7年目ごとに開催!御柱祭の様子は?コロナ後の祭りについて考える

7年目ごとに行われる長野県諏訪地方の御柱祭に行ってきた。1200年以上の歴史の中で、史上初めて御柱が人力ではなくトレーラーで運搬されるなど、新型コロナウイルスの影響での異例の開催となった。この歴史的な年に、御柱祭について振り返っておきたい。

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諏訪大社御柱祭の始まり

諏訪大社は出雲の建御名方命が出雲で国譲りに反対し、諏訪までやってきて国を築いた時の信仰拠点である。建御名方命といえば謎多き神で、大国主命御子神であり、国譲りを迫った武甕槌命と戦い諏訪まで逃れてきた神とされる。仏教的に言えば、親仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏の争いのようでもあり、建御名方命はつまり物部守屋のことであると考える説もある。何れにしても、大和政権など中央の支配が及ばなかった山に囲まれた場所であり、日本の古くからの祈りが今に残っていると言えるだろう。

御柱祭、正式名称は「式年造営御柱大祭」であり、諏訪大社の氏子の奉仕によって行われる諏訪最大の神事である。御柱祭の起源は定かではないが、室町時代の『諏訪大明神画詞』には、平安初期の桓武天皇(781~806年)の時代にすでに「寅・申の干支に当社造営あり」という記録が残されており、これは出雲などでも行われる式年遷宮のような形での社殿の建て替えのことを意味していたようにも思われる。

なぜ、御柱祭は柱を立てるのか?

なぜ柱を立てるか?について、はっきりとしたことは分かっていない。上記のように式年遷宮が中世までは日本全国で当たり前のように行われていたので、社の全面的な建て替えが行われた名残として、巨大な四隅の柱だけを新しくする現在の祭りの形態が生まれたのかもしれない。ちなみに現在でも、御柱祭の際に宝殿のみは建て替えられている。

また、御柱祭では山を下って柱が降りてくるため、これは祖霊が山を下ることを意味するという説もある。諏訪大社下社の大祝となった金刺氏の主人である欽明天皇は妃の固塩(きたし)姫がなくなった際に、氏ごとに大きな柱を陵の周りに建てさせたともいう。それならば、上社本宮は建御名方命、前宮が八坂刀売命を埋葬した可能性もあり、これは男女一対のような神社観念にも想像が膨らんでいく。御頭祭の時に本宮から前宮に神輿が移動するのは、まさに七夕のように一年に一度、愛人に出会えるという観念にも近いのかもしれない。そういえば、前宮と本宮の間には北極星が祀られている神社があることを偶然にも思い出した。

そのほかにも御柱が結界としての役割を果たし、武甕雷命と建御名方命との和平交渉の条件が諏訪を出ないことであった。つまり、古代の諏訪地域というのは他地域と隔絶された地域であったことが伺える。柱の境界性はチャンスンや道祖神蘇塗などと連想を広げられる。世界は4本の柱で支えられている世界各地の伝説とも重なる話だ。とにかくこの疑問は尽きないが、どの要因が核となってこの御柱祭という祭が立ち上がってきたのかについては興味深い。(参考:遠山郷観光協会

御柱祭の概要について

諏訪大社は上社と下社があり、前者は縄文的な狩猟文化、後者は弥生的な稲作文化が今に残っているとも言われている。

・上社では前宮と本宮があり、春の御頭祭では本宮から前宮に移動して狩猟で獲れる鹿など山や川の幸の豊穣に感謝し、本宮に戻る。一方で、下社には春宮と秋宮があり、2月1日に秋宮から春宮、8月1日に春宮から秋宮にそれぞれ神様が移動することで、五穀豊穣を祈る。諏訪信仰は上社前宮から始まり、下社が後から生まれた。信仰勢力の強かったのが上社であり、それに押されるように下社の命名がなされた。

・柱に神が宿るとされる諏訪地域では、上社(前宮・本宮)、下社(春宮・秋宮)の計4つの社に4方位分(4本分)の柱を立てる。つまり、合計16本の柱が必要であり、これは7年目ごとに入れ替えされていく。これが御柱祭である。

御柱祭の日程

▪️上社 御柱祭

山出し 4月2日、3日、4日

里曳き 5月3日、4日、5日

宝殿遷座祭 6月15日

 

▪️下社 御柱祭

山出し 4月8日, 9日, 10日

里曳き 5月14日, 15日, 16日

宝殿遷座祭 5月13日

御柱祭の開催状況に関しては公式ホームページを参照。

コロナ禍での諏訪神社下宮 御柱祭

御柱は150年前後のモミの木を諏訪大社周辺の山から8本切り出す。切り出す時の道具は本来、斧やノコギリを使って行うが、一部コロナ禍のため簡易的に伐採できるチェーンソーも使用した。また、4月8日午前2本・午後2本、9日午前2本・午後2本の合計8本を普段であれば人力で運ぶが、今回はコロナ禍で練習不足の担い手たちに配慮してトレーラーを使って運んだ。坂の上から人が乗った御柱を下まで落とす「木落し」は中止。桟敷席を予約した人は全部現金で返金という形で対応が行われた。柱の洗い清めがホースだったり、注連掛けの時にクレーン車を使ったり。なんだか現代の祭りという雰囲気が強い御柱祭の幕開けとなったが、コロナ後の世界も案外こんなものかもしれないとも思えてくる。祭りのこれからを再考する良い機会となった。