【2021年8月】石川県加賀市 獅子舞取材6日目 宇谷町 田尻町(練習)

2021年8月24日

10:00~ 宇谷町 獅子舞取材

区長の滝口誠久(せいきゅう)さん(69歳)と、農家で昔地域の広報誌・さえぐさの編纂委員をされていた河口諒男(りょうお)さん(78歳)にお話を伺った。

まずは、公民館に保管されているクリアファイルに閉じられていた以下の資料(手作り無名)を引用し、この地域の獅子舞の歴史を紹介させていただきたい。

祭りには家々の悪鬼を追い払い、幸運を呼び込むという獅子舞がある。これはいつ頃宇谷町に伝えられたのかその年代は明確でない。古老の伝によると、粟生町(能見郡)から習ったとか、粟生まちはあばれ川・手取川の洪水で常時水害に見舞われ、田畑の修復工事には、優れた特殊技術を持った人たちであった。その出稼ぎの土方さんから習ったとか、校下松山町に獅子舞は古くから伝承されていたので指導を受けて教わった説があるが明確ではない。獅子舞は雌獅子で、槍・長刀を持った若者が悪鬼の獅子を退治し、五穀豊穣・家内安全を祈祷する舞であった。太鼓・笛のリズムは、古い歌舞伎調で昔の舞を呼び戻すような音調に、深いところで残っている。若者の舞は古いものに、新しい現代風の活劇が加味され、太鼓・笛・舞と三位一体のものがあるような気がする。

 獅子舞のお祭りは昔から8月29日に行っている。豊年満作を願うもので、昔は刈り取るのが10月から11月3日までの時期だったが、最近は刈り取り時期が早まり、それと被るくらいの時期にお祭りをするようになった。小中学校の子供合わせて20人いる。青年団は20代までだが、それより上でも手伝っている人もいる状況だ。昔は獅子舞に参加するのは町民の義務で強制だったが、それでも皆楽しんでやっていた。獅子舞の当日は神社に始まり、80軒ほどある町内の家を回り、神社に戻る。ただし、昔は30軒くらいだったこともある。朝は6時くらいから18時くらいまでやるが、町内が30軒だった時はもっと早く終わっただろう。ご祝儀は1軒につき5000円が目安で、企業も個人もあまり出す額に変わりはない。また、ご祝儀の額によって舞い方を変えることはない。2つの演目(薙刀・棒振り)を行うのが決まりだ。それというのも、ご祝儀は封筒を開けないと額がわからないようになっているので、出してくれた金額は後ほど確認する。また、ご祝儀をもらった時に口上を唱えるという習慣はない。獅子舞は昭和のはじめに松山町から習った。その前にも獅子舞はあったかもしれないが、どういうものがあったのかわからない。獅子は雌獅子で、女朗(めいろう)という呼び方もした。松山町から伝わった獅子舞は昔から演目数など今でも変化はない。

獅子頭白山市鶴来の名工が彫ったもので新旧3つが残されている。一番古い獅子頭がとにかく高価だ。鼻の出方など、新しいものと比べて作りが全く異なる。新しい獅子頭を購入した時は青年団が貯めていた10万円と、町民の寄付によって購入できた。獅子頭は100万円以上しただろう。太鼓は2種類保管されており、区長さんがお知らせをする時に叩く太鼓と獅子舞をする時の太鼓がある。また、選挙の時に使うダルマやら、本物のようなリアルさがある薙刀なども見せていただいた。

ちなみに、この秋祭りに対応する形で春祭りもあるが、獅子舞を舞う習慣はない。また、祭りといえば昔は輪踊りの印象があり、獅子舞を舞ったあとの夜に行っていた。他の村の青年団(那谷寺など)も駆けつけたようだ。逆に違う地域で輪踊りをする時は出かけていった。昔は粟津温泉から小松の方まで江沼郡と言って、柴山潟などの潟があった。しかし、昭和33年(遊郭禁止令が出た年)、大同工業のチェーンづくりをしていた新家熊吉さんが市長になり「加賀市」が新しく作られたので、地域の境界が作られ分断されてしまった。ただ、宇谷町の人々からしたら、元々は小松の那谷寺の方の人々とは地域交流があって、同じ地域に属しているような感覚もあったのだ。

