香川県の獅子舞が大集合!獅子舞王国さぬきを取材して考えたこと

日本全国を見渡せば、獅子舞が盛んな都道府県として、石川、富山、香川の3県が挙げられることが多い。ただ、そのなかで唯一取材が手薄だったのが香川県だ。関東圏からアクセスしようとすると、土日の飛行機代、あるいは新幹線代が高く、バスでも1万円かかることが多い。それでもやはり見に行かねばならない。どうせ行くなら獅子舞が一堂に会する場に訪問したい。そのような思いから、2022年11月6日、獅子舞王国さぬきを訪れた。

香川の獅子舞の起源

それではまず取材について触れる前に、基本情報として、香川の獅子舞がいつから始まったのか?について触れておきたい。香川県の獅子舞は中国の獅子舞の影響を強く受けており、平安時代南北朝時代に都の方から中国由来の獅子舞が伝えられたといわれているが、その詳細は定かではない。

最古の記録を辿る

文献で最も古い記録で言えば、室町時代の応永年間(1379~1427年)に書かれた富丘八幡神社縁起(小豆郡土庄町)に、永和元年(1375年)に放生会に使われる獅子頭が損壊したので彩色したと書かれている。放生会と言えば、奈良時代以来、日本の八幡系神社で行われているインド由来の殺生を戒める宗教儀式である。おそらくこの時代は八幡信仰が興隆したと考えられ、愛知県愛西市の日置八幡宮の日本最古の年記銘付き獅子頭は製作年が建長4年(1252年)と記されている。もしかするとこの八幡信仰圏が香川の獅子舞の起源に関わりがあるかもしれない。しかも放生会という儀式は殺生を禁止する目的で行われることから、形式的な生命に触れる行為としての獅子舞の存在意義も見出だせるというものだ。

その後の香川の獅子舞に関する文献上の記録としては、琴弾八幡神社(現観音寺町)において、享徳元年(1452年)の放生会における御配役記録が残されている。それには大行道の獅子の首に2人、舞車の役者に獅子舞、太鼓、小鼓、笛、狂言などが配された記録があり、この事から伴奏に合わせて舞う1人獅子がいたと考えられる。この獅子舞の記録から、四国本土には少なくともこの年代に、獅子舞が伝来していたことがわかる。そして、これも八幡神社での記録であることから、八幡信仰圏の足跡のようなものを感じざるを得ない。

また香南町由佐冠纓神社には永享9年(1437年)ごろに大獅子の記録があり、高さ165cm、横幅180cm、重さ150kg、目玉径15cm、鼻穴20cm、歯12cmの獅子頭があったという。それに加えて油単は長さ13cm、幅6mであり、竹のごんばりが7m×2本とある。江戸時代以前にこれほどまでの巨大獅子を持っていたというのはかなり珍しい。おみゆきのお供獅子として登場したもので、舞いに使われたわけではないらしい。

物的証拠で最古の記録

文献ではなく物的証拠という観点から言えば、大川郡水主神社(旧譽水町=現大内町)にある獅子頭の内側に文安5年(1447年)作、文明4年(1472年)彩色の記録があり、どちらも足利義政の時代のことである。獅子頭には着物を着ける穴があり、これを見ると伎楽の行道の獅子舞の系譜か、芸人の一人立ちの獅子舞のどちらかであろう。また、この獅子頭は木製であり、今日の香川の多くの獅子頭のように紙製ではない。

獅子舞が爆発的に増えた時期

今日のように地域コミュニティの中で受け継がれ、娯楽性の高い獅子舞になったのは、圧倒的に江戸時代末期以降である。それは今日の獅子舞の由来書の多くがこの時期を起源とするものが多いことからも想像がつく。比地中成行は天保14年(1843年)、親子獅子の綾南組は天保年間、丸亀金蔵寺三分一組は弘化元年(1844年)などである。その後の明治、大正、昭和時代における国の吉事、日清・日露戦争の勝利、天皇の御大典記念などの時期に爆発的に増え今日に至る。この傾向は石川県や富山県などとも近く、獅子舞伝承数が多い地域の特徴と言えるかもしれない。

獅子舞王国さぬきの役割

近年、香川県では獅子舞を各地域ごとだけではなく、集結させてお披露目するイベントも開催されつつある。最もそれが顕著に見られるのが、獅子舞王国さぬきの存在である。今回、2022年11月6日に開催されたこのイベントを訪れ、感じたのは「やっぱり香川の獅子ってすごい」という集まることで生じる熱気のようなものであった。司会の人が毎回「見所は?」と各団体に聞いていたのが印象的だったが、まさに自分たちの技を魅せ合い競い合う場でもあったわけだ。

今回はこのイベントの狙いなどについて、本部の十川(そごう)さんにお話を伺うことができた。

ー次世代への継承という観点から、このイベントが果たしている役割はどのようなことでしょうか?

十川さん: このイベントはまず、若手が活躍する場所です。若い担い手がテンション上がる場を作りたいという思いがあります。また、獅子組同士の交流を深める場所でもあります。過去の参加団体が出てくれるということが多く、多いときだと65組参加してくれた年もありました。

ー今年は23組とのことですが、コロナ禍での運営で困難なことはありましたか?

十川さん:やっぱり飲食ができないということですね。いつも出店が出るわけではないんですが、お酒を飲みながら獅子舞をすることができないなどの制約があるんです。

ーこのイベントが始まったのはいつからですか?

