「半世紀」獅子舞の蚊帳を作り続けてきた、おっちゃん。能登半島での暮らしとは?

先日、石川県加賀市黒崎町で獅子舞を取材した際、青年団OBのかつやさんに「この頑固なおじさんには、絶対に会うべきだ」と激しくおすすめされ、その場で即電話をして、アポ取りをさせていただいた方がいる。その名も玉作さん(愛称 玉ちゃん)、今年で66歳になる。石川県の獅子舞の蚊帳の9割を作ってきたと自称する知られざる巨匠だ。蚊帳作りは中間業者を挟むため、表舞台に名前は出てこない。特殊な仕事である。

 

玉作さんは、無類の酒好きだ。かつやさんに「鏡月は絶対に持っていった方が良い」と念押しをされていたので、取材前にあらかじめ購入しておいた。そして、10月9日、宝達志水町に向かうべく、加賀温泉駅から朝7:30の電車に乗った。金沢駅から七尾線に乗り換え、能登半島を北上。徐々にだだっ広い大地が広がる田園風景も増え、「能登らしい景色だ」と感じた。宝達駅で降りて、駅から近い玉作さんの工場に向かった。工場に到着したのは、午前10時ごろだった。

 

玉作さんと奥さんは、庭いじりをされていた。「こんにちは!」というと、「あれ!おめえのTシャツ、俺が作った蚊帳だわ」とのこと。僕がこのとき着ていたのは、加賀市熊坂町の蚊帳がついた獅子舞Tシャツだった。予想外の展開に動揺したが、「これ格好よかったんで..」などと笑って濁した。

 

着いて早々、荷物も下ろす暇もなく「これ運んでくれ!」と土が大量に入ったバケツを手渡された。バラを庭に植えたらしく、その周辺に土を撒きたかったようだ。「若いやつは力があるな」と誉めてもらった。差し入れの鏡月は「気持ちが大事なんや」と喜んでくれた。

 

それから、家の中に案内してもらった。玉作さんは最近、金沢から能登宝達志水町に引っ越してきたらしい。金沢の都会から、風がそよぐ音が心地よい自然が豊かなこの地に、なぜ引っ越してきたのだろうか。家の中にはまだ大量のものが散乱していて、引っ越してきて間もないということがわかった。家の看板には「巨匠 玉作染工場」と屋号が書かれていた。まさに巨匠的な匂いがプンプンする。

 

▼巨匠 玉作染工場と玉作さん

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食卓に座るなり「コーヒーか、お茶にするか、酒にするか、焼酎にするか、ビールにするか?」などと聞かれ、いきなりお酒か?と思ったが、話の展開が早くて話題が切り変わったので答える暇もなく、いつの間にか、奥さんが緑茶を入れて出してくれた。タバコの煙がもくもくと充満するなかで、蚊帳作りの質問をさせていただいた。

 

--蚊帳の由来ってそもそもなんでしょう?

蚊帳は夏の蚊除けの蚊帳のこと。昔の人は蚊帳を被って獅子舞を踊っていたのかもしれない。加賀の獅子は何で蚊帳がでかくて、獅子の前で刀を振り回すのかといえば、江戸時代に加賀藩がいざとなった時に、兵隊として使うためや。要は、獅子舞やってるもんは戦いの即戦力となる。四国では蚊帳のことを油箪という(通常、油箪とは箪笥や長持などにかけられるカバーのこと)。昔、ばあばが油箪をかぶって獅子舞を踊っていたのかもしれない。

 

--いつから蚊帳を作っているのですか?

16歳の時からや。新聞にも書いてもらったが、今年で作り続けて半世紀だ。中学までは金沢に住んでいて学校が終わったら兼六園の周辺とかでお掘りの魚を釣るような悪さをしとった。毎日のように遊んどった。でも卒業したら、岐阜に3年間弟子入りに行った。16でやぞ?この頭でやぞ?そこは大相撲の幟とか作っとった会社で、一流だと思ったから行った。3年したら金沢に帰った。染物を作り続けてきて、俺で4代目や。それが先月、宝達志水町に引っ越した。能登も祭りが盛んな地域だから、蚊帳作りたい人もおるやろう。生活するにも静かでええぞ。花嫁電車が通ってくようなとこや。

 

--どこから注文を受けますか?

