崖に棺桶が!?生と死を見つめるフィリピン北部の旅、写真作品の視点から。

フィリピン北部には、様々な伝統文化を持った人々が暮らしている。その中でも、イフガオ族とイゴロット族の文化には、かなりゾクゾクするものを感じたので、訪問してみた。

 

現在、写真の作品作りをする上で「生と死」に対して、どう向き合うのかというのが1つのテーマになっている。生きることのエネルギーや活力と、それに対する死ぬという恐ろしさを目の当たりにしたとき、人は強く生きられる。

 

同時に、自分の作品を見てくれる鑑賞者が少なくとも何らかのメッセージを受け取ってくれなければ、写真の価値とは何たるかわからなくなるだろう。生や死というテーマが人の心を揺さぶるものであることは間違いない。写真家がこぞって、ハンターに同伴して、捕らえた獲物の血がほとばしる様を撮りに行くというのは、何となく感覚としてよくわかる。でも、撮るものやフォルムがありきたりなものも多い。

 

自分は、意図して物語を作りたくない。故意に飾るのも好きじゃない。だから、ドキュメンタリーの写真を撮るのだ。真正性は大事。それで、ドキュメンタリーだから、どうやって差別化はかって、対象物と向き合うのって話もある。結構、多くの人の心を揺さぶるものは撮り尽くされちゃうのだ。

 

クリップオンストロボで、対象物だけ明るくして、周囲を暗くして、さも恐ろしげに撮っている木村伊兵衛賞受賞者の田附勝さんの写真集「東北」にはその1つの答えがある。場所選びと撮り方が秀逸で、混沌としたものを統一的な独自の撮影手法と世界観で撮っているように感じる。

 

「東北」というくくりで撮影した田附さん。広い土地を統一的なテーマで括ろうとしたときに、そもそもの土地のカラーが個別的に違うから、どう撮るのって話もある。それで、ミイラとか、漁師とか、ハンターとか、様々なものを1つの世界観でまとめあげるっていうのはすごい。でも結局、自分が好きなものは何か並べていったときに、ああこれだよねって合点がいって、最終的に自然に収束していくような感覚もある。

 

自分が撮りまくっている世界の民族の文化風習みたいなものが今後どう纏められていくかは非常に行き先が見えぬ旅でもある。一昨年のベトナムの市場、昨年の東北の祭り、インドのラダック奥地、台湾の原住民、そして、今回のフィリピンの民俗・風習、写真を本格的に始めてから、様々な国の人と土地との関係性に迫ってきたが、今後これがどう新しく編み直されるのだろう。自分でも感覚としてわからないところもあり、とにかく自分が好きなものを撮り続けようというのが大きな軸である。

 

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さて、今回のフィリピンは、とにかくエネルギーをビンビン感じた。都会のマニラから、若者がマフィアみたいに見えてきて、荒ぶる人もいれば、路上で倒れ眠りこける子供や老人がいて、ジプニーに乗る人が山のように屋根やら側面やらに捕まって運ばれていくような姿もあって、まさに「生きる」ってこういうことだなと感じた。

 

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田舎町のバナウェやサガダは、霊気に満ち溢れた神秘的で神聖な土地に思えた。バナウェの棚田が幾重にも重なる様は深い歴史を思い起こさせた。また、骸骨やら土偶、牛の骨やらを高床式住居に飾る風習は、中々に恐ろしげで、死をビンビン感じた。

 

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サガダのイゴロット族の土地では、懸棺という風習があって、崖に棺桶を吊るすという何とも奇妙な風習がある。先祖の霊に近づけるためとか、野犬や首狩り族の人たちを近づけないようにするためだったとか、腐敗を防ぐためとか、いろいろ言われている。人は胎児のように丸まってあの世に行くと信じられているので、遺体を椅子で縛って固定して、折り曲げて、棺桶に埋葬するらしい。自然崇拝の信仰が元になっている考え方のようで、2010年で2000年の埋葬の歴史に幕を閉じたというから、現代のキリスト教文化に自然崇拝がかなり押されているということかもしれない。

 

なるほど、周囲の自然や街並みにも霊気や神秘を感じざるを得ない濃い体験ができた。写真の整理をしているところである。これからも、世界の民族を独自の手法と視点で撮り続けたい。このinstagramのアカウントでは、撮影した作品の一部を公開しているので、ぜひご覧いただきたい。

 

Inamura Yukimasa(@sekaitabi8)

https://www.instagram.com/sekaitabi8/