十川さん:2009年からなので、今年で14回目ですね。もともと商店街活性化のために広告代理店に持ち込まれた企画でした。獅子舞が盛んな土地なので、獅子舞で盛り上げたら良いだろうということで始まりました。私自身は1回目から舞い手として呼ばれ、4回目から運営にも関わるようになり、現在に至ります。

ー始まった頃と比べて何か変化したことはありますか?

最初の頃は自分たちの獅子舞を見せるという雰囲気だったのですが、徐々にこのイベントに来ることが目標になっていきました。つまり、最初は自分たちが地元の神社でやっているような舞いをそのまま持ち込んでいましたが、このイベントのために舞い方をアレンジして「魅せる獅子」も生まれてきたのです。

ー最初に商店街でやっていたものをこの栗林公園に持ってきたのですか?

最初は商店街のアーケードでやっていたのですが、お囃子の音が騒がしいということでお店の電話が聞き取れない人が出てきて、それならばということで、5回目から商店街でないところで開催することにしました。中央公園、高松港などを転々として、今行っている栗林公園は2回目です。

ー今後取り組んでいきたいことはありますか?

人手不足で辞めようかと検討している団体もあるので、このようなイベントを通じてもう少し頑張らなあかんなあと思ってもらえるようにしたいです。

ー色々な説があるかと思いますが、なぜ香川県は獅子舞がこんなに盛んなのでしょうか?

十川さん:伝え聞いた話では、神社に1つという意識があったこと、あるいは娯楽のない時代にお金が儲かるようになって始まったという話もあります。町ごとに競い合うような文化もありますね。

香川の獅子頭や油単づくり

また、獅子舞の演舞に合わせて、獅子頭や油単の展示、販売等を行っていたので関係者にお話を伺ってみた。

ー祭礼で使われる獅子頭はどのくらいの値段しますか?

5~60万円くらいですね。紙の張り子で作っており、持ち手の部分は木です。全体を木でつくる場合は少ないですね。塗りは漆で、カシューを使う場合も少ないです。獅子頭の工房は善通寺のかしまやさんなど、専業でされているところはありますが、かなり少なくなってきています。専業でできているのは修理が次々と来るからです。

ー油単作りはどうでしょうか?

染物屋さんが油単をつくっていますが、こちらもかなり数が少なくなっています。油単から派生してハンカチや巾着もつくります。油単は安くて90万円くらいなので、獅子頭よりも値段が高いです。他県は綿が多いんですが、香川県の多くは絹を使っておりかなり細かい柄が入るという違いがあります。最近はインクジェットで色を着ける場合もありますから、安いのも出てきてしまっていますけれど。昔から油単は大事なものをくるむという意味があり、油紙でくるむような感覚だったと思います。家具にかける布も油単ですね。

香川県の獅子舞の印象

まず今回の取材を通して、香川の獅子舞は鳴り物の数や種類が多く、音が高い印象が強かった。中国の爆音鳴り響く獅子舞の系統にも近そうだ。中国の獅子舞のように爆竹を鳴らすほどではないが、獅子舞王国さぬきの変遷について伺う限りでは、商店街が騒音に悩まされるほどの爆音が鳴らされていることは間違いない。中国の獅子舞は無礼講で音を鳴らしまくりだが、それが高松の商店街では受け入れられなかったという事実も興味深い。やはり、日本人は中国人に比べて静かな住環境を保ちたい民族なのかもしれない。それでも香川県は全国と比較すると断然鳴り物文化が根付いた背景には、お囃子や祭り魂が強い土地柄があるのだろう。

ものづくりの観点では、獅子頭は紙製、油単は絹製というのも面白く、多くは木製・綿製である。胴体が映える獅子舞という観点から言えば、金沢の加賀友禅の文化によって醸成された蚊帳の色使いの派手さを思い浮かべることもできる。蚊帳職人が「俺の作った蚊帳は獅子頭よりも目立っている」などと話していたことを思い出した。ただし、北陸文化圏よりも獅子頭の値段が安いのは、獅子頭の重量が軽く、その分舞い方が激しいという背景があるのだろう。また、北陸文化圏との共通点として、獅子頭の製作ワークショップが行われており、ダンボー獅子頭(通称:ダン獅子)の文化もあり、子供が獅子頭を作る、あるいは安いおもちゃの獅子頭を作って遊ぶという現象も見られる。

また足さばきの所作が美しい獅子舞も多かったので、お座敷獅子に近いとも感じた。石川県加賀市大聖寺という地域では、関所の役人から習った江戸の獅子が伝わっており、それが「お座敷獅子」と呼ばれている。大規模な祭礼が行われるにつれて、徐々に外での演舞に切り替わっていったものの、ゴザを敷いて足さばきの美しい獅子を舞うあのスタイルは依然として美しい。この獅子と香川県の獅子舞は全体としてスタイルが似ており、江戸後期に歌舞伎を取り入れた獅子舞のスタイルがそのまま受け継がれていると考えられる。

 

参考文献

高瀬町教育委員会「さぬきの獅子舞ー西讃地方を主としてー 」美巧社, 平成元年10月 

瀬戸内海歴史民俗資料館「香川県の民俗芸能ー平成八・九年度香川県民俗芸能緊急調査報告書ー」美巧社, 平成10年3月