【2021年8月】石川県加賀市 獅子舞取材10日目 動橋町(本番)・山中温泉山中座

2021年8月28日

9:00~ / 17:30~ 動橋町 獅子舞本番

動橋町の獅子舞が振橋神社で行われることを知り、朝9時と夕方17時半に伺った。同行は山口美幸さん。コロナ禍でどのようなプロセスで獅子舞を実現したのかをぜひ知りたかった。獅子舞をしたいけどなかなか実現できないという地域はとても多いので、ほかの地域にも応用できるやり方を知れたらという思いで神社に向かった。

まず、神社に着くと、獅子舞が舞うスペースに結界が張られていた。笹が立てられ、それを結ぶ形でしめ縄と紙幣が張り巡らされ、神域が作られていたのだ。その前にはテントが2つ張られ、受付と観客席がそれぞれ作られていた。受付を通ると、観客席に通され、透明なビニール越しに獅子舞を見られるというわけだ。また、神社の境内には、参道沿いに獅子舞やぐず焼き祭りのぐずなどの絵が描かれた灯籠が並べられ、18:00以降に明かりが点灯することになっていた。

獅子舞はご祝儀を払う人がいたら舞う方式で行われた。これは、各家を回ってご祝儀をもらうのを神社境内で完結させるやり方である。獅子舞を実際に拝見してみて、太鼓の位置が獅子から見て右か左か定まらない点、歯打ちが激しいという点、獅子が観客に迫る感じが、独自の面白さだと感じた。

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獅子舞の合間に、川向電機の川向尊(たかし)さんにお話を伺った。獅子舞は昔、祈りやすがる気持ちが強く、飲んで無礼講であるという遊び場であり、社会的な学びの場でもあった。しかし、今は携帯の普及などで遊びなどの機会が広がって、縛られることを嫌うため、その点で担い手が少なくなっていると感じる。今年は獅子舞ができないだろうという話し合いを町内で行っていたが、工夫すればできるのでは?という話に変わった。青年団の思いもあるので、それを叶えたくて、妥協せずに話し合いを重ねた。まずは青年団が全員コロナのワクチンを打った。獅子舞は一軒一軒家を回るのは、フェイスシールドをつけて玄関から2mの距離をとれば大丈夫なのではという話もあったが、やはり回るのはダメだと。それならば、希望者の家のみ回ろうとなったが、やはり周辺住民含めて同意を得るのが難しそうということで、最終的に神主の榊さんに相談して振橋神社の中で舞うことになった。印象的だったのは、若者と長老の間に入って仲介できる人が地域にいることが重要というお話。若者が獅子舞をやりたいと言っても長老がなかなか許可を出せない場合も多く、若者と長老の間で取り次いでくれる人がいたことが今回の獅子舞の実現につながったようだ。

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15:00~ 山中座 獅子踊り取材

山中節の獅子踊りについて伺いたいと思い、まずは芸妓の松風千鶴子さんにインタビューをさせていただいた。同行は山中取材の際にいつもお世話になっている村田和人さんと、取材チームの山口美幸さん、北嶋夏奈さん。山中の獅子踊りは女性しか演じることができない。普通獅子舞というのは女性に厄を触らせないという意味合いで、男性が演じるものである。全国的にも珍しい女性が演じる獅子をメインにお話を伺った。

もともと獅子踊りの由来は様々である。昔、湯座屋で働く娘さん(浴衣ベ)が芸妓に上がれた歳が16歳だったので4×4=16を獅子とかけたとのこと。また、浴衣ベがお客さんの浴衣を頭の上に乗せて佇む姿や、芸妓が夕方から日本髪で歩く姿が獅子に見えたからとも言われている。恋人に会って朝帰って行くときに恥ずかしさから風呂敷をかぶって歩いていった姿という話もある。「山中や夜の夜中に獅子がでる」とも唄われているのだ。

