インドネシア スラバヤ、民俗芸能調査の記録。中国獅子舞、猿回し、Reog...路上から舞台まで!

2023年10月9日から21日、インドネシア第二の都市・スラバヤに滞在した。3人組のユニット「獅子の歯ブラシ」が、東ジャワビエンナーレに参加するためである。2週間の滞在だったがそのうち1週間は比較的余裕があり、さまざまな民俗芸能に触れる機会を得た。その1週間目を主に振り返り、インドネシア・スラバヤの芸能の特徴に迫っていきたい。

中国獅子舞の練習に参加

2023年10月10日にヒアリング、翌11日に練習の見学を実施した。実際に自ら体を動かして、中国獅子舞の動きを習得するという良い機会にもなった。まだまだかなり鍛錬は必要だが、実際に経験してみてかなり腕に力を込めてキビキビとした所作だということがわかった。また、習得のコツとしては、獅子頭の頭の方向を変えるという意識を持って、手を動かせばうまくいくことも多かったように思う。

それではここで、スラバヤの中国獅子舞(バロンサイ)の概要について触れていこうと思う。まずバロンサイと日本の獅子舞との大きな違いは前者が獅子舞をスポーツと捉えているのに対して、後者は地域が協力して継承する民俗芸能と考えている点にある。スラバヤのバロンサイは団体数で言えば40団体ある。活動内容はどれだけ国際的な大会で勝ち進み賞金が取れるかによって決まってくる。全ての団体に練習場所があり、場合によっては企業がスポンサーになって資金提供してくれている場合がある。

スラバヤには華人のコミュニティが発達しており、そこには中国系の獅子舞も存在している。練習場所は武道をメインに実施するスポーツセンターのような場所であり、財団によって運営されている。これはカンフーなどの武道をする人と獅子舞をする人が担い手としてかぶっている場合があり、日本の沖縄県で獅子舞の前に棒術が行われたり、石川県の加賀藩が武芸鍛錬を目的として始めたとも言われる棒振りつき加賀獅子の存在を思い浮かべた。

バロンサイの頭は28,000,000ルピアくらいの値段が一般的であり、金色に光るタイプのものが高価である。獅子頭制作はスラバヤでは職人がおらず、ジャワ島の中央部の都市スマランで制作している。この都市は中国文化が盛んで、バロンサイも数多くある。バロンサイの頭の色によって、意味や出番が異なっている。例えば赤、オレンジ、黄色のものはビューティーコンペティションに使われる。その他にも黒色はアクロバティックコンペティション、青色はイベント・インキュベーション・ショー用という風に、色によって使うシチュエーションを分けている。

獅子舞はスポーツであり、厳しいルールと減点方式によって成り立っている。地域的な枠組みよりは友人などとの関係性の中で加入を決めることも多い。担い手は10代後半から25歳くらいまでの約60名によって構成されており、そのモチベーションは獅子舞に対する熱い想いや大会で優勝に向けて頑張って賞金を獲得するということが挙げられる。獲得賞金で高ければ、50万円くらいは団体に入り、そこから各個人に賞金が配分されるという仕組みだ。今回訪問した獅子舞団体はジャワ州で2位になったこともある実力の持ち主である。練習は平日に1日おきに行なっており、月曜日、水曜日、金曜日の19時半から22時あるいは23日まで行う。

獅子頭は練習用のものは紙が貼られていない木組みのものを使うため、腕の動きやその時の表情、頭の位置の確認などいろいろと基礎習得に便利である。実際に演舞を拝見していて、動くところと止まるところのメリハリや音の激しさと大きさなどが際立っており、日本の獅子舞ともまた違う演舞であることを再確認できた。

