2020年2月の獅子頭撮影をした際に見たこと、聞いたことをここにまとめておく。ブログ記事というよりかは一次資料に近い形で、とりとめもなく情報を羅列しておきたいと感じ、ここに記す。
2020年2月23日
合河町毛合 (団長・なかみちさん)
合河町川尻は以前撮影したのだが、青年団からinstagramにメッセージがあり、「毛合にも獅子舞があるんです」ということで撮影に伺った。川尻と毛合はもともと別の町だったという。2つの獅子舞が出発する神社の距離がかなり近く、同時に祭りを開催したら盛り上がったとのこと。ここでは、サンバさんを使用し、カラフルな紐のついた棒を子供達が祭りで使用する。子供達が白装束を身に纏うのが印象的だ。獅子頭は井波で制作しているという。
2021年3月3日追記
地域にお住まいの橋本弘之さんより。
毛合白山神社は片山津由来の神社で、「けあいはくさんじんじゃ」と読む。「けあ」よりも「けあい」の方が地域にとっては読み方に馴染みがある。小学校4年生から獅子舞に参加する。玄関の土間まで入って踊る。
2020年2月23日
瀬越町 (いりふねさん、団長・三丈さん、副団長さん)
一刀彫りと繋ぎで作っている獅子頭があり、一刀彫りの方が値段が高い。舌がくっついているものと取れているものが存在する。檜を使っているため、肌が荒れることがあるという。女性は、昔は獅子舞に参加することができなかった。その理由は、「獅子舞を触らすこと=汚れを触らすこと」と考えられていたからである。今は、時代に乗って、繋いでいくということが重要視されているため、女性でも参加可能ということになっている。昔は、獅子舞は楽しいから参加するという動機だったが、最近は使命感でやらなければならないという考え方が増えているので、参加する動機について再度考えていかなくてはいけない。春と秋に祭りがあり、春は3年に一回、大祭を行う。3年に一回の理由は、家庭に金銭的な負担がないようにするという配慮である。昔、この地域は北前船の交易などで、全国で3番目にお金持ちの町だったと言われており、石川県で1番早くコンクリートが導入された場所でもあるため、そのことを地域の人は誇りに思っている。
2020年2月24日
三谷(案内:久保出さん)
10:00 曾宇ソウ町 (斉藤区長さん、川崎さん)
10:30 日谷ヒノヤ町 (西口区長さん)
11:00 直下ソソリ町 (中野区長さん)
金沢大学文学部文化人類学研究室・近藤加奈さん(2004)「三谷地区の獅子舞」によれば、曾宇と日谷の獅子舞の起源は日谷の住民のM氏の親戚である大聖寺下福田の島崎三郎さんに舞い方を習いに行ったのが始まりとされている。また、直下の獅子舞の起源は昭和初期に橋立地区田尻町に習いに行ったのが始まりとされ、田尻町は直下と同じく菅原神社である。獅子頭に関しては曾宇が獅子吼での制作、直下が山下耕作氏の寄贈(1936)の後買い替え(2003)という情報があった。
ps. 2021年4月30日追記①
日谷町では町民の方が見れるように写真集『我らが守り神 石川県加賀市の獅子頭たち』を共同浴場に置いてあり、
ps. 2021年4月30日追記②
2021年3月、写真集制作にあたり追加のヒアリングで、曾宇町と日谷町の違いに関して、以下のことがわかった。日谷町より曾宇町の方がゆっくりと舞う。日谷町では獅子舞は徐々に玄関に近づき、玄関の中に入った状態で演目が終わる。一方で、曾宇町では獅子舞を行うときに太鼓を玄関の中に入れて、棒振りのスペースを確保する。
2020年2月24日
熊坂町(北出さん、団長・中谷さん)
みきのこという団体によって、周辺の町と合同で獅子舞を子供達に披露するイベントが開催されている。普段は怖い獅子舞でも、馴染みやすく感じられるとのこと。驚いたのは、獅子の胴幕がものすごく長いことだ。踊る際には、7人が中に入って、獅子を動かすとのこと。ちなみに、個人的には髪の毛がパーマのようにクルクルしているのが良かった。
2020年2月25日9:00
南郷町(小谷さん)
