【2021年8月】石川県加賀市 獅子舞取材7日目 松山町 上野町 千崎町(練習)

2021年8月25日 (水)

10:30~ 松山町 獅子舞取材 

松山町は本日がお祭りの日。獅子舞はコロナ禍のため実施されなかったが、地域の様々な方が集うタイミングだったので、この機会に取材をさせていただいた。区長の方にご紹介いただき、地域の中でも獅子舞にとりわけ詳しい前田義夫さんにお話を伺った。中学一年生から獅子舞を始め、40歳の厄年まで獅子舞を行なっていた。もう40年近く獅子舞を実施していない。獅子舞を辞めた時は、高等学校を出ると他所に行ってしまう人が多くなったことが関係している。青年団は「せいそう会」とも言った。その後は、壮年団を1~2年作ったこともあった。1年だけ、カラオケ大会で舞を披露したこともあったが、今ではやらなくなっている。

祭りの日は大きな幟旗を立てて、お宮さんで2晩泊まった。8月24~26日がお祭りの日で、その前後合わせて5日間は仕事ができなかった。祭りといえば、他地域に嫁に行った娘さんやらそのお婿さんやらも来て楽しんだ。獅子舞を行なったのは毎年8月25日だった。演目は棒振りと、薙刀と、太刀と、回し棒など全部で13種類だ。町内は20軒ほど回り、ご祝儀は昔、300~500円を包んだ。

獅子舞の始まりは、明治30年代に能美郡の粟生町から手取川の洪水の反乱で、土建屋さんの人が泊りがけで来ており、獅子舞を教えてくれた。当時は周りで獅子舞をしている地域は少なかった。獅子舞を周辺の宇谷町、横北町、桑原町、二子塚町、分校町から習いたいと言われて教えたこともあった。

保管されている獅子頭はピカピカで保管されている。明治時代制作の獅子頭かもしれないというので驚きだ。昭和60年7月に修復のため、山中で漆屋をしている人に塗ってもらったことがあった。

ps. アパホテル社長の実家がある松山町には、大型バス2台や車がたくさん神社に来て、200人くらいがぞろぞろと散策していかれたことがあった。社員たちであろうか。その時はびっくりして、思わずfacebookに投稿した地域の人もいた。

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13:30~ 上野町 獅子舞取材

松山町のお祭りに来ておられた上野神社宮司・山内佳孝さんに、後ほど上野神社にご案内いただき、お話を伺った。
獅子舞の祭りは8月16日に行われる。中学校になったら獅子舞をやるのが当たり前だった。一番最初、朝の8時から区長さんの家から回り始める。太鼓と獅子のみのシンプルな獅子である。獅子頭1人、中2人、尻尾1人でおとなしい寝獅子の舞いを行う。雌獅子である。

昭和28年に富山県井波で制作された獅子頭が残されており、さらに古い獅子頭がもう1つあったがそれは年代が書かれていなかった。

獅子舞の始まりは、山代の方(河南町の方?)から教わったと言われている。山代の獅子舞の特徴として、神社の宮司さんが神社の境内で獅子頭を保管されているという特徴があるが、それは共通点として当てはまる。神社自体ができたのは昭和になってから改築したもの。上中下と3つの神様を合祀して作られた。菊理姫八幡神社応神天皇天照大神の合祀である。様々な奉納の絵が描かれたものがあり、どれも由来は定かでない。ただ、その中に獅子とボタンの花が描かれている絵もあり、獅子舞との関連性があるのかどうかはわからない。

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地域の中島博さん(93歳)という方にもお繋ぎいただき、お話を伺った。小さい頃には既に獅子舞をしており、獅子舞をやっていてよくわからなくなったので古老に聞いて習ったら、自分ができないような技を教えてもらったことがあった。その時には既に獅子舞の型が変化していたようだ。

