【2021年9~11月】石川県加賀市 獅子舞取材 大聖寺関栄(追加)

2021年11月7日

19:00~ 大聖寺関栄

公民館大会(11月21日)の演舞に向けて、関栄町民会館で行われた練習に伺った。そのときに、関栄親子獅子保存会に所属する町民の方々を中心にお話を伺うことができた。お話をしてくださったのは、山下和茂さん、高本徹さん、高橋俊之さん、中田祐紀雄さん、小川朋さんだ。また、吉野裕之さんと山口美幸さんに取材の同行をしていただいた。まず、獅子舞のお話を伺うにあたって、関栄親子獅子保存会に伝わる文書の内容を見せてもらった。この文書には以下のように書かれていた。

関町は藩政時代、大聖寺藩の関所があった所で、当時の関所役人から獅子舞を習ったのが、関町の獅子舞の初めだそうです。当時の獅子頭は、竹で編んだザル2個を上下に組み合わせ、紙を張って目や鼻を書いて、これを獅子頭に仕立てて舞ったとの事です。明治に入って、今の獅子頭を購入し、加賀神明宮の祭礼には、町内を青年達が舞い続けてきました。大正時代、青年達の減少により獅子舞もできなくなりましたが獅子頭は代々の区長が受け継ぎ保存され、昭和10年に復活しました。そして、昭和31年に子獅子を加えて現在にいたっています。獅子舞の原則は、奉る(たてまつる)という字形を舞うのですが、私達の獅子舞は長唄『連獅子』をアレンジしたもので、親獅子の子獅子に対する愛情を表現しています。母獅子が子獅子の成長を願い谷底へ蹴落としたところから始まり、谷底からはいあがってきた子獅子が母獅子の乳房を捜したり、母獅子が毛並みを整えたり子獅子が蝶とたわむれて遊んだりする光景が、とても見ごたえがあります。全国に数多く獅子舞はありますが、関栄親子獅子保存会の親子獅子は、関栄親子獅子保存会独自のものであり、これからも一つの文化財として後世に伝承していなねばなりません。現在では、関栄親子獅子保存会(関栄公民館内)受け継いでいます。

※字形は奉るではなく、寿という話もある。

※以前は関栄親子獅子保存会と関栄子ども会が合同で獅子舞を受け継いでいたが、子供会での活動がなくなってからは世代を超えて集うような保存会という形に一本化した。

▼関栄公民館で練習に来ていたたくさんの地域の方々にお話を伺った。

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2匹で行う獅子舞というのは、石川県内では非常に珍しく、金沢にもう1つある程度しか知らない。獅子舞の演目は町内・町外含め本陣だと2匹で舞う一方で、町内の家を一軒一軒回るときは1匹で舞う。本陣では室内に入って、お座敷獅子となる。日曜日の終わりの方で行う越前町の公民館(本陣)は狭いので外でゴザを引いて舞う。このときは外で行うということもあり、人がたくさん集まってきて盛り上がる。また、お店の前で舞ってくれと頼まれたら、外でもゴザを敷いて舞う。お店の前では、子供が多くの役割を担い舞うと喜ばれる。桜まつりは今土日で行われ、どちらも各町の本陣やお店に舞に行く。その前の金曜日は関町と西栄の町内約50軒を回る。ご祝儀は舞いの後でもらうので、その額によって舞い方を変えるということはしない。子供獅子は大人が子供を担ぐというサルボンボをする時もある。練習は桜まつり当日に向けて1ヵ月前から行う。