前田利家の家来に岡島という人物がいて、その人が亡くなった場所とされており、前田の巨大な幟旗が残されている土地。2頭の同じデザインの獅子頭が存在して、買い替えの際に全く同じものを再現したと思われる。獅子頭は井波で作っているとのこと。神社の階段はとても急で、社の数が多い印象だ。町の人は獅子には関心が薄く、幟旗に対してはかなり誇りを持っているように感じられた。獅子舞の祭りは毎年、春と夏の2回開催される。
Ps. 2021年3月4日追記
昔、納涼祭の時に南郷町7町の獅子が舞ったことがあった。南郷町の獅子舞の特徴は、太鼓とお囃子が祭りらしくて印象的なこと。棒振りと笛と三番叟のようなものもやっていた。
(下河崎町にて)
2020年2月25日11:00
石川県加賀市立中央図書館
僕の作った獅子舞本「我が愛しの獅子鼻」を寄贈
2020年2月25日15:00
金沢市波自加彌神社
金沢市役所に許可をもらい、金沢最古の麦喰獅子を撮影する許可を得た。宮司さんは木曽義仲の家来の子孫とのこと。実際に行ってみると、3体の獅子頭を拝見して、撮影することができた。富山県井波で作られた「養老獅子」は、角が曲がっていることを根拠に雄獅子と判断していた。また、八幡の大獅子は作者不詳で、雄獅子であるが現役を引退した際に魂を抜くために角を抜いたという。また、お待ちかねの麦喰獅子は金沢市指定文化財に指定されており、名称の由来は夜な夜な獅子頭が神社の近くの麦畑を食い荒らしたため、金網をかけて出られないようにしたからとのこと。獅子頭のルーツについて尋ねたが、下呂温泉にある狛犬博物館を作った上杉千郷さんの「獅子舞の起源」という本に出ているかもしれないとおっしゃっていた。石川県立図書館で調べてもらった所、「獅子・狛犬の源流を訪ねて」というタイトルの本ではないかとのこと。国立国会図書館に所蔵されているらしい。
2020年2月25日19:00
石川県立図書館・郷土資料の閲覧
石川県の獅子頭及び獅子頭のルーツを調べた。獅子舞自体が全国的に民衆に普及したのは、やはりどの本を見ても平安時代後期から鎌倉時代以降である。当時の藤原政権の衰退と、武士の台頭の時期とも重なるが相関性があるかは定かではない。以下、石川県立歴史博物館「獅子頭」を参考に書く。
最古の獅子頭は奈良の正倉院に伝わる伎楽用の九面で、天平勝宝4年(752年)の東大寺大仏開眼供養時のものとされており、七面が桐、二面が朴(ホオ)を使用している。また、法隆寺には、平安後期に作られた行道(僧侶がお経を読みながら歩くこと)の獅子頭が対で残っている。他には、広島県の御調(みつき)八幡宮のものが平安時代製作であるとのこと。
全国に残る鎌倉時代の獅子頭は、以下の8箇所に存在する。制作年含めて、明記しておく。ここで、初めて石川県の獅子頭が登場する。お隣の岐阜県にも2箇所登場している点は興味深い。
・弘安3年 1280年 三重県 伊奈冨(いなう)神社
・正安3年 1301年 広島県 丹生(たんじょう)神社
・嘉元2年 1304年 岐阜県 真木倉(まきくら)神社
・元享2年 1322年 石川県 津波倉(つばくら)神社
・嘉暦3年 1328年 熊本県 熊野座神社
※追記
建長4年 1252年 愛知県 日置八幡宮
年記銘がある日本最古の獅子頭「日置八幡宮木造獅子頭」が存在ことがわかりました。詳しくはこちらのリンクを参照ください。
ここからは、石川県と近隣に絞って、獅子頭の制作年と保管場所を見ていく。
・天文13年 1544年 七尾市 藤津比古神社
獅子頭は祭礼神事や芸能を盛り立てるという演じ手の「道具」であるのと同時に、職人の手を介して作り上げられた「彫刻」「工芸品」でもある。舞い手を失い、眠っているものも多く、その価値を再考できたらと考えている。舞自体の起源は、石川県志賀町徳田においているため、そこから南下して伝播していったと思われる。
以上、参考文献の内容である。獅子頭のルーツを探るには、まずどこで獅子頭が作られたのかを全国的に年代順に並べてみるという手法は有効だ。ここから個別の獅子頭に対してヒアリング調査を行い、さらに今後知見を深めていくこととする。
撮影した写真はこちらに掲載していきます
https://www.instagram.com/kagashishimai/