なぜ延喜・天暦の時代に、獅子舞は増加したのか

獅子舞の起源を深く掘っていくと、不思議な事実にぶち当たる。それが、900年代に獅子舞が増加しているという事実である。延喜天暦の時代は「延喜・天暦の治」と呼ばれ、理想的な時代として考えられてきた。延喜年間は901年から923年までであり、醍醐天皇の治世である。また、天暦年間は947年から957年までであり、村上天皇の治世だ。この2つの治世はでは天皇親政が行われ、律令国家から王朝国家への過渡期となった時代である。王朝文化の最盛期にもなった理想の時代として後世の人々に語り継がれている。

この考え方は10世紀後半に出現し、11世紀に広まったとされている。鎌倉幕府の成立と後白河法皇崩御の際には九条兼実が延喜天暦の古風が失われたと嘆いたし、のちに後醍醐天皇は延喜天暦を手本として「建武の新政」を開始した。室町幕府を立てた足利尊氏は「建武式目」にて「遠くは延喜・天暦両聖の徳化を訪ひ」と理想的な時代として語っている。時代を経て明治維新の原動力となり、皇国史観の考え方にも影響を及ぼした。この考え方は結局のところ簡潔に言うとするならば、「天皇を中心とした超国家主義体制」なのである。これは第二次世界大戦大東亜共栄圏の思想の裏付けにもなるような恐ろしい思想でもある。

ただ一方で、この延喜天暦時代には、平和ながらに日本文化が花開いたという側面もある。仮名文字が発達し、女流文学が発達した。確かに国風文学作品の年代を整理してみても、醍醐天皇以降、国風文化は開いた感じがある。

905年: 紀貫之らが『古今和歌集』を編纂

927年: 『竹取物語』、『伊勢物語』が成立

935年:土佐日記

954年〜974年:蜻蛉日記

996年〜1001年:枕草子

1008年:源氏物語

1020年〜1059年:更級日記

さて、このような時代に起源説を置く獅子舞が実は多いのである。

まずは栃木県の獅子舞の開祖とも言える天下一関白神獅子舞だ。天下一関白神獅子舞に伝わる「天下一神獅子由来之巻」という巻物によると、平安時代の延喜12年(西暦912年)に遡ると言われる。実際に三匹獅子舞が普及したのはおそらく江戸期以降なので、明らかにこの歴史は古いと感じる。それで詳しく調べてみると、「天下一神獅子由来之巻」は明治時代のようだ。明治期は神社の取り調べが活発で、それらを背景として自らの地域の獅子舞の権威付けと由緒正しい物語が必要とされ、それがどんどん具体性が増して長文の巻き物になっていったようである。その中で、明治維新の原動力ともなり理想的な時代とされる延喜天暦のうち延喜の時代に始まったと書かれたのだと推測される。

そのほかにも、延喜天暦の時代に始まったのが、谷保天満宮 例大祭 獅子舞(東京都)でこれは天暦年間と言われており、福地温泉村上神社 へんべとり(岐阜県)も天暦年間である。どこまで創作でどこまで本物の話なのか。それは定かではないが、この2つの事例はおそらくほぼ間違いないのではと考えている。谷保天満宮国府が置かれた府中に近い地理関係だし、村上神社のある飛騨高山は古い時代から朝廷とのつながりがあり飛騨とは、飛ぶような素晴らしい馬が生まれてそれを献上した国という意味である。村上天皇の時代にこのような平和を体現する獣としての獅子舞を出現させた可能性は大いにあるのだ。

ちなみに「日本獅子舞之由来」という巻物が関東一円の三匹獅子舞に伝わっており、高水山(東京都)や浦山(埼玉県)などに伝わっているが、これは1245年という後嵯峨天皇の治世がよく登場する。これは武士の時代であり、石清水八幡宮の文言も出てくるので、延喜・天暦の治よりは武家の時代という感じもある。これは先述の獅子舞との対立関係があるのだろうか。いずれにしても獅子舞は政治性を帯びるし、歴史はどんどん書き換えられていくのだろう。謎深い獅子舞の起源説について、もっと深掘っていきたい。