朝一の猿回しを見学

10月15日(日)朝6時から9時、スラバヤの英雄記念塔という場所の東側でモンキーダンスが出没するという噂を耳にして、現地に行ってみた。最初、朝のエクササイズのダンスをしている人がいて、その場にいた人に聞いたら「モンキーダンスはお休みかもしれない」と話していたが、辺りをうろうろしていたら、見事にモンキーダンスにめぐり合うことができた。その内容はかなり衝撃的だった。基本的にお囃子と猿をあやす役の2人1組となっており、それが2組でローテーションしている。1つ目の組が伝統的なモンキーダンスのような感じで、少し道具がボロボロになっていて、ロン毛のボスザルのような風貌のおじさんが鎖に繋がれた猿を操っていた。楽器は単調なリズムで、鐘と太鼓がくっついたものとなっていた。自転車に乗ったり、竹馬をしたりというかなり変化球な内容だった。それから2組目は仮面を被った猿が登場して衣装も小綺麗で、どこかアレンジされたモンキーダンスだと思った。猿が仮面をかぶると異様な雰囲気があたりを包み込んだ。得体の知れない生き物が小刻みに蠢いているように思えてくる。1組目、2組目共通で、最後は猿がお金をもらいに周囲を取り囲む人々を回っていった。時には観客の服を引っ張るなどの仕草が見られた。

このモンキーダンスを通して、獅子舞にも表れている動物と人間の関係性を再度問い直す機会となった。猿は人間に抑圧され、ストレスが溜まっているようだった。時には牙をむき出し威嚇するような表情で、猿を操る人間に噛みつこうとすることもあった。しかし、一方で猿は観客に喜んでもらうなど、大歓声を受けてどこか誇らしげでもあった。それに対する対価としてお金が支払われた。僕は5000Rpa(約50円)を支払ったが、その額も人によってさまざまで、1000~10000Rpaの間が多かったように思う(後日談で現地人に聞いたら相場は2000Rpaくらいとのこと)。現在、日本でモンキーダンスをするのは日光猿軍団などであるが、基本的には動物愛護と見世物興味との狭間で、猿と人間のより良い関係形成ができていくと良いなと思う。

巨大な虎と孔雀の祭典「Reog」の鑑賞

2023年10月15日(日)、15時よりSurabaya Art &Culture Festival 2023を訪れた。会期中、さまざまな伝統芸能現代アートを見ることができた。今回はその中でも獅子舞研究者としては無視することができない、ジャワ島の芸能・Reog(レオク)に注目してみたい。これは虎の頭を使って行われる民俗芸能であり、日本には虎舞があるが、それともまた異なる文脈で始まった興味深い芸能であり、これについて知見を深めていきたい。実際に現地に向かってみると、会場は1000人以上の人々で賑わいを見せていた。会場の司法を埋め尽くす観衆は演舞が進むにつれて前に前に出てきて、僕のカメラワークの視界を阻んで行った。動画も写真も撮りにくい。会場整備なんてそっちのけで大人も子どもも前のめりになって、この芸能を観ている。なかなかこれほどまでに民俗芸能の観客が集まることなんてないので、このインドネシアの国の大きなエネルギーのようなものを感じることができた。

もともとReogは「バロンガン」と呼ばれており、バリ島のキ・アゲン・スリョンガラムによってもたらされたと伝わるがその年代は定かではない。1910年の写真が残っているので少なくともそれよりは古い芸能であることは確かだ。しかし、そこまで古すぎない現代に近い芸能であることもわかった。1960年代以降に急激に活発に行われるようになった。ポノロゴを始まりの地として、それ以外でもさまざまな地域で実施されている。スラバヤの中だけでも約50団体が存在する。また、海外の国でも実施されているものがある。団体同士の助け合いのような協業関係もあるそうである。

レオグアートがバリのバロンアートに似ていることは驚くべきことではなく、バロンダンス同様に何らかの獅子舞の系譜を汲んでいるように思えてくる。しかし今回担い手にヒアリングしてみて、バロンとは違うという声も聞かれた。バロンはお寺など神聖な場所で行うが、Reogは地域の記念日やフェスティバルなどのイベントやオープニングショーなどで行われ、儀式性はないというのだ。

Reogの始まりのストーリーは、ポノロゴ出身の王女と結婚したかった虎が決闘を申し込み、虎が負けて、その首が孔雀によって森に持ち去られてしまった。しかし王女はその様子が美しかったので、それをアートワークにしたという。ライオンが王、孔雀が王女であり、権力関係は王女が上であることを示すという説もある。そのストーリーを劇のように示したのがこのReogという芸能である。この芸能は健康祈願、学業成就、商売繁盛などの厄払いとは全く関係がなく、基本的にはストーリーをそのまま演じていると担い手は言っていた。

