飯田はシシの霊地か!?獅子塚を巡りその信仰について考えた

飯田周辺にはなぜか「獅子塚」と名のつく古墳が多い。今回は伊那八幡駅から下車して、水佐代獅子塚古墳、羽場獅子塚古墳、御射山獅子塚古墳の3箇所を巡ってみた。これらは典型的な豪族のお墓のような気もするのだが、なぜ、「獅子塚」なのだろうか。日本全国の獅子塚の由来からすれば、獅子(シシ)を埋めることで村境の厄を取り除くような役割をしていた可能性はある。ただし、かなり多義的であるため、個別に見ていく必要性はある。これを機に獅子の新たな素顔に出会えるかもしれない。

水佐代獅子塚古墳

この古墳の名前は「みさしろ」と読む。5世紀後半に作られたようで、墳丘の高さが60mで後円部に石室があったとされる。過去の調査によれば、円筒埴輪、刀、鉾、鉄鏃などが見つかったという。また、特徴的なものとして、地域の人々から「おたちふの桜」と呼ばれるエドヒガン桜が植えられている。胸高周囲5.3m、樹高約17mの古い巨木だ。この古墳には登れるようになっているが、桜の周囲の立ち入りは禁止されている。僕が訪れた時は、隣の家の人が外でタバコを吸いながら、じっとこちらを眺めていた。その圧力に屈しまいと上まで登ってみたが、あまり下手なことはできないと思い、すぐに降りてきた。この隣の家の人、もしかしたらこの古墳に相当思い入れがあるのかもしれない。

羽場獅子塚古墳

この古墳は上溝公園の一角にある。こんもりした山になっており、大量の木が植わっているなか、頂点には石積みの上に築かれた祠が設置されている。また、この祠の横には同じくらいの高さの石灯籠もある。この小山の麓には詩が書かれた石碑があったが、かなり解読が難しかった。公園内にはトイレと滑り台が2つあるほかに遊具はなく、広い空間が広がっている。この古墳の北側には水路と天竜川の支流がある。この川こそが、何か境界性を帯びており、この境界性が獅子を埋めるという厄払い行為につながっているとも推測できた。ただし、これはあくまでも推測の域を出ない。

御射山獅子塚古墳

御射山といえば、諏訪にある神社の名前と重なる。その名の通り、狩りに関わる神事が行われる霊地である。飯田は諏訪と信仰圏が近いので、あの御射山と何か繋がりがあるのだろうか。立て札によれば、5世紀末~6世紀に作られた前方後円墳で、茶柄山古墳群のなかで最大の古墳であり、国指定史跡でもある。全長58m、後円部径約26m、前方部幅約45m、高さ8~9mである。この古墳に埋葬された人物は、馬匹(ばひつ)生産の指導者的な立場にあったと言われている。この頃、馬は輸送交通手段として普及しており、ヤマト政権とは馬を介してつながっていたと言われる。馬を埋葬した古墳も周辺にあるが、これを馬頭観音として祀らずに、仏教伝来以前のシシという形で祀ったのがこの地の「獅子塚」という名前の由来かもしれない。

さて、僕の推測は正しいものかどうなのか。真実はわからないが、飯田には「獅子塚」が日本全国的に見てもかなり数が多い。その真相を突き止めたいものだ。