昔、宇谷町は「温谷」と書いた。一向一揆の時はお寺を拠点として役人と戦争をしていた。お米がお金の時代だった。大聖寺は7万石だったのに、見栄を張って10万石と偽ったので怒った民衆が立ち上がったのだ。そのような歴史も残っているので、昔は圧倒的に農民が多かったが、学校の先生やら勤め人やらいろんなことをしている人がいるので、お祭りの時にはその日程を配慮する必要が出てきている。

ps. 勅使地区の方々は電話をするときの「もしもし」のイントネーションが面白い。なぜか「も」を強調して「し」を低めに小さく発音することがわかった。

▼祭りにおいて獅子舞の発着場所になる高宮白山神社

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15:00~ 竹の浦館 カガコレ 搬入

10月中旬から下旬に行われるカガコレに出店することが決まった。獅子舞の本やクリアファイルなどを販売させていただく予定だ。北嶋夏奈さんに送迎いただき、その搬入に行ってきた。偶然立ち話でダンボールの獅子舞を作っている話をしてみると、ぜひワークショップをやってみてはという話になった。詳細を今後詰めて、近いうちにお知らせさせていただきたい。


19:00~ 田尻町 獅子舞練習 取材

2021年9月18日の獅子舞の神社での奉納に向けて、田尻町町民会館で平日19:00ごろから21:30頃まで、獅子舞の練習が行われていた。吉野裕之さんに同行いただき、青年団長さんの許可のもとで撮影を行った。20:30ごろまでは小中学生の練習時間で、その先は大人の練習のようだが、仕事でなかなか集まれないという人も多いようだった。小学生は笛や太鼓の演奏をしており、中学生は棒振りや薙刀などを練習していた。

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太鼓の子は一人お休みだったが、子供達の出席表を見せてもらうと出席率は80%くらいでかなり出席している人が多い印象だ。出席表は棒振り、笛、太鼓の3つそれぞれで紙に記入されており、子供達が出席した日に丸をつけるという方式だった。また、中学生の棒振りやら薙刀やらの練習では、ホワイトボードを使って、◯×△の表を作っていた。演目数が15もあるので、メンバーの練習の習熟度を可視化する目的があると思われる。◯は一人でもできる、△は補助ありならできる、×はできないという具合である。この表は15種類一通り練習が終わったら記入するらしく、習熟度を図る機能があると考えられる。演目数と演者が多い橋立ならではの発想と言えるだろう。また、右側にはグループ分けでどの演目を誰と誰が演じるのかを整理していた。それにしてもここまでしっかりと真面目に練習していることに驚いた。小学生は練習途中で遊んでしまうこともあったものの、吉野さん曰く総じて自分が子供の頃よりも真面目に練習しているかもしれないと話されていた。

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そもそも子供達の獅子舞に対するモチベーションはどこにあるのだろうか。橋立小学校・中学校は同じ敷地内にあり、それぞれ全校生徒が100人に満たない。その中で女子が半分なので、獅子舞の担い手になる男子はそのまた半分で50人くらいである。その中でさらに半分くらいが実際に獅子舞の担い手として活動しているようだ。ただ、コロナ禍で伝承する機会は格段に減ってしまっているようである。もともと全校生徒が少ない分、部活動もバレーと卓球しかない。そのため、部活にあまりのめり込みすぎることなく、獅子舞にも精力的に取り組むことができるのかもしれない。また、吉野さんによれば、子供の頃から獅子舞の勇ましい姿を見てきているので、それに対する憧れは大きいだろうとのこと。舞っている姿が格好良くて自分もできるようになりたいということかもしれない。僕は獅子舞の練習を拝見して、動きが機敏であるという印象を持った。武芸鍛錬の面影を感じるのだ。チャンバラごっこの感覚もあるのでは?などとも感じた。実際に話を聞くだけでなく、練習を観ることで分かることも多いのだ。