和歌山県民俗芸能祭、ここにもあったか!素晴らしい獅子舞たち

和歌山の獅子舞ってどんな特徴があるの?という疑問とともに、2024年2月18日、第17回和歌山県民俗芸能祭を訪れた。もともと三面獅子という全国にも珍しい形態があることから、その取材をメインに、現地を訪れた。

野中の獅子舞(和歌山県田辺市)

始まりはなんと南北朝時代に遡る。吉野朝の護良親王が援兵を募った際にら駆けつけた郷士たちの指揮を鼓舞したのが、この獅子舞の始まりとのこと。熊野九十九社である継桜王子や近野神社、近露王子などに奉納することから、熊野信仰と深く関わっている。主要演目としては剣の舞があり、獅子が野に出た際に剣を見つけ、恐る恐るそれを咥え、八方位の悪魔を祓うという物語が込められている。そのほかには、道中神楽、お神楽、乱獅子、花がかり、うかれ獅子がある。剣の舞を実際に舞いを拝見した感じだと、まさに伊勢大神楽の獅子舞に似ていたので、おそらく後世に伊勢大神楽の影響を強く受けているだろう。剣を抜くときに観客に当たるかどうかみたいなスレスレを目指す感じがスリルがあった。

寿式三番叟(滋賀県長浜市)

唯一県外団体としてゲストで来ていた寿式三番叟。江戸時代後期に阿波の人形座が借金の代わりにと置いていった人形を使い始めたのが始まりらしい。その人形の非常に美しい装飾はひときわ目立っていた。この団体の後継者育成には目を見張るものがあり、海外からの学生を招いてサマープログラムを2003年から受け入れて以来、17年で400人余りの経験者がいる。海外ファンが多く、それらが伝承者となる未来もあるかもしれない。上演内容自体はけっこう長くゆったりとしておりなかなかストーリーを把握しづらいという個人的な感想をもったが、師匠のような人物がとても人形座への想いを強く持った方で心を込めて厳粛な表情を浮かべながら人形を操る姿が、万物を理解するかのような眼差しに思えて感動した。

顯國神社の三面獅子

三面獅子はオニ・ワニ・獅子の三面が登場する非常に珍しい獅子舞だ。オニは天狗のように鼻が長く、ワニは牙が鋭いという特徴がある。この三面獅子の始まりは定かでないものの、江戸時代以降にいくつか記録が散見される。「樫の木」で作られた獅子頭には、享保11年(1726年)の銘がある。また嘉永四年(1851年)の『紀伊国名所図会続編』等で三面獅子舞が登場した記録がある。オニ、ワニ、獅子という形態については、南隣の広川町に伝わる「広八幡の田楽」(国選択無形民俗文化財)など周辺地域でいくつか見られる。江戸時代以前の記録はないが、中世に祭りの先導役と厄祓いを主として担った「行道獅子」に似たような形態を持つ獅子だ。またオニは天狗あるいは伎楽の鼻高面、ワニは伎楽の崑崙にも似ているように思えるが関連性を示す資料は見当たらない。また「獅子退治」の形式を持つ獅子舞は他に、北陸方面に見られる加賀獅子や金蔵獅子の「獅子殺し」などがある。

上野の獅子舞(和歌山県紀伊田辺市)

この獅子舞が今回の芸能祭のトリとなった。室町時代から伝承されている獅子舞である。ただ昭和29年に古文書が大火で紛失したとのことで、詳細がわからないのは惜しまれる。こちらも伊勢大神楽の影響を強く受けている獅子舞だ。御神楽、弊の舞、乱獅子、くぐり、神ばやし、ごしゃく、花がかり、扇の舞、剣の舞、道神楽という演目がある。実際に拝見してみて、花がかりが特に印象的だった。木になる花に背伸びしてまでもどんどん向かっていく獅子の姿が優美であり、華やかな演目だと思った。この演目は岩手県のしし踊りに登場する柱がかりを若干彷彿とさせるほか、石川県沿岸部(とりわけ石川県金沢市内灘町加賀市橋立地区)に伝わる花棒によって雌獅子を誘い出す舞いと類似していると感じた。この上野の獅子舞は雌獅子だろうか?

和歌山県の獅子舞は三重県伊勢大神楽の影響を強く受けて発展したことがわかる。これは野中の獅子舞と上野の獅子舞を見て感じた。また、奈良や大阪、京都という飛鳥時代から平安時代にかけての芸能の中心地も近く、その影響も受けている。それゆえに芸能の歴史も非常に古いという印象である。三面獅子はおそらくこの飛鳥時代以降の伎楽の影響を少なからず受けている。このように周辺地域の獅子舞の特徴が少しずつ伺え、それらが集合して今日の和歌山の獅子舞文化ができているように思える。