四国や石川、富山から。昔からの付き合いじゃ。石川県加賀市の蚊帳はほとんど作ってきた。いくつじゃきかん。もう数え切れないほど、90パーセントや。柄見たらわかるわな。部落によって伝統的な柄がある。黒崎のガキたちから注文を受けた時は、前のやつが3年しかもたなかったらしいが、わしの作る蚊帳は25~30年もつ。黒崎の蚊帳を作った時は、わしの(オリジナルの)絵を描いた。黒崎の幟も作った。

 

--蚊帳を長持ちさせる秘訣はなんでしょう?

よそ様のところで作る時は、麻生地を反応性染料で化学反応させとる場合もある。皮膚とかが溶ける苛性ソーダを使っている。そんなんで髪の毛を一晩かけて発色させていたら、髪の毛どうなる?これだと何年かすると生地も弱るんや。うちの場合は染料に樹脂を入れることで、麻生地を固着させる。だからもつんや。昔は粉の顔料に卵の黄身を入れていた。卵をとにかくいっぱい使った。それで固着させていた。むかしむかしの話やぞ。

 

--蚊帳はどういう風に作るのですか?

下絵から描くんや。あんたの顔にも描いたろか?

 

--蚊帳を作るのに、どれくらいかかりますか?

3日!真面目にやればやぞ。まあ、乾かさなならんから、1週間やな。まずは生地をその大きさに縫い合わすんや。それをいっぺん、お湯の中につけて、乾燥させる。それから下絵を描く。で、その下絵を塗る。糊をひいて、それから染料で絵を描くんや。次に乾燥させて、蒸して、水洗していらん糊をとって、乾燥させて、縫製させて出来上がり。

 

--蚊帳はひとついくら位で作りますか?

大きさによって違う。黒崎のは40万くらいやった。うちは四国の人曰く、京都で作るのの半額以下でできるらしい。中間業者が入った場合はもう少し高くなる。わしは自分が作ったもんは修理は無料や。他だと修理にもお金がかかることがある。お祭りが終わったら毎回、黒崎のもんらは焼酎とウイスキーとビール1ケースを持ってやってくる。穴が空いているからって毎年直しに来る。そんなもん、預け番にすんぞ!というけれども、はいとうちゃん!って毎回持ってくる。嫌って言わんがい。そういうお付き合いや。気持ちで動く方やさかい。金沢も宝達志水町も、お祭り関係の3割負担の補助金がある。これを使えば蚊帳を買うのも負担が減るんや。

 

--玉作さんの作る蚊帳は、鮮やかな蚊帳が多い印象です。

それは俺のスタイルや。獅子の蚊帳だけでなしに、加賀の星野リゾートタペストリー、小学校の幕、のれん、法被、Tシャツ、お寺のマークなんでも描いて染める。壁に牡丹の絵なら、ちょこちょこっと3分で描ける。うちの家作る時、ペンキ余っとったから、ええいもう!と言って、落書きしてやった。みんなバンクシーよりうめえがいやと言っていた。パンクシー(バではなくパ)と呼ばれた。こういうの(才能)がもう脳の中、遺伝子に入ってしまっとるんや。蚊帳の下絵でも30分で描ける。昔から唐獅子牡丹と言って、蚊帳には牡丹の花を入れる。狛犬のオス・メスを知っとるか?口が開いているのがメス、閉じているのがオスなんや。『しあわせの獅子あわせ』と言う映画を見てみい。(奥様曰く、「動物も人間もおしゃべりなのはメスや」とのこと。)そんで、狛犬の尻のところの巻き毛がついてるやろ?それは蚊帳にも表現されている。

 

--他に石川県内で獅子の蚊帳を作れる人はいますか?

