長い年月を受け継がれてきた獅子舞にはそれなりに理由がある。しかし、ここ数千年を見ても類を見ないほどに、現在、日本の地域コミュニティは変革を遂げている。しがらみからの開放という大きな自由を手に入れようとする若者たちがその最たる例である。その一方で、地域の画一化された風景、商業施設の波、チェーン店による個人商店の駆逐などは、地域のアイデンティティの問い直しという課題を突きつけてくる。「地域の何が誇りなんだ?故郷ってなんだ?」と問われているようだ。そんな時、地域の姿そのままの野生を保ち受け継がれる獅子舞のような民俗芸能、あるいは祭りこそが応答できる救世主なのかもしれない。
谷保天満宮の獅子舞の練習を見学
東京都国立市の谷保天満宮の獅子舞は平安時代の村上天皇の時代からつながる非常に古い歴史があり、それを今に伝えている。非常に魅力あふれる獅子舞なのにもったいないと思い、取材に伺うことにした。今年9月開催の例大祭の時に獅子舞を拝見したが、かなり長い舞いを忠実に継承されている印象だった。どうすればこの獅子舞は継承されていくのだろうか。2024年12月21日(土)、谷保天満宮の獅子舞の練習会&忘年会に伺った。
毎月第3土曜日の夜、20時から練習を行っているという。9月15日に獅子迎えの儀をして獅子を練習所に持ってきて、獅子の神主さんがお祓いしてから16日から本番まではしっかりとした練習期間になる。獅子舞の練習といえば、祭りの直前の2週間から1か月くらいで詰めて実施するのみが多いが、年間を通して毎月練習を実施するのは素晴らしいと思った。年間を通して獅子舞を考えながら生活することになるのだ。
まず最初の30分は練習の見学をした。畳の上に座って、歌詞の本に書かれた歌詞を忠実に、練習は進んでいった。雌獅子隠しや挿入歌としての岡崎の節は他の獅子舞と同様に残っていた。歌詞が全体的に情景描写が多いなと思った。「庭の柳が...」「鎌倉の由比ヶ浜が...」「やまがらが...」などである。担い手によれば、「獅子舞は京都の方から伝来したとも言われていて、息遣いが踊りと連動しているので、歌っている人が昔はおそらく体力自慢で舞っている。伝聞で書いたのだから、なんの歌なのかもわからない」とのことだった。またこれは旅人が歌った歌に思えるとのこと。なるほど、この歌の謎もどんどん解明されていくと良いと思った。
今回は獅子頭をかぶらない形での練習となった。獅子頭は一番新しいものでも200年の歴史があり、普段は他のところに保管しているようだ。1812年に火事があってその後に制作してもらったらしい。相当な歴史である。獅子頭の頭頂部のトウテンコウの羽の調達について、業者を見つけたいというお話もされていた。
雌獅子の後継者を募る
さて、練習が終了してから、忘年会と称した飲み会が始まった。飲み会の挨拶では開口一番、「後継者を見つけてください」とのお言葉。やはりみんな必死になって考えているようだった。周りの知り合いに勧誘するが、子どもは同意しても、なかなかそれに乗り気になってくれる親が出てこないという。とにかく谷保天満宮の獅子舞はきつさがある。長い期間担い手として携わり、獅子舞を受け継ぐものだから根気が必要だ。まず怪我をしてはいけないから、たとえば誘われてもサーフィンやスキー、旅行にいけないなど、何かしら普段の生活に制約を設けて普段の生活を送らねばならない。練習の前日に奥さんと夜の関係を持つと体力の消耗が激しいなど、家庭にも制約がでてくる。また、今は勤め人が多いから出張になると大変である。昔は長男はずっと地域にいるという感覚があったから、誘いやすかったのだという。
普通、担い手になる人は、谷保天満宮の氏子の地域の人が先祖代々から受け継いで、親もやっているから自分もやるというように世襲で獅子舞をしていく。だから、自分にほとんど選択権はなく、「この地域に生まれたから、獅子舞をやるのが当たり前」というのが従来の考え方だった。「男気としがらみで獅子舞をしたいたので、我慢しかない。親に言われたことは従わなきゃいけないと言う風潮があったが、今の人は割り切っている。獅子舞始めたら雌獅子、小獅子、大獅子で3年ずつスライドしていくから少なくとも10年、今では20年くらい、獅子舞を続けていかないといけない」とのことだった。
担い手になると、なかなか抜けることはできない。天狗役は天狗をずっと務める。獅子舞の頭をかぶれるのはたったの3人。雌獅子、小獅子、大獅子という風にスライドしていく。大獅子の人が引退したら、小獅子の人が大獅子を務め、雌獅子の人が小獅子を務め、雌獅子の新しい担い手を新しく募集するという流れだ。雌獅子は獅子頭が比較的軽く、踊りもゆっくりで雌獅子隠しの時は止まっている時間も長い。獅子がスライドしていくにつれて、舞いが徐々にハードになっていく。
あと興味深い話としては、谷保の人々は「人の目を見て話さない」という。担い手によれば嫁いできた奥さんが自分のことについて「目を見てない」と言われて「ああそうか」と思ったらしい。「だから自分たちは目を見て身振り手振りをしっかりして、担い手を勧誘しないといけない。やっぱりここは田舎っぽいところがあるんですよ」と言われて、なるほどなあと思った。岩手県に取材に行った時に口がこもっててなかなか聞き取れないおっちゃんがいたけど、やはりそういう人の心を開がないといけないし、そこら辺は地域性なのかもと妙に納得した。その一方で、谷保の盆踊りの女性の担い手は「そこまで(コミュニケーションで)困ったことないよ」という話も出てきて、これは主に男性の話なのかなと思ったけれども、多少認識の差はあるようだ。
広い地域から担い手募集、新たなヒーロー求む!