バロンダンスの担い手は全部で40人から50人ほどである。担い手のモチベーションは伝統を次世代に伝えていきたいということ。 実際に受けつぐ人がいなければ衰退するだけなので、それを防ぎたいという想いで行なっている。かなりハードな練習を必要とするようで、数ヶ月の練習機会で習得はできるが、あまり集中的に練習しない場合もあり、その場合は数年の習得期間が必要である。道具の保管についても話を聞いてみたところ、虎の頭は家の中で保管するようだ。虫が食わないようにたまに陽に当てて干すこともあるようである。これは日本で言うところの「虫干し」と同じ意味であり、日本各地の獅子舞でも同じような風習があることから、これは日本だけの知恵ではなく、とアジア全体的に共有されてきた知恵だという風に捉えることができた。

実際に演舞を拝見してみて、長すぎる演舞時間は特徴的だと感じた。昔から娯楽の芸能がもダラダラとはじまり、ダラダラと終わるものだったように、この芸能もどこか単調な余興が続く。この単調なお囃子が約40分間も続いたのは驚いた。それでも皆何も考えることもないようなあっけらかんとした表情で飽きることなくそれを見つめている。

途中、レオクダンスの間に、余興な芸能として、アクロバティックなバク転やお笑いが行われた。ムチ打ちや尻出し、セックスパフォーマンスなどが行われた。日本にはない笑いのネタ。昭和のダチョウ倶楽部のような感じだ。お酒や性にはタブーが多い国なのだが、暴力や調教ネタはokなのかという問いが生まれた。人間の素朴な欲望がむき出しになった結果、生まれたのがこういう所作なのかもしれないと思った。しかし、子どもや成人の楽しみであって、女性たちは渋い顔、あるいは笑っていない状態だったのは印象的だった。また、子どもは笑いをとった担い手に対して、チップのようなものを渡していたのは印象的だった。この行為は何を示していたのかはよくわからなかった。そのチップを渡した子どもがなぜか担い手にズボンを脱がされて笑いを取られる対象となっていたことは、日本ではかなりの問題ある出来事に発展していただろうと思われるが、これも皆大爆笑で終わっただけだったのは、インドネシア人のおおらかさというべきか、笑いの質があまり求められずに原始的な笑いのパフォーマンスと見るべきか。さまざまな考え方が頭の中を錯綜した。

それにしても非常に濃い2時間だった。全く飽きなかったし、同時にこれで良いのか?と日本の近代化にある種毒されている自分を見たような気がした。さまざまな学びを経て、僕はこのReogという芸能がインドネシア人の根源的な欲求をまざまざと見せられたように思われた。もし学びたい場合はいつでも学ぶことができるとのこと。外国人が興味を持ってくれてとても嬉しいようである。ぜひReogに興味を持った人は、一度見に行って欲しいと思う。

BERSIH DESA surabaya

10月22日(日)インドネシアスラバヤのTandes駅近くで行われた芸能イベントを見に行った。このイベントの趣旨がはっきりと聞き取れなかったが、おそらく環境問題を考え、エコ活動を啓発していくイベントのようだ。そのような場にスラバヤの芸能団体が少なくとも20以上出演した。

滞在先のTambak Bayanのご縁で、そのコミュニティに近い場所に練習場がある「黄龍」というバロンサイグループに1日密着させていただくことができた。本当に刺激的な1日だった。まずは朝6時に集合と言われていたが、朝4時44分に電話がかかってきて、やはり集合は5時半とのことで急ぎめに準備。チャンドラという担い手にバイクで送ってもらい、練習場に着いた。ここで担い手たちがトラックにバロンサイの道具を積載するようなので、その間、6時半まで朝ごはんを食べてきて良いよと言われた。そこで、道端の屋台でクレープとチキン春雨?のようなヌードルを食べた。それで帰ってくると、チキンご飯がやっぱりあるよということで、それももらって水も買ってくれた。とても優しい。そして、腹一杯になった。

それからいよいよ出発だ。トラックに乗り込んで、その上から車や道の様子を眺めた。積載が大きいからか、僕含めて6人も荷台に乗り込んだ。「(荷台に人が乗っていたら)普通なら警察に注意されるんだけど、バロンサイは特別に乗ることを許可されているんだ」という。どこか誇らしげである。インドネシアのバロンサイボーイたちとの交流は刺激的で、トラックに乗りながらも一緒に動画や写真を撮ってどんどんinstagramに載せていく。日本とインドネシアの国旗をつけたり、音楽とともに投稿したり、ブラザーなどと呼んできたり、どこか親しげである。日本ではあり得ないくらいに人と人との壁がない。

