとてもお世話になった滞在であった。

 

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ps. 石川県加賀市の竹の浦館にて3月末まで開催中の「カガコレ」。搬入が完了しました!ぜひ獅子舞のブースにお立ち寄りください。写真集「我が愛しの獅子鼻」、獅子舞Tシャツ(緑·白)、獅子舞の写真等を販売しています。もし在庫がなくなっていた場合、お問い合わせいただければ郵送します。ネットショップからもご覧いただけますのでぜひご覧ください。よろしくお願いいたします。

 

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本記事の写真:山口美幸さん, おばたみなこさん

 

おばたさんのyoutube 「みな旅チャンネル」はこちら。最近まで日本一周の旅をされていたようです。https://m.youtube.com/channel/UCL8OBoIeX6I_67EeOBfKcdA