2020年10月30日
今日は勅使町と作見地区(取材できたのは東菅野町)を中心に回った。まだ一件も回れていない地区を探そうということで、出てきた名前がこの2地区。案内人は山口美幸さんと高木棲盛さん。以下、お話を伺ったことを記載しておく。
①勅使町(10:00~@勅使町民会館)
(撮影:山口美幸さん)
まちづくり会長の西川昌之さんにご対応いただく。獅子頭を下に向けて睨みを利かせて舞う。これを「豆拾い」と言い、豆を拾うイメージで舞うようである。また、カヤの中に入る人は高くしなさいと言われた。尻尾の人はずっと回していないと、「ハエたかる、アブたかる」と言われたそうだ。舞いの曲は1種類のみで、お花代が多ければリピートをして長くする。リピートの合図は太鼓を叩いて「さいー!」という掛け声で行う、カヤの中の人もそれで認識できる。その掛け声を聞くと疲れる。お花代は5,000円くらいが一般的で、10,000円の場合はほとんど見ない。
カヤは青色で、3人入っている。青年団が人が減って、若い人も町外に出ているので、用があるときしか舞いをやっていない。祭りの際や、初老のときに獅子舞をする。初老は餅つきなどをやるときもある。年によって何をするかが違う。最近は初老の獅子舞はほとんど実施されていない。地元に根付いた人しか獅子舞に触ったことがない。なん年前だったか、運動会(地区の社会体育大会)が雨が降って室内で行われた。その時に、寂しいから各町内の獅子を持ち寄って、舞ったこともあった。昔と比べると、舞の際に頭を地上に向ける角度が少し違う。昔はちょっと斜めだったが、今はまっすぐになっている。あと、旅館「ゆのくに天祥」の玄関前で舞ったこともあった。前後左右に暴れるので、カヤの後ろの人は転びそうになる。特に後ろに下がる時は他の人に確認してもらう必要がある。そのくらい昔は激しかった。雌獅子なのに、他の地域の雄獅子より激しいと感じることもあるという。
個人的な見解としては、獅子頭のデザインは目が富山由来のようだが、眉や鼻周りなどが石川由来に見える。これは、黒崎の獅子頭にかなり似ている。獅子頭は10年前くらいに修繕したそうだが、どこでやってもらったのかは覚えていないそう。獅子頭は新調したかのごとく新品。少しの傷でも気にされていた。昔、鼻がもげたそうだが、その跡が見られないほどに綺麗である。獅子頭はジョウを歯に打って痛まないようにする。壊れるとしたら、鼻と顎。鼻が壊れた時は「性病にかかったようだから早く治してあげなければならない」と皆で言ったようである。太鼓は記憶している限りだと、2回張り替えている。張り替えしたばかりは音が良くない、古いほうが「ドボンドボン」と良い音がする。太鼓のバチは樫の木とかで、手作りで少し曲がったものを作る。そのほうが叩きやすい。娯楽がないから、自分でこういうものを作って、練習して、若いもんが片山津で梨もぎをして、酒飲んで、集まったそうである。
勅使地区の森町には、黒い獅子舞があるという。明治時代に手作りされた物で、ナマハゲのような素朴な仮面だという。お飾り獅子とのこと。これにはとても興味を惹かれたので、明日取材させていただく。また、動画を撮れば半永久的に自分の舞いを後世に伝えられるのにとのこと。撮影と文章をやる自分には、写真や言葉で伝えられるものはなんだろうか。動画には伝えられない大事なものを探しながら冊子制作を進めていきたい。
②大菅波町(18:30~@東菅波公民館)
(撮影:山口美幸さん)
作見地区史編纂委員会・東野隆一さんに作見地区の獅子舞の写真を新しいものから古いものまで拝見。天日町の獅子頭や、大菅波町の金色の獅子舞に興味を持つ。その後、地区会館に区長さんの名簿を教えていただく。作見地区まちづくり推進協議会会長・高木棲盛さんに町内を車で案内していただき、各地域の区長さん宅を周り、撮影をさせていただけるところを探す。あまりに多すぎて回りきれないかもしれないが、お仕事中で後日お電話という場合がほとんど。唯一当日取材ができたのが、大菅波町。大菅波町には4つの獅子頭がある。そのうち、3つは解体して顎が外れた状態になっているが、それを取っているというだけでもすごい、年代記名は無し。また、金色の獅子頭は綺麗な保存状態で保たれている。しかし、約10年前にはすでに獅子舞自体は無くなってしまっているそう。青年団が終わってから、寂しいということで壮年団が獅子舞を再開したが、それも途絶えてしまった。赤い獅子を練習用に使い、金色の獅子を本番用に使っていた。獅子舞をやっていた時には、春祭りと秋祭りで2回実施していた。舞いの種類は前半と後半で一曲のみ。棒振りはいない獅子だけの舞いだったそう。
以下の資料にこの地域の獅子舞のことが掲載されているので、その部分を掲載しておく。これは調査報告書(『石川県の獅子舞: 獅子舞緊急調査報告書』, 1986年, 石川県教育委員会)をもとに作成された資料である。獅子頭を保有しているのが8町、そのうち現在継続して獅子舞を行なっているのが冨塚町、作見町、小菅波町、西山田町、東山田町あたりか。弓波町は令和元年から子供の獅子神輿になっていて、舞いとは異なり交通安全と結びついている。
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その他、ヒアリングにより、潮津町→伊切町→大聖寺南町の伝来経路が明らかになる。潮津は2019年1月の調査で、ひょっとこがいなかった時に獅子だけの舞いだったとこが判明している。それが伊切町を伝って大聖寺南町に伝わった。先日の大聖寺南町の取材では、「暴れ獅子」をしているというが、これも獅子だけの舞。共通点が見えてきた。途中の伊切町の獅子舞はどうなっているのか。かどや食堂の方や小倉さんという方が詳しいそう。後ほど、ぜひお会いしたい。
PS, お昼は中華料理 漫遊菜館で村田泉さんと農業生産組合の皆さんとランチ。カツ丼や坦々麺をいただく。昨年、柴山町の獅子舞の祭りについて取材させていただいた方々と再会することができた。来年はぜひ祭りを開催したいとおっしゃっていた。