【2022年1月】石川県加賀市 獅子舞取材 日谷町 直下町 曽宇町(追加)

2022年1月21日

13:00~ 日谷町

 

「町の中に2つの神社」

昔、日谷町には八幡神社白山神社があった。しかし、いつしか、八幡神社白山神社に吸収された。獅子舞は2つの神社を回っていたのが、1つの神社に属するようになった。白山神社だからか、雌獅子が代々受け継がれている。信仰形態が非常に興味深い地域だ。

 

由来

70年前くらいには既に獅子舞をしていた。雌の獅子である。

 

祭りの日

昔は春と秋で1日、祭りをしていたが、今では秋しかやっていない。昔は平日でも獅子舞をしていたが、今では獅子舞は休みの日にやる。昔日谷町の中には2つの神社があった。それが八幡神社白山神社だ。獅子舞も、白山神社から始まり、八幡神社、区長宅、町内の家々という風に75軒ほどの家を回って、最後は町民の家で終わるという流れだった。今では、八幡神社白山神社に吸収される形になったので、日谷町の神社は1つだけとなっている。また、町内から引っ越しをしていった人のところまで、大聖寺にいって舞に行くということもする。全て、1日完結の獅子舞である。ご祝儀は基本的に5000円以上で、区長になると2万円出すこともあり、ご祝儀の額によって舞い方を変えたり演目を増やすということはその時の状況によって判断する。ただ、近年は何曲もやっていては大変なので、極力1軒あたりの舞いの数は増やさないようにしている。お昼は青年団長の家に招いて食べていたが、今では大変なので仕出し屋に頼んでお昼を用意してもらって食べている。練習場所は昔は神社だったが、今では町民会館に移動した。練習を開始するのはお祭りの1ヶ月前くらいである。

 

舞い方

太鼓、笛、獅子3人、棒振りで行う。舞い方は4曲あり、シャンシャン、コンコラコン、キョウブリ、チョウチョウトマレなどをする。曾宇町よりは曲が一曲多い。コンコラコンの時に、魔除けなどの意味で玄関まで獅子舞が入ってくることがある。そして、中にいる人の頭を噛むこともある。また、獅子の中に入る人が少ないので、足を揃えることが重要だ。キョウブリの演目が最も値段が高い舞いである。

 

担い手

担い手は10人くらいいて、OBの人も関わっていて37~38歳でも関わることがある。昔は若い人だけでやっていたが、少しずつ年齢が上がっていった。担い手不足が進んでおり、大学に行くために町外に出てしまう人も多くなっている。

 

獅子頭

2回新調している。浅野太鼓で新調したり修理したりした覚えがある。

(取材先:西口さん)

 

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13:30~  直下町

「蚊帳が大きな獅子舞を人口減少下でも継承」

この地域は炭焼きの仕事が衰退した後に、高齢化も進み、町内の人数が少なくなってしまった。それでも、蚊帳が大きい竹を通す雄獅子を今でも継承している。時代に応じて獅子舞のやり方も少しずつ変化させているものの、その迫力ある獅子舞は健在だ。

 

由来

昔、雌獅子と雄獅子で1対の赤い獅子があった。各家を2体ずつで回っていたが、途中で壊れてしまい、耳やら何やらが壊れてしまったので、それを金沢まで行って直してもらったことがある。その後、新しく雄獅子を新調してそれだけで舞うようになった。雄獅子を新調するに伴い、谷本さんという方が田尻町に養子に行った関係で、昭和の初めに田尻町から獅子舞を習った。田尻町の獅子舞は中学生が棒振りを行い、直下町も始めた当初はそうだったが、高校生、大学生、大学卒業後、と徐々に年齢が上がっていった。これは青年団に入る年齢とも重なり、青年団に入ったら若い人から棒振りを務めた。

 

祭りの様子

9月15日が祭りの日だ。獅子舞は朝5時から獅子舞を回り始め、夜19時ごろまでやる。その後は輪踊りをするとともに、最後に獅子舞を舞ってへとへとになる。階段を一段ずつ上がってお宮さんは入念に厄を払う。神社では30分ほど獅子舞をやり、最後は神社の石段の上を走って終える。祭りの後に、青年団はもらったご祝儀で温泉に行った。下呂やら城崎やら草津やら、遠いところまで行ったこともある。

 

