考現学が面白いので、そのことについて書いてみることにした。
考現学とは、現代の人々の行為から建築や都市のあるべき姿を導き出すという考え方で、1920年代に今和次郎が提唱した考え方である。
例えば、人々の着る服、靴、民家で使われている道具、耕している畑、人々の表情の傾向、ヒゲの形など何でもかんでも一切調べ上げて、その傾向をつかもうとするのである。
これは手間がかかる上にサンプル数が少なくなってしまう。しかしながら、今日のテクノロジーの発展によりデータ解析などが進み、再び脚光を浴びるであろう学問と言える。
しかも、ハードのものを作る時代から、ソフトの人とものとの関係性が見直されている時代において、形式主義的でないこのような学問がどんどん発展していくことは望ましい。
考現学は、可能性に溢れている。
個人的にはこの考現学の考え方が好きで、
・古民家は伝統をただ保存するのではなく、現代的に住みやすいようにリフォームして使えばいいと言う視点
・コミュ二ティのデザインから発想して、人の心に寄り添う空間がデザインされるべきと考えている視点
が共通していると感じている。
一方で、美しさに対する追求は自分は持っているが、今和次郎はあえて追求していない点は共通でないと感じる。ただ、概ね自分と価値観が似ていると感じた。
今和次郎はもともと美術から建築に進んだ人で、
ユニークな着眼点と描写力によってこの学問が成立したところがある。
何年間も旅を行い、日本全国の村の暮らしについて記録を残していった。
山村、漁村、農村それぞれに人々の気質や生活感があって、民家や都市の形にうまく反映されていることを示していった。5年間の旅の中で何を得たのだろうか。
この調査のビジョンは、2点あった。
それは、都市と農村の予定調和と、生活と器の一体であった。
①都市と農村の予定調和
大正期の庶民は、イギリスの田園思想の影響もあり、田舎要素を都市に取り入れようという考えがあった。また、郊外に行く庶民にとって田園都市は新開地への心の支えとなっていたようである。つまり、都市と田舎を連続性のあるものとして捉えようという調査でもあった。
のちに、時代の流れから関東大震災後の都市への傾倒を行い、民家研究のニヒル感を脱したと言われる。これにより、①の視点はなくなったと言われる。
②生活と器の一体
生活とは民俗学、器とは建築学のことである。民俗学は柳田國男が先駆的で、村の歴史や民話の採集を通して、人々の生活や信仰について迫った。一方で、今和次郎は建築学の観点から、家のスケッチと間取りの採集を通して、民家という器と、中身の生活の一体化を図った。観察対象は、民家とその周辺環境という点で同じだった。しかし、今和次郎の研究は、民俗学から見れば生活の部分が足りないと言われた。一方で、建築学は学問として「美」と「歴史」に収束していった。つまり、鑑賞の対象か、建築史研究の対象としてみるようになってしまった。その結果、今和次郎の考現学は一旦脚光を浴びなくなった。
このように、考現学はシュリンクしてしまったが、今再び問い直されようとしていると感じる。なぜなら、ものを作る時代から、人とものとの関係を問い直す時代が来ているからだ。まさに、②の生活と器の一体が今の時代に求められているのではなかろうか。今和次郎自身、変わらなかったのは「自然や文明のかけら」で家を作っていくということだったようだ。まさに周辺の環境から生活が成り立ち、家ができるということを生き様が教えてくれる。
自分としても、コミュニティのデザインの視点で旅を行う時のヒントが見つかった。
その土地の気候や風土に根ざした暮らしのなかで人と家に関する情景を、とことんスケッチや写真で記録を残してみても面白い。
そこに、建物が人と人とをつなぐ必然性のようなものが存在するし、日常の中に交流する場の必要性があるのかもしれない。そんな風にして考現学に向き合ってみたい。
今和次郎 著「日本の民家」より。