獅子舞と聖武天皇、そして八幡信仰。獅子舞大伝播の謎を解く。

獅子舞がなぜ全国に広がっていったのか。今では47都道府県に伝えられているわけだが、その最初の起爆剤のひとつが、八幡信仰だった可能性がある。これはどういうことなのか。東大寺大仏殿開眼供養が行われた752年。この年に、日本全国から参列に駆けつけた人々は伎楽の中に登場する獅子を見たはずだ。開眼供養には全国から1万人以上の参列者が来たという盛況ぶりだったという。この東大寺大仏の大きな発起人となったのは749年まで在位を保っていた聖武天皇やその想いに応えた行基たちである。聖武天皇と獅子舞との関わりはそもそも奥が深く、鈴鹿椿大神社で741年に最初期の獅子頭が作られたこと、そして東北のしし踊りの起源のひとつである鹿の胎児の薬効によって妃が治癒した話、これらに全て聖武天皇が関わっているとも言われる。

その聖武天皇の大きな功績として、そこには741年の国分寺建立という出来事がある。この国分寺建立がまた獅子舞に大きく関わっている。国分寺国分尼寺の建立は仏教の力を借りて国家を安定させるという鎮護国家思想に基づいており、隋を建国した文帝・楊堅による大興国寺や唐における則天武后の大雲寺とも似た発想だ。ところで国分寺の大元である惣国分寺とも呼ばれた東大寺鎮守神八幡宮であり、八幡宮というのは全国に建立された国分寺国府の守護神だった。つまり八幡信仰とともに、国分寺は全国に広がっていったのだ。「日本古来の神々は絶対的理想の存在である仏が、衆生を救うために姿を変えてこの世に現れた姿」、どこか語学の翻訳のような発想で、神仏の関連性を示した。これが神仏習合の実態である。その中で仏教行事が神社でも展開される要因になった。今日島根県平安時代発祥と言われる、隠岐国分寺蓮華会舞はこの国分寺伝播の過程で広まったものだろう。この舞楽には無論獅子も登場し、当時の芸能の形態を今に伝えてくれる貴重な芸能である。

また時代は下り、ここからやや蛇足ではあるが、日本では十世紀後半から王朝文学に「天下一」の文字が多く見られるようになる。栃木県の関白流の祖と言われている、「天下一関白流神獅子」(栃木県)や三匹獅子舞の流派でよく登場する後嵯峨天皇(1220−1272)の勅願とされる「天下一角兵衛獅子」などの天下一はここから来ているのではないか。『東大寺要録』には東大寺が「天下第一の大伽藍」と記されている。

石清水八幡宮武家との関わりは、清和源氏八幡大菩薩を祖先神にしたことに始まる。これは源頼信の時代からである。源義家前九年の役で1051年に東北を平定後、鎌倉由比郷(材木座)に八幡神を移して社殿創建となった。源義家は父頼義が岩清水八幡宮に参籠した際に霊剣を賜る夢を見て、妻が義家を懐妊したことから、石清水八幡宮には非常に強い思い入れがあったに違いない。東北の経営のために建てられた多賀城や胆沢城の鎮守府には八幡神が祀られていたことから、坂上田村麻呂の征討伝説と重なり、そして八幡さんが軍神となった。

さらに源氏の氏神として八幡大菩薩が勧請されて、源頼朝によって1191年に鶴岡八幡宮が創建された。下宮に若宮が祀られ、そこに舞殿も作られた。また奈良の大仏殿平重衡による南都焼討後の東大寺の復興は、1185年(元暦2年)に大仏開眼供養、1195年(建久6年)に大仏殿落慶供養が行われ、この95年の時に鎮守の東大寺八幡宮から譲り受けた菩薩面や舞楽面が鶴岡で奉納された。鎌倉御家人武家鎮守神かつ軍神として鶴岡からの勧請が繰り返され、八幡信仰はさらに地方へと広がっていった。この過程で地域の神と八幡神を共に信仰し、祭礼行事を通して家族・親族や家臣団との関係性を構築しながら、地域住民を組織した。この中に舞楽に組み込まれた獅子舞があったはずだろう。このようにまずは東大寺国分寺建立の流れと、鶴岡八幡宮建立や鎌倉幕府の成立、これらの背後にあったのが八幡信仰である。