舞い方

薙刀と棒振りの2つの舞い方がある。もしかしたら昔、鎖鎌もあったかもしれない。町内を回るときは、この舞い方を交互に行う。田尻町には10種類以上の舞い方が継承されているが、この地域ではそのうちの一部を習ってきたという形だ。直下町の獅子舞は片目で睨むような舞い方をしており、田尻町には上段、中段、下段という獅子を舞う位置が存在するが、直下町の場合は基本的に中段のみで舞う。また、日谷町や曽宇町が雌獅子が芸事をするように少人数で足合わせをする一方で、雄獅子は蚊帳の中にたくさんの人を入れて竹で支えるような獅子舞を行う。雌獅子に比べて激しい舞い方だ。竹を持つ人が4人で、それに加えて尻尾と獅子頭がいるほか、中に入る人も合わせれば8人は最低必要で、それに加えて子供がわあわあと蚊帳の中に入ってくることもある。

 

担い手

基本的に学校が終わったら、青年団に所属するという流れがあった。22歳で青年団に入って、23歳で青年団長になった人もいた。

 

歴史

昔、直下町は炭焼きで栄えた町だった。田んぼで生計を立てていた人は少しだった。炭を作って、前の日に仕込んでおいて、次の日の朝5時ごろに馬車にその炭を積んでおいて、北前船の到着する橋立に持って行って帰ってくるというのが仕事だった。サラリーマンはよっぽどええものかという憧れが最初はあった。ただ、地域の中で仕事ができているため、お祭りも3日続けるとか、平日のみで行うとか、そういうことも可能だった。学校や仕事が終わったら、棒振りの練習をするとか、そういうことも気軽にできた。田尻町は平気で3日間祭りができているが、ここは財力も町民の数も確保できる。直下町の場合は、仕事の形態が変わったことが獅子舞の簡略化や担い手不足を招いている。時代に応じて、獅子舞の形も変えていかねばらならない。ちなみに、この地域は聖徳太子の系列のお寺があり、白山信仰の地域ではない。神社は菅原神社である。

(取材先:中野さん)

 

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14:15~  曽宇町

青年団がなくても獅子舞を継承」

12~3年前に担い手不足で青年団が途絶えてしまった。しかし、その数年後には、青年団のOBをはじめとした有志が集まり、年代に関係なく獅子舞に関われる形で復活。親子で獅子舞に関わる人が現れるなど、そこに年代の垣根はない。

 

由来

白山信仰が根付いており、白山神社が地域の神社となっている。

 

祭りの日程

神社が昔は108軒あったが、今では75軒くらいに減っている。神社に始まり、これらの家々を回る。ご祝儀は平均5000円くらいで、女世帯などは3000円ということもある。町内の役の家では、キョウブリという難しい舞いをして、役の中でも低い役の場合はシャンシャンをする。多くは一番簡単なコンコラコンを行う。

 

結婚式の獅子舞

昔は結婚式を家の中で行っていたので、そういう時は玄関のところで舞ったり、お座敷の上まで顔を出したりして、獅子舞を披露した。特に来てくれと言われなくてもご祝儀目当てで舞いにいったことがある。結婚式で披露する獅子舞は2種類で、キョウブリやシャンシャンをメインで行なった。

 

体育大会の獅子舞

三谷地区では、小学校の運動場で行われる体育大会で、獅子舞を披露する機会がある。この運動会は毎年10月の体育の日に行う。直下町はいつもここで獅子舞を披露しており、日谷町もたまに獅子舞をやる。ただ、曽宇町は青年団がないので、そこまで獅子舞を披露するという機会がない。

 

担い手

獅子舞は12~3年前に青年団の担い手がいなくなって、2年ほど舞わなかったことがあった。その後、40代までの人が関わってそれを復活させた。青年団のOBたちを入れて、有志の人たちが町内で獅子舞を継続しており、特に獅子舞を運営する団体の名前はない。親子で獅子舞に関わるということもあり、年配の人は基本的に笛をする。

 

舞い方

雌獅子で日谷町の獅子舞ともにている。演目数は3つあり、日谷町よりも1つ演目が少ない。コンコラコン、シャンシャン、キョウブリの3つを行う。習った場所は同じと言われているものの、最初から演目数が1つ少なかったとも言われている。

 

獅子頭

ベンガラの漆を塗っている。今の獅子頭は3代目である。

 

歴史

この地域には昔、男用の神社と女用の神社があったが、それが1つになった。今、獅子舞の拠点となっているのが白山神社だ。また、仏教では観音堂(寺尾観音)があり、十一面観音を祀っていて、このお寺の歴史は非常に古く、養老元年に修験僧が建てたと言われているので、1300年の歴史がある。この御本尊は33年に1回のご開帳があったが、今では人生に一度もこれを見ることができない人も出てくるということで、16年目と17年目に公開するという風に変わった。曽宇町の曽は、このお寺の僧侶の僧の字に由来する。

(取材先:宮口武雄さん)