【2021年9~11月】石川県加賀市 獅子舞取材 7~8日目 潮津町

2021年9月25日

8:00~ 潮津町 獅子舞本番

本日、潮津町で獅子舞の祭りが行われた。コロナ禍において、どのように実現まで漕ぎ着けたのだろうか?そのプロセスなども含めて潮津の獅子舞のことを知りたいと思い、潮津神社に向かった。神社に到着すると、まず目に入ってきたのが獅子舞保存会の鮮やかな黄色い法被のデザインだった。人の多さにも驚き、潮津町は獅子舞が盛んな地域であることを再確認できた。神社での集合写真の後は、街の各家を舞って歩くのについていった。子供達は最初の「やあ」の掛け声が少し恥ずかしそうだったが、人数が多く活気があるように感じた。また、寝獅子とひょっとこの演技力の高さに驚いた。寝獅子とひょっとこの話は後半に回すとして、まずなぜコロナ禍で獅子舞が実施できたのかについてここで触れておこう。

f:id:ina-tabi:20210927152430j:plain

獅子舞保存会・会長の村井俊一(としかず)さんにお話を伺った。練習は1ヶ月の予定だったが、本当に獅子舞ができるのか?という葛藤の連続だったという。徹底して体温を測って、蚊帳の中でマスクを取る人がいたら注意して、どうやったら実現できるかを常に話し合いながらも練習を繋いできた。最終的には子供会に所属する子供の親がやらせたいという思いを伝えてきたので、実現ができた。普段は7つの演目が行われ、獅子舞を始める時に「薙3」「棒1」などと掛け声をかけて、何の演目を演じるかを決める。ただ、今回は練習時間が少なくそのうち1つ(薙刀の3番)しか実施できなかった。この演目は様々な要素を含んでいるから、次の世代に継承しなければならないという気持ちが強かったようだ。今回は獅子舞を舞う子供の家、13班それぞれの班長宅、公民館、潮津神社の合計30軒で獅子舞を舞った。町内には330軒の家があるので、そのわずか一部しか回れなかったが、それでもかなりの数回れている印象だ。普段は土日の2日間、9時から19,20時あたりまで舞うが、今回は土曜日の半日のみとなった。今回は午前7:30にスタートして、お昼までに潮津神社(お祓い・奉納の舞・集合写真)、区長宅、班長・子供宅、公民館の順番で獅子舞が行われた。獅子舞を運営しているのは獅子舞保存会で、そこに協力する形で青年団が関わっている。潮津町では青年団は獅子舞だけじゃなくて様々な行事の運営もしているので、獅子舞に興味がない人も含まれており、自ずと運営は獅子舞保存会に委ねられている。また、獅子舞が小学校3.4.5年の男子で巫女が小学校5年女子。それ以外の小学生は神輿である。神輿は力がいるので小学校6年男子は神輿において重要な存在だ。年齢ごとに厳密に役割を決め、保存会・青年団・子供会と運営サイドの役割分担含めて仕組み化している点は非常に興味深かった。やはり、青年団だけで運営できない場合は、壮年団や保存会、子供会といった様々な組織の熱量と協力が必要になってくることを再確認できた。

最後に潮津町のユニークな演目である寝獅子とひょっとこについて触れておきたい。寝獅子は寝るところからスタートして太鼓の音に起こされ、周囲の笛、太鼓、観客などをパクパクしてお祓いする動作をしたり、自分の足を噛むような動作をしたりして、途中酒を飲まされることもある。それで、この酒を飲ます動作にアレンジを加えたのが、ひょっとこの存在である。ただ単に酒を飲ますだけだとあまり演目的に間延びしないので、ある時を境にひょっとこと獅子との掛け合いが生まれ、ひょっとこが酒を飲んでグデングデンになって、子供やら大人やらに酒を勧めるような仕草をしてちょっかいを出したり、太鼓を叩いたり、獅子の尻尾を引っ張ったりして千鳥足で進みながらも、肝心なところとして獅子に酒を飲ますという演劇的なストーリーが作られた。この役目は、かなりオールマイティーに立ち回りができて人を楽しませることができる人が適任だろう。今回は8時から9時半の時間帯しか取材ができず、本来であればひょっとこをやる予定はなかったそうだが、特別に取材が入っているからということで見せていただいた。通常の舞いにプラスして演じてくださったひょっとこの演者の神尾さんを始め、潮津町の方々に感謝したい。

※獅子舞保存会・副会長の嶋中一さんによれば、歴史を遡るとこの地域でロータリークラブのイベントが開催された時(年代不明)に、市議会議員の稲垣清也(しんや)さんという方が初めてひょっとこを始めたかもしれない?とのこと。後日追加の取材を行うことになった。

f:id:ina-tabi:20210925215420j:plain

ps. 2022年1月5日追記

潮津町伝来の資料(平成28年3月 潮津町長生会)によれば、潮津町の歴史は潮津神社の成立から見ても1000年以上の歴史があるが、元々獅子舞はなかった。明治20年頃に当時の若い衆が大聖寺敷地町に古くから伝わる獅子舞を習いに通って、これ以後、潮津町の祭礼で寝獅子であり暴れ獅子の形態の獅子舞を開始した。その後、大正5年(1916年)に潮津町の小谷瓦工事店へ瓦焼き職人として住み込んでいた30代の辰口村(現能美市)の男性が、ある時に潮津町の獅子舞を見て、「古風で長すぎる」と話した。そして、「私の郷土の獅子舞を伝授したい」と申し出た。当時の潮津町の青年団は喜んでこれを受け入れ、約半年かけて習得したのが、現在の獅子舞だ。この獅子舞の導入により、3月15日の春祭りでは神社と区の役員宅、秋祭りでは町内全戸を回り、獅子舞が行われるようになった。正月は雪で地面がぬかるむため舞うことはしなかったが、結婚式で動きを抑えた寝獅子が舞われることはよくあった。この獅子舞は笛や太鼓に合わせて、棒や薙刀を持った若者が暴れる獅子と闘うストーリーで構成されたことが特徴で8種類の舞い方がある。獅子舞に子供が参加するようになったのが昭和40年代以降で、それまでは全て青年団員によって演じられていた。