小学校1~中学3年生までが子供獅子を務める。昔は小学校3年生からだったが、人数不足という経緯があり小学校1年生から獅子舞に関わっている。大人獅子が2人、子供獅子が2人と、その他に太鼓2人、蝶々1人という構成だ。現在、関栄親子獅子保存会は7~8人で運営している。子供は現在男の子2人で、女の子は通常いないが最近だと人手不足で5~6人関わってもらっていた。女の子は昔は踊りに参加していたが、今では獅子舞に行事が一本化しているという背景がある。女の子が獅子に入ると、可愛いということで評判が良い。錦城ヶ丘に引越しをしても通ってくれる30代の人もいて、外に出た人にも協力をしてもらっている。小学校で獅子舞を見せるというのを検討したこともあった。関町では人手が足りなくなったので、獅子舞がない隣の西栄町との合同で獅子舞を始めた。今では「関栄」という名前で公民館まで合同で管理しており、両町に区長がいるが、獅子舞に限らず町のイベントなどは一緒に実施している。

昔とは獅子舞の舞い方が違う。ただ、長老もそれを直すことを強制しない。最も変化したのは太鼓の音である。叩く人が違えば、演奏が変わる。力が強い人は迫力があるし、おとなしい性格の人ならおとなしい演奏になる。また、教える人によっても変わってくる。個性を尊重するというスタンスで行なっているからこそ、現在まで継承できているとも言えるかもしれない。太鼓に重要なのは気持ちを込めることで、その気持ちのこもった大バチに合わせていく小バチも必要である。ただ、今では気持ちを込めて頑張っていることを見せるのが恥ずかしいという感覚の人も多くて、そのような時代性もある。元々は一匹で獅子舞を舞っていて、その時の写真が白黒で残されている。60年前に、今でいう120歳くらいの人が2人で新しく子獅子を加えて親子獅子を作ったが、20年後にはすでに形が変わっていた。人数が多かったので、それを伝承することを重視すると、簡易型の獅子にならざるを得なかった。音が大きければOKというスタンスの時もあった。

▼親子獅子になる前の1人獅子舞の白黒写真

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獅子舞の蚊帳は金沢の村松で作った。蚊帳に毛がそのまま付いているので、しっぽを振るという動作はない。昔は動物の毛が付いていたが、今ではワシントン条約の関係で、ナイロンの毛を使っている。また、蚊帳にはヒラヒラした装飾が付いており、このような形のものは珍しい。大人獅子は青、子供獅子は緑の色が映える蚊帳である。獅子頭は3体あり、2つが親子の本番用で、そのほかに大人の練習用が1体ある。この練習用は重すぎて本番では使えず、うちぐりを掘って軽くするという手もあるが、一木造りでないのでそれは難しい。演舞の最中は鈴がシャラシャラと鳴る必要があるが、重いと鳴りにくいという事情もある。

練習の獅子舞を実際に拝見してみて、とにかく「見せるため」の芸事の獅子舞という印象が強くて動作が洗練されていると感じた。また、すり足のような足遣いを意識していていることが見ていてすぐにわかった。これはお座敷でお客さんの目線が低いからこそ、演じ手も足の動きを意識しているのだろうと思った。また、ストーリー性のある獅子舞だと思った。崖から落とされた子獅子が這い上がり、母親の乳をゴクゴクと飲み、それを上を向いて喉の奥に流し込むという流れで、子獅子が頑張る成長の物語である。ナレーションや演じる前での説明があるとまた違った見え方になるだろう。説明があることでより深く演目に入り込める獅子舞とも感じた。

▼獅子舞の練習風景

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桜まつりの日以外にも、過去には結婚式で親子獅子を演じたこともある。演目の内容的に加賀獅子特有の獅子殺しなどと違って、結婚式に呼ばれやすいという傾向もあるかもしれない。それ以外でも特別に呼ばれれば舞うこともあり、富山県にまで舞いに行ったこともある。10年ほど前までは、無形文化財になって月2~3回の遠征をこなすという話もあった。「夢はドバイ」などと話していたが、そこまで頻繁に公演をこなすというのが難しいということになり、無形文化財指定は今のところ実現していない。コロナ禍では、2020~21年で獅子舞ができなかった。2020年は開催の1週間前に中止が決定したこともあり、練習は少し行っていた。その時から、本番の演舞を行えていない。今回、11月21日の公民館大会での出演は決定したので、実に2年ぶりの演舞である。当日がとても楽しみだ。