【2021年8月】石川県加賀市 獅子舞取材9日目 大聖寺新町(追加)・大聖寺一本橋町

2021年8月27日 

11:00~ 大聖寺新町 追加取材
昨日の大聖寺新町・河村さんの取材時に、昔の獅子舞の歴史に詳しい長谷川慶二さん(大聖寺上木町在住・74歳)をご紹介いただき、お話を伺った。上福田町→北片原町→大聖寺新町の獅子舞の伝来経路について詳しく知るためだ。長谷川さんは元々上福田町にお住まいで、40年前に上木町に引っ越した。出身は教念寺で、長男が3代目として跡を継いだが、新聞記者で富山県にいる。それでお寺はほとんど閉まった状態で、自分は上木町に引っ越した。このお寺の始まりは江戸末期に小塩町で院を開いたのがきっかけで、そこから大聖寺上福田町に出てきてお寺を建てたという歴史がある。『加賀獅子』という文献に、このお寺の名前が出てくる。

上福田町で太鼓と笛で囃し立てて舞う獅子があったが、子供の頃はそれにあまり興味がなく、雄獅子をやっており激しくて格好良い北片原町の青年団に入った。兄は上福田町の青年団に入ったが、自分としては連れ(友人)も多い北片原町の青年団に入ったのだ。北片原町は上福田町から獅子舞を習ったのだが、途中でなぜか舞い獅子から踊り獅子に変わったという経緯があり、演目が変わった。子供の頃には、北片原町の獅子舞は棒振り(2人)と薙刀(1人)をやっていたのだが、60年以上前の小学校の頃に獅子舞に参加した時は既に雄獅子に変わっていた。北片原町内の前島さんが獅子舞についてとても詳しかったが、もう亡くなってしまった。新しい獅子舞を伝えたのはおそらくこの方である。なぜ雄獅子の演目をご存知だったのかは不明のようだ。新しい獅子の演目は1つしかなく、それには名前がついていなかった。現在は北片原町の獅子舞は途絶えてしまっている。大聖寺上木町に引っ越す前には獅子舞があったので、少なくとも40年前には獅子舞が行われていた。

獅子舞の伝来経路は、上福田町→北片原町→大聖寺新町という順で伝わったことはわかっており、これらは上福田町の春日神社の祭礼として執り行われた。北片原町の獅子舞が始まったのが1950年(昭和25年)頃で、戦前に獅子舞をしていたのかどうかはよくわからない。長谷川さんが子供の頃に獅子舞を始めたのが1959年頃の話だ。その後、長谷川さんが成人して仕事をしていた時、北片原町に獅子舞を習いたいということで大聖寺新町の人がやってきた。この時、北片原町の獅子舞に加わるという形だったようで、独自に大聖寺新町で獅子舞をやっていたということではなさそうだ。昭和45年に聖北協議会が結成され、新町・相生町・松ヶ根町・北片原町で子供同士の交流が活発だったので、よく遊ぶこともあった。その流れの中で、北片原町の獅子舞に他の3町の人が何人か加わるという感じだったのだ。大聖寺新町には獅子頭があるので、この時に別途新町で獅子舞を実施していたのかどうかはよくわからない。

また、地蔵盆の時は獅子舞と違って北片原町ではなくて上福田町のものに参加して、町内を回っていた。小学3年生が小学6年生の親方に教わりお金を集めて、小豆や餅でのぜんざいを作り、ゲームをするなどして一晩を明かすということもした。ほかの町内でも知り合いづてで遊びに行ってお金を集めに行ったこともあり、学校の先生の家に行った時に「学校では禁止しているのにきたのか」と怒られたが、それでもお金を少し包んでくれたことを覚えている。獅子舞では町内しか回らなかったので、その点では地蔵盆と回り方が違った。

長谷川さんが青年団に入っていた時、北片原町では青年団は14~5人、年齢的には小中学校の子供たちがメインだった。獅子舞を実施したのが、8月21日頃の春日神社の祭礼の時だ。この日は上福田町も北片原町も同日で行なったが、獅子を舞ったのはそれぞれの各町内である。北片原町では春日神社で奉納したのち、区長さん、商売をしているお店、そのほかの家という順番で1日で30軒ほどを回った。ご祝儀は1000円いったかどうかという金額だった。この祭礼は大聖寺祭りの一ヶ月前に行った。最初は獅子舞で大聖寺祭りに参加しようという話もあったが、花笠音頭で参加することにした。春のお祭りでは、獅子舞を実施しなかった。

 ps. 金沢では受刑者が刑務所で獅子頭を作っており、安く購入できるようだ。このような形で、獅子頭だけでなく、神輿など様々な小道具の販売もされているとのこと。

ps. 、北片原町の太鼓は、弧を描くような作りをしていたので低い音が出た。上福田町はそれに対して90度・直角の作りをしていたので、また違った音が出た。

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16:30~ 大聖寺一本橋

獅子頭が不動産屋の入り口のところに保管されているという話を聞いたので、小野坂不動産・大聖寺まちづくり協議会の辻裕行さんに、急遽お電話をして話を伺った。もともと神明町のご出身で、今年不動産屋の事務所を作ったこともあり、大聖寺の歴史をよく調べておられるようだ。民具や美術品なども集めておられて、同時に獅子頭も貰い受けたとのこと。元々は公民館も神社もない地域なので、食事処·白山の地下に保管されていた。新しい獅子は捨てられてしまって、古い方の獅子頭だけ残った。使わないとのことで、不動産屋の事務所に展示するからということでもらい受けた。

大聖寺一本橋町は豪商がいたので、大きな神輿を作るくらいの財力があり、昔青年団の子供もたくさんいた。昔の写真もたくさん残っていて、獅子舞とは別に、越後の角兵衛獅子の特徴であるおでこの所に獅子のキャラクターを衣装として身につけるような姿も見られた。

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