谷保といえば国立市で田舎に比べれば人口はまだまだ多いけれども、それでも担い手が不足しているのはやはり以上のような背景があるからだろう。従来なら氏子地域から獅子舞の担い手を輩出していたようだが、今では地域外の国立市という範囲で担い手を募集するという方針に切り替えたようだ。19年獅子舞の担い手をされていて、数年前に大獅子から引退した竹内さんは、「自分がはじめて氏子の地域外から獅子舞の担い手になった」という。もともと獅子舞の担い手と知り合いで、「谷保天満宮の祭りには神輿や万灯行列の方で関わってきたが、獅子舞にもぜひ関わってほしいと誘われて」という流れで、担い手になったようだ。やはり友人のつながりで担い手になるというのが、やはり入りやすいに違いない。
担い手になった時は「自分はヒーローになる」という気持ちで入ったという。「これも自己満足の世界なんだけど、でもやっぱり地域の人に認められたいし、取材してもらって大きく取り上げてほしい」とも語ってくださった。大獅子になるのは名誉なことで、「目立ちたい」「自分が1番になりたい」って気持ちで取り組んでいたのだという。「いつでも完璧にこなせることはなくて、毎回反省点ばかりです。雌獅子隠しの時に霧ができて、雌獅子が隠れる時の動作が複雑で難しい箇所」らしい。19年担い手を続けてきても課題はあるという。でもそれこそが獅子舞を続ける上でのやりがいになっているようにも聞いてて感じられた。
結局、自分たちは担い手獲得に向けて焦っていても、地域全体に担い手不足ということが伝わっているわけではなくて、その辺の差があることもわかってきた。谷保天満宮の獅子舞は格式が高く、やはり担い手になるには思いきりが必要。その分、完璧にこなさないといけないという責任も生じてくるようだ。やはり1時間以上の長い舞いにもなるわけで、生半可な気持ちで挑戦できるわけではない。しっかりと覚悟を持ってやらねばならない。その分、担い手獲得のハードルは高い。
飲み会の席を見渡す限りだと、少なからず担い手はいるようだが、「雌獅子の担い手に該当する人がなかなかいない」とのことだった。なるべくであれば20代から30代の若い担い手になってほしいよう。やはりこの獅子舞は完璧を目指していると思ったし、古式に則った1000年以上の歴史を受け継ぐってこういうことなんだと思った。
「獅子舞をすることでかっこいい!というモチベーションに繋がると良いのだけど」という声もあった。「たとえば、獅子舞の担い手は地域の飲食店にタダで入れるようになるとか良いよね。地域の人がお金出し合って、タダでご飯食べたり飲めたりできるのが良さそう。やっぱり地域のヒーローだから」とのこと。なるほど、これも大事だと感じた。
これからのアクションとしては、国立市の無形文化財ということも大いに活用して、市の広報などで担い手募集の記事を書いてもらったり、交通量の多い道路に面した担い手の家に募集の貼り紙を貼ったりと工夫して担い手獲得に向けて動くようだ。また、議員さんにも声かけをしたいとのこと。また、夏に盆踊りが盛況だったので、そのスペースを使って15分でもいいから舞うことでアピールになるのではないかと。あとは会社員ではなく自営の商店街の人を国立で探していくそうだ。国立の南と北では暗黙の境界線のようなものがあって気質が違っていて、北の方からも協力を得る広がりが必要だという思いも伝わってきた。あるいは国立市のスポーツ協会に問いかけるのも良いかもしれない。
「いまは一人一人の勧誘に頼るのも限界がきているので、広く告知していきたいんです」。以前は明治神宮の鳥居の前でも演舞したことがあるというが、誘われたら谷保天満宮の例大祭以外でも積極的に演舞していきたいという。僕としても獅子舞イベントの開催や書くことを通して何か発信できる機会を増やしていけたらと感じた。ぜひ担い手に関心を持った方は、ご連絡いただきたい。