奥田染物があるが、結局、北陸3県で獅子の蚊帳を作れるやつは、他に2人か1人しかおらん。津幡の中農神祭堂や〇〇呉服店など、中間業者がいる。そういうところから、仕事を受けるんや。知田工房は中農神祭堂を経由して蚊帳を依頼してくる。直接依頼されれば安く作るが、みんな俺が作っていることを知らん。人の口から口へと伝わってくる形がいいんや。そう言う関係の中なら、びっちりいいもんを作る。わしが描かなくなったら、他に描けるものはおらん。昔は七尾にも、富山にも染物屋がいたが、染物屋の後継者はみんな頭がええんや(それで違う商売をはじめてしまう)。わしは後継ぐから遊び呆けていたんや。

 

--弟子をとったことはありますか?

弟子はとっとらん。5代目になるはずの息子が死んでからはとっておらん。海の波が沖に向かっていく離岸流に流されて、3日間海におったんや..。学校から教えてくれと言われたらいくらでも教える。わしがいなかったら、描くもんもおらん。こんな特殊な仕事する人なかなかおらんのや。伝統を繋いでいかないといかん。(獅子舞に関しては)作る者と舞う者がいないと成り立っていかんのや。

 

それから、蚊帳を見せてもらった。長いものから短いものまで長さは様々で、デザインも様々だった。四国と石川の蚊帳を比較してみると、全くデザインが違い、牡丹の描き方も違っていた。将棋の駒の模様が入った法被やら、カラフルな龍が描かれた消防服?(先代が自分用に制作)まであった。玉作さん自身は干支に対応する神様(未年なので大日如来)を描いたTシャツを着ていた。Tシャツづくりは1枚500円+判代で作れるノウハウがある(めちゃ安い)。

 

▼玉作さんが描いた蚊帳の牡丹

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巻き毛に関しては見慣れた模様もある一方で、自分のオリジナルのデザインでも描いているようだ。「誰にも文句言わさんし!」と強気な口調は、自信に満ち溢れていた。玉作さんの奥様も蚊帳作りを手伝われるようだ。ただ、絵を描くことまではしないと言う。また、刺青師が作った蚊帳の話を少ししてくれたが、蚊帳づくりと刺青の歴史はデザインなどで関連性が少なからずあるかもしれない。

 

また、先代が譲り受けてきたという「晴天獅子」なる獅子頭が仏壇の横に飾られていた。昔、下駄で作られた獅子らしい。こんな獅子頭は初めて見た。作者は澤阜忠平(号非名)で、金沢の小立野に住んでいた江戸時代の天保年間の人。下駄獅子なるものを制作していたようだが、この獅子頭は特殊で、一度獅子が繰り出せば(舞えば)必ず空が晴天になるという伝説がある。玉作さん曰く「祭りの日に雨が降ったらいかんやろ。だから獅子を出せば雨が止むということじゃ」とのこと。

 

▼江戸時代の天保年間に作られた晴天獅子

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また、蚊帳を制作した時の感謝状も見せてくれた。「人にもろうたボロボロなあまりにもみっともない蚊帳をつこうとったから、新しい蚊帳を作った。金なんか欲しいかえ!と言ったら感謝状をくれた」とのこと。玉作さんは、情に厚い男である。

 

玉作さんの1日は釣りから始まる。「今日は13cmのキスが連れた。まだちっちゃいわ」と手を広げて語ってくれた。玉作さんは釣りの名人でもあるらしい。普段は酒を飲むか、蚊帳作りに没頭するか。そういう生活を送っているらしい。伸び伸びと豊かな生活である。トイレに行くと、「ウォシュレットから水が飛び出してきた!Tシャツ持ってきてくれ!」と奥さんに話していた。また、可愛らしい耳かき棒があったので、それについて「これ可愛いですね」と言ったら、「これは耳くそ棒や。これ(自分の小指)は鼻くそ棒って言うんや。舐めてみるか?」と冗談交じりに言われた。

 

これから、中能登に行ってきますと言ったら、「ダラやな!いろんな人によろしく言うといてな!また来いや」と言って大量の名刺を渡してきた。奥さんとタバコをふかしてから僕を駅まで送ってくれて、「ソフトバンク行ってくるわ」と行ってしまった。嵐のような2時間であった。