到着先のイベント会場では、バロンサイチームのリーダーと話をした。どこか風格がある。お茶はフリーだよなどと言って、さらっとおごってくれるのだ。やはり、インドネシアのお茶は格段にうまい。あまりに暑すぎる気候の中で、喉の渇きが半端ないからだ。

このイベントの仕組みを話しすると、まずは町の主要な道路を芸能団体が行進していき、その後にステージで芸能公演が行われるという流れだった。このイベントでは本当にさまざまな芸能が見られた。音楽の音量は基本爆音なので、身体が物理的に震えてきて、耳を塞がないで長時間聞いていることが難しいくらいの音楽を爆音で奏で続ける人々がいた。

総じて基本的な振り付けが簡単な踊りが多かった。それから日本で言う野菜神輿のようなものがいくつかみられ、野菜を龍の塔にしてみたり、船に乗せてみたり、さまざまな造形が見られた。あるいは生活必需品であるプラスチックの皿や桶などを高く塔のように積み上げるようなものもあった。芸能は生活文化の延長上に生まれることを強く意識した。途中息苦しくなるくらいにカラフルな粉を撒き散らす場面があり、これは盛り上がるけどある意味危険にも思えた。鑑賞者の姿勢としては基本的に沿道鑑賞の形をとるが、人によっては建物の屋根に登っている場合もあり、これは日本よりもラフなインドネシア人の気質を最も端的に表している1つの例のようにも思える。

バロンサイの演舞はこれらの行進ののち、まず最初の出番として行われた。バロンサイの始まりは3頭の獅子(赤2 黄1)の演舞から始まった。その後、黄獅子の玉乗り、赤獅子の台上りののち、竜舞の登場。その後、再び3頭の獅子の演舞で締めくくられた。おおよそ30分ほどの演舞だったかと思う。獅子舞と竜舞が同じ団体内で実施されていることを考えると、獅子舞の頭が日本で龍の形をしている場合があることを思わせる。玉乗りは獅子が玉に気を取られて危害を加えないという平和の象徴たる演舞であろう。おおよそ自分が知る限りでは中国獅子舞の流派を踏襲する形で、特に中国獅子舞との違いは見られないようにも思われた。

演舞後、バロンサイチームの皆さんは食事に出かけた。近くの建物でテントが張られていて、そこでチキンスープのようなものと水、そしてのちにココナッツジュースをいただいた。非常に美味しかった。それから着替え途中の仮面舞踊のチームを見かけて声をかけてみると、ライオンとドラゴンの中間種の仮面だという。名前は「Caplokan」とのこと。これは日本で見たことはない。バロンサイチームの方々によると、これはレオクダンスやバロンダンスと似た部類の踊りだという。

それから12時過ぎに食事を終えて休憩とダラダラタイムを終えたバロンサイチームは帰路に着いた。帰りは暑すぎるのでなぜか特別に車に乗せてもらった。車の中は涼しすぎて、面子を見るにおそらく先輩やバロンサイの支障が載っているようだ。若手はトラックの荷台ということかもしれない。僕は外国からのよくわからない取材者とうう立場でありながら、車に乗せてもらって涼しい中で帰路につけることを大変ありがたく思う。帰りの車の中で、「日本に帰ったら、きっと肌が黒いまま生活することになるぞ」と自虐的にこの暑さを冗談に変えてくれてなんだか親しみやすい人たちだなと改めて思った。そして、再びあの練習場につき、帰りは歩いて帰路に着いた。

今回の調査から感じたこと  

インドネシアの民俗芸能は生活の延長上にあり、野菜やお椀など日常の身近なモノを用いて、信仰と芸能が立ち上がっているような感じがした。簡単なところでいえば、ギターを引いたり歌ったりする人が飲食店やお店、コミュニティスペースに勝手に入ってくることもあった。これは法律以前の自由と寛容さ溢れる世界観だなと!戦後間もない日本もこういう雰囲気があったんだろうなと思いながら眺めていた。公私空間の垣根が解体し、歩道がさまざまな生活の営みの場となる。これはとても面白い現象だと感じた。