【2021年9~11月】石川県加賀市 獅子舞取材 片山津温泉5区・1区・潮津町(追加)

17:30~ 片山津温泉5区

この地域の獅子舞に長年関わっておられる、末友哲二さんにお話を伺った。同行は山口美幸さん。40年前、昭和56年に片山津温泉5区の獅子舞が始まった。それ以前は片山津温泉としての1つの青年団があり、各区に獅子舞の運営が分かれていなかった。この片山津温泉青年団が解体して3年間獅子舞が途絶えていたが、その後、1区、2~4区、5区、6区という風に同時期に運営が分かれて獅子舞が復活したので、その流れで5区においても獅子舞が始まった。獅子舞が途絶えていた期間は、獅子舞関連の道具は社会福祉法人 伊奈美園に保管されていた。獅子舞を復活させる時、1区は財力があったので獅子頭を買った一方で、2~4区は社会福祉法人 伊奈美園にあった獅子頭を譲り受け、5区もそこから破れた太鼓や歯の折れた練習用の獅子頭をもらい受けた。5区は太鼓を12~3万円で修理して貼り直した。6区はいつから子供獅子をしていたのか。もしかしたら、片山津温泉全体の青年団があった時に並行して、子供獅子だけあったのかもしれない。2~4区は10数年獅子舞をやっていたが、担い手で頑張っていた人の1人が、金沢に行くことになってしまった。それで5区の人が2~4区に行って、片山津温泉の足湯のある「あいあい広場」に以前あったハッピーというスーパーマーケットの駐車場で、獅子舞を教えるということもしていた。しかし結局、2~4区の獅子舞は途絶えてしまい、5区に吸収される形となった。なぜ、2~4区が1区でも6区でもなく、5区と一緒になったのか。その詳細はわからないが、少なからず人の繋がりか何かがあったからだろうと思われる。2~4区の獅子頭はその後、芸妓検番「花館」に飾ってあったが、後に5区が50万円で購入した。

 

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末友さんは26歳まで金沢にお住まいで、大きな蚊帳を使った獅子舞に担い手として参加していた。その盛んな獅子舞を経験してきたので、片山津温泉5区にきてから今に至るまでも熱心に獅子舞を伝え盛り上げておられる。明治時代以降、片山津温泉は土地をどんどん埋め立てて、人も入ってきて、そういう流れの中で獅子舞を始めて続けてきたので、少なくとも4世代さかのぼると外から入ってきた人も多い。末友さんだけでなく、その上の世代含め、実際に金沢の方から片山津の方に来た人も多かったようだ。

末友さんは、過去の5区の獅子舞の資料を大量に残している。誰がどこでいくら使ったのか、誰がご祝儀をいくら出したのか、笛・太鼓・棒振り・三番叟・獅子のどれを誰が演じたのかなどの記録をしっかりと残しておられる。例えばある年の資料によると、子供(学生)の欄には小学校1年から大学4年生までの男女が参加したことが記されており、小学校低学年の男子が三番叟、小学校高学年の男子が棒振り、中学生以上の男子が獅子で、女子は全員笛を担当していたことがわかる。また、大人の欄には大学生卒業以上の人の名前が羅列されており、特にその役割についての言及はなかった。時には、災害の義援金を「片山津温泉5区獅子舞連」と「片山津温泉5区祭礼委員会」の名前にて数万円単位の金額で寄付されていたようで、例えば平成5年の北海道南西沖地震義援金や、鹿児島豪雨被災義援金の寄託に関する領収書なども残しておられた。また、1日のスケジュールを手書きで毎年残しているようだ。

 

▼平成5年度獅子舞当日のスケジュール

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お祭りは昔、8月20,21,22日の最初の2日で獅子舞を行なっていた。最近は祭りの日にちが変わるので、何日と決まっている訳ではない。昔は少し始まる時間が遅かったが、最近は朝5時など早めに祭りが始まることも多い。最初は子供の着付けから祭りの準備が始まる。集会所が無い頃は、末友さんのお店(チェリー)や、地区会館などで着付けをしていた。獅子舞の演目は、三番叟が「シーシャシャ」「シャシャロウ」の2つ、棒振りは「コンコラコン」「イヤダ」「ちんたご櫓」ともうひとつの合計4つが伝わっている。お昼は集会所で食べるが、昔はお祭り広場(湯の祭りの5区の本陣)でグリル竹や味よしなどのお店からカレーを取り寄せて食べるということもしていた。また、昨年、グリル竹はお店が閉まってしまったので、集会所にお皿を寄贈してくれた。この地域はとにかく資料が膨大なので、細かく記録が残っている地域だと感じたし、それは末友さんをはじめ地域の方々の獅子舞に対する想いでもあると感じた。

 

ps. 潮津町 稲垣清也さん お電話

ひょっとこの起源についてお話を伺った。「台湾まつりIN加賀市2017」で台湾の獅子を加賀市が招いたとき、潮津町からの出し物で獅子舞と同時にダブルひょっとこを行なった。その数年前、現在51歳の稲垣さんが「うきうき宵の市」で実施したのが今のひょっとこの始まりだろう。うきうき宵の市は毎年、商工会と観光協会が主催して観光客や地元の人を対象に、8月1日から16日まで湯の元公園で実施しているイベントで、夜店がずらりと並ぶ。ステージもあり、1日1団体出し物をする。そのステージのパフォーマンスで潮津町の獅子舞が出た時に、稲垣さんが「昔、ひょっとこがあったらしいから、ちょっと(アドリブで)ひょっとこやってみ」と言われ、潮津の人ではなかったが飛び入りでひょっとこをやってみたという流れである。それから複数ひょっとこを実施する中で、皆で考えてきちんとやり方が整ってきた。

 

ps. 片山津温泉1区  枷場(はさば)さん  お電話

明治時代に、能登半島田鶴浜から建具職人の山口半次郎さんが、一儲けしようと思ったのか片山津温泉に引っ越してきた。その時に、富山の石動の系統の獅子舞を伝えたのが、片山津温泉全体の獅子舞の始まりである。片山津温泉の歴史は新しいので、それ以前にはおそらく獅子舞をしていた人はいなかったようで、「祭りに獅子舞がなけないかんやろ」ということで始まった。それで昔は獅子舞のレパートリーを増やすため、石動から青年団の人が山口半次郎さんの紹介という形で教えに来たこともあった。山口半次郎さんの子孫は、3代目の人が最近まで飲食店をしていたが、現在、そのお店はやっていないし、半次郎さんが獅子舞を伝えた経緯についてはご存知ないかもしれない。ちなみに、片山津温泉青年団は柴山町、新保町、高塚町、小松市の串茶屋などに獅子舞を教えに行ったことがある。串茶屋とは、「獅子舞は片山津より串茶屋の方が古いやろ」とやり取りしていたが、動画を見てみると「これは片山津の獅子や」ということになった。おそらく片山津温泉は他と違う獅子舞をしているということで、珍しがって周辺の地域の人が習いに来ていたようだ。