青年団は15人くらいいた。尋常高等小学校の1年生(今の中学一年生)から青年団に入った。獅子舞の蚊帳の中に入る人は今も昔も変わりがない。獅子頭を持つ時は自分の頭は下げていないといけず、もしできなかったら太鼓のバチで叩くという厳しい指導もあった。足も膝も揃わんといけなかった。今はその頃と比べると形が崩れていると感じる。若い世代はスイカやらブドウなどを食べさせてもらえることもあって、叩かれるのも我慢できた。演目数は昔から1つで、名前は特についていない。8月16日に向けて、20日前から練習をおこなってきた。これは戦前戦後の貧しい暮らしの時期とも重なるような話である。

昔に比べると、今は少し家の軒数が増えている。

 

16:00~ 加賀市美術館
写真集を学芸員の方に購入いただいたので、お渡しに伺った。そしたら、獅子舞をぜひ企画展の一部として検討いただけることになった!これはとても楽しみである。詳細を今後ぜひ検討いただきたい。やはり、美術館もコロナ禍でお客さんが少ない中、地域の方々に関心を持ってもらうために、獅子舞などの題材を検討くださっているのだ。

 

17:30~ 山代温泉追加ヒアリング 
たまたま、山代温泉観光協会の天王地さんに山代温泉の獅子舞についてお話を伺う機会があった。もともと金沢の中村神社から土方流の獅子舞が伝わったようだ。先日、山代のバーで飲んだ時に、蚊帳の中にお囃子が入るということを聞いて、これは非常にユニークだと感じた。福崎さんという方によれば、これは「見えてはいけないバックグラウンド」の意味で捉えているということのようだ。ミュージカルだって音楽は黒子的に隠れている。これができるのは、山代の獅子舞の蚊帳が非常に大きいからである。また、ストーリー上では、棒振りは獅子を退治する存在なので、棒振り同士が戦う小競り合いが演目の中に含まれるのは不思議だと感じていたのだが、これは舞手の相手方と獅子を威嚇するという意味のようだ。舞手は90度を描くように動き、その両端で舞手の相手方と獅子どちらにも接触する。また、草原をイメージして、そこに獅子がいて人間が戦うという平地での関ヶ原の戦い的なイメージで、実際に舞いを実施しているようだ。

19:30~ 千崎町 獅子舞練習取材

千崎町は今年、祭りで獅子舞を行わないが、練習のみ平日の19:30~21:30で行っていると聞いて伺ってきた。集団で年長者が年少者に教えているのが印象的だった。「前に出す足が逆」「薙刀のつき方を強く」とか、いろいろな動作のポイントについて教えていた。昨日訪れた田尻町は大人と子供で練習の時間が分けられていたが、千崎町では同じ時間で練習している。雨の時は集会所の中、晴れの日は外で練習する。

千崎の獅子は昔のものを見ると、黒の下に様々な色が塗られていたようで、黒になる前に違う色をしていたかもしれない。獅子舞は小塩町から伝わったこともあり、獅子頭が大きく、演目や口上も似ている。この地域は北浜(ほくひん)小学校の校区で、橋立地区と金明地区の交流は昔からあったようだ。また、塩浜の影響も大きく、掛け声が小塩町から習ったときは「ロッコイ」だったが、塩浜町の奇声をあげるのがかっこいいということで、それを途中から取り入れるようになった。

ps. 塩浜町の獅子が暴れるのは、雌獅子が子供を守るためとのこと。獅子が暴れるから、獅子がメイン。それに比べて、棒振りメインで獅子がサブなのが橋立3町や千崎町の獅子。

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まとめ

松山町といえば、「宇谷町、横北町、桑原町、二子塚町、分校町」の人々が獅子舞の弟子入りに来た地域だったので、なんでそんなにも魅力的だったんだろう?どんな地域交流があったの?というのが焦点でした。上野町には勅使地区の中でも山代温泉方面の別系統経由ということがわかりました。あとは加賀市美術館にも良い出会いがありました。また、山代温泉の獅子におけるお囃子がなぜ蚊帳の中に隠れるんだろう?という疑問が解決して、お囃子の役割って音楽におけるバックミュージックだったのですね。見えちゃいけないっていうのがとてもユニークな発想と感じました。千崎町はお祭りがないのに、練習しているのはなぜだろう?というのをとっかかりに、熱い想いを持った青年団やOBとお話しする機会ができました。今日も充実した1日でした。