さて最初期の獅子頭の中でも、八幡信仰圏が関わる獅子頭はどれほどあるだろうか。こう見ると僅かに見えてしまうが、いくつか存在する。実際に八幡信仰と獅子舞の関わりを持っと示せるデータを模索中...。

※年記銘つき獅子頭年代順(八幡系には◯)

・建長4年 1252年 愛知県 日置八幡宮
・弘安3年 1280年 三重県 伊奈冨(いのう)神社
・正安3年 1301年 広島県 丹生(たんじょう)神社(高野山系)
・嘉元3年 1305年 岐阜県 真木倉(まきくら)神社
・嘉元3年 1305年 山梨県 諏訪神社
・嘉元4年 1306年 岐阜県 諏訪神社
・元享2年 1322年 山口県 花尾八幡宮
・元享2年 1322年 石川県 津波倉(つばくら)神社◯
・嘉暦3年 1328年 熊本県 熊野座神社

八幡信仰は主に西日本では宇佐八幡宮や岩清水八幡宮の荘園として展開された。日置八幡宮の最古の獅子頭愛知県愛西市ではあるが、八幡信仰圏の荘園だからこそ伝わった獅子舞文化とも言えそうだ。石川県最古の獅子頭は1322年の朱書があり、それが伝わった津波倉神社はもと八幡宮といったらしい。獅子頭の上顎には、元亨2年(1322)、土豪とみ られる景久(伝不詳)が八幡宮に施入したとの朱書銘が記されてある。ここでは八幡宮であることと、国府が置かれた小松という立地によるものだろう。

また古野清人『獅子の民俗ー獅子舞と農耕儀礼ー』によれば、埼玉県秩父郡浦上村昌安寺所蔵の「大日本獅子舞之由来 上中下3巻 奥書天文元(1532)辰8月」において、起源説として石清水八幡宮の話が出てくる。要約すると後嵯峨院の時代に1245年に獅子舞が始まったとされており、その由来は春も末になり五節句の祝いの席で、黒雲や雷によって異様な雰囲気が醸され大地が振動して大きな光る物が紫宸殿の大庭に降ってきて、異形の3つのものだったと。それで石清水八幡宮にて八乙女による神楽、弥宣や神主による幣帛、貴寺の高僧による読経が行われ、その吉凶に対する託宣が行われた。その結果、異形の3つのものが「南天竺の洞ヶ嶽という峨ヶ(山や岩石などが険しくそびえ立っているさま)とした岩石の山に住んだ獅子という猛獣の頭である。それでいつでも出るのではなく聖人出世のときに稀に出るのである(中略)これからのちは天下の祭礼は、この頭をもって人々の首にのせ、獅子のように舞わせ、宝祖長安、四民繁昌、和光随順、諸天善神も納め受けられ、加護あるべき物である」とのこと。

ちなみにこの石清水八幡宮起源説は、愛知県の日置八幡宮獅子頭が完成した7年前の話である。さらにいえば、石清水八幡宮から獅子舞を習い伝来されたのは福岡県の大分八幡宮の獅子舞であり、この獅子舞は近隣の10以上の地域に獅子舞を伝えたが、このような動きは日本全国にあったろう。大分八幡宮といえば、福岡の日本三大八幡・筥崎宮の前身であり、八幡信仰の大元である宇佐八幡宮とも近い地理関係にあり、八幡信仰の勢力が強いエリアであることを考えれば、この大伝播も無理はない。

なるほど、石清水八幡宮の託宣は、獅子舞伝播のきっかけを作ったに違いない。ちなみに三社託宣の神として知られる、天照大神伊勢神宮)・八幡大神石清水八幡宮)・春日大神春日大社)は全て獅子舞伝播を考える上で非常に重要な神社である。伊勢神宮伊勢大神楽石清水八幡宮は八幡信仰圏の獅子舞、春日大社はしし踊り系の鹿とのつながりがあり、それぞれ日本列島の獅子舞電波の大動脈を担った神社たちであろう。

ちなみに後世における八幡信仰は、皇軍の守護神や開拓の鎮守にもなった。軍艦マーチが獅子舞のお囃子に取り入れられること(山形県長井市 獅子宿渋谷さん談)や、北海道に八万社が数多く建てられたことなどは概ねこのことに由来するのかもしれない。八幡さんが全国神社祭祀祭礼総合調査(1990〜95年度)では7817社で全国分布1位だった。次が伊勢系、天神系、稲荷系、熊野系...と続く。