現在、芸妓さんは4名おり、そのほかは座員さん10名ほどで構成されている。座員さんはプロではないが、芸事が好きなので参加されている方々である。最年少は50歳代で、少し前まで20歳代の方もいたのだが、辞めてしまった。20代の方はおばあちゃんが民謡をされていて、その影響もあり始めたようだ。昔は通常であれば、18歳から芸妓になることができたが、今では若い担い手がいない状況だ。

山中節は民謡の中では日本で3つに入るほどに難しいと言われており、素朴で情緒的であることが特徴だ。春夏秋冬の四季折々を歌っている。山中座は20年前から始まった。その前は置屋さんが芸能プロダクションのような形で、担い手の育成が行われていた。旅館が演者を呼ぶということもあった。芸能人でも森光子さんや石原裕次郎さんなどファンが多い。松風さんは福井の金津(※)で教わった後、可奈津屋として独立し、芸妓を続けて今に至る。昔はお座敷で高いお金を払わないと見られない世界だったが、山中座ができてからその敷居が低くなった。旅館に呼ばれたら舞を披露することがあるものの、置屋はなくなってしまい昔とは芸妓の環境にも変化が訪れている。

※山中節が全国的に広まったのは、大正末期から昭和にかけて金津家米八が芸妓として活躍した時代である。それまで「俚謡(りよう)」と呼ばれていたのが一転して、「民謡」という言葉が広まったのもこの時代と言われている。(山中温泉ゆけむり俱楽部・山中節の四季編集委員会『山中節の四季』令和2年, ゆけむり書房より)

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<山中座の公演を見学>

今回、毎週土日に行われる15:30~16:15の山中座の公演を拝見した。今回、披露された演目は以下の6曲だった。

長唄 岸の柳
②正調 山中節
③小唄 つりしのぶ
④小唄 さつまさ
⑤山中祭 獅子踊り
⑥こいこい音頭

最初は山中温泉の紹介映像に始まり、これらの6演目が披露された。最後のこいこい音頭では観客も手拍子をするという参加型の演目で締められた。曲だけを聞くと現代人にとってはかなり緩やかに思えてしまうだろうが、個人的には芸妓さんや座員さんの所作の正確さに感銘を受けた。例えば、表情がキリッとしていたり、立ち位置が背景の大きな木の絵の幹の部分に立つようにしていたり、声の高さとか伸ばし方がこなれていたり、そういう一つ一つの所作が洗練されていることが見どころのようにも感じた。

 

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また、今回取材のメインである獅子踊りに関して、ここで詳しく記しておく。演目の流れとしては、最初に2人の女性が祭り心で踊ることに始まり、後に一匹の獅子に変化し獅子の様々な姿を演じる。その中には、眠る獅子、怒る獅子、戯れる獅子などが含まれ、個人的には眠ってしまいそうで、うとうとする獅子の姿がとても可愛らしかった。

獅子頭は親獅子と子獅子がいる。大阪万博に行った時に、獅子を手直ししたようだ。オスメスの性別は特にないようだ。獅子頭を製作したのは、なんと浅草とのこと。石川県内の多くの獅子頭とは作り場所が異なる。獅子頭は6~7体あるが、古くてボロボロな獅子頭もあり、使える状態のものは4体である。2体が金色、もう2体が赤色だ。赤色と金色の獅子があり、比較的軽くて、ベロの形が可愛らしい。

 

<山中節のルーツ>

山中座で購入させていただいた書籍を元に、山中節のルーツを調べてみた。

・元禄年間(1688~1704年)にはすでに山中節の原型が出来上がっていた。日本海を往来した加賀の北前船の船頭さんが、習い覚えた北海道の松前追分や江差追分をお湯に浸かって口ずさみそれを聞いた浴衣べが山中なまりで真似たのが『山中節』の始まり。(山中温泉芸妓組合のホームページより引用)

・もともとはこの土地で唄われた甚句が元になった(東京堂 日本民謡辞典より引用)

その他に、追分や色々な俗謡、民謡が複雑に重なり合い、今ある山中節の原型が出来上がったと言われている。(以上、山中温泉ゆけむり俱楽部・山中節の四季編集委員会『山中節の四季』令和2年, ゆけむり書房)

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