【岩手県遠野市】しし踊り撮影をして1ヶ月、自然との対話を通して作品作り

最近考えていること。僕は写真や文章を通して、地域の魅力を伝えていきたい。ただし、自分がやっていることについて、あまりよくわからないという方も多いと思う。やはり、きちんと自分の言葉で噛み砕いて伝える必要を感じる。そこで、現状を簡単にブログでまとめておく。

 

先日、遠野でクリエイターインレジデンスに参加。遠野の神秘的な空気感に引き込まれ、その魅力を肌で感じながら、写真の作品を作った。タイトルは「しし踊りの記憶」。人間はどうして、民俗芸能を生み出したのか。その原点を探りたいと思い、しし踊りの担い手を訪ねるとともに、その踊りのモチーフとなる鹿と対峙する猟師を訪ねた。これは言い換えれば、人間は如何に自然と対峙してきたかを掘り下げることになると思った。 

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思い返せば、自分は自然がとても好きである。

雲の様子とか、太陽の光とか、川の流れとか、自然の表情から、

美しさや繊細さを教えられた。

大学2年生の時に、農業やら林業やら地方の現場を見て歩き、

アルバイトやインターンシップを経験して、

自然とともに生きる豊かさを知ることができた。

しかし、自分は手と足を器用に動かして、自然と直接対峙することの難しさを感じた。

物を運ぶとかレジ打ちをするとか人が当たり前のようにできることが、

不思議なくらいにできない...

一方で、写真や文章を使って何かを表現したり、経験を共有したりすることは楽しいし、

多少は褒めてもらえることも多かった。

 

それで、大学卒業して1年半後に紆余曲折あり、写真を学ぶ学校や、ライターの養成講座に通って、今の生き方に繋がった。

 

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最初は、旅をしながらその場限りの驚きとか出会いを、写真や文章に残すという形が多かった。しかし、後に残るのは虚しさばかりである。その場で感じたことが果たして、本当の理解に繋がっているのだろうか。笑顔で一晩泊めてくれた人や路上で出会った人が自分に十分心を開いてくれただろうかと考えてしまう。相手が赤の他人であると感じながら撮ると、自分よがりで瞬間を盗むような写真しか生み出されないように感じるのだ。それで、僕にとっての表現は対話であることを知った。長い時間をかけて、その被写体、あるいは地域に向き合うことによって、生み出されるものがある。それによって、人にも何かを感じてもらえるではないか。

 

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そのように考えた僕が、最初のフィールドに選んだのが、石川県加賀市だった(2019年〜「KAGA SHISHIMAI project」)。この地域は、日本全国の中でも獅子舞が多く実施されている地域。五穀豊穣など自然に対する祈りや、厄払いの意味が込められ、何より獅子頭のデザインに惹かれた自分は、これをたくさん撮影してみようと考えた。加賀市の獅子舞は伝来経路が多様であり、石川県内や富山、伊勢など、様々なところから伝わった。そのため、獅子頭のデザインもバラバラで非常に奥深い世界が広がっている。人に会うたびに発見があり、どんどんのめり込むほど世界が広がっていく感じが面白い。海、山、川、城下町、温泉街と多様な地形が存在し、中心地の定まらない地域特性を作品作りの過程で体感できた。そして、この特性から育まれた民俗芸能を撮影することで、地域を再発見しようと考えたのだ。

 

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一方で、今回滞在した遠野もしし踊りという「民俗芸能」に注目しているが、アプローチが異なる。加賀では、自分が水平方向に地域の多様性を感じ面白さを表現しようと試みているのに対して、遠野では垂直方向に対話を行う。盆地を中心に山に囲まれた地形の遠野では、言わば神域と俗世を行き来するような感覚があるのだ。しし踊りのモチーフである鹿が地域内に存在するので、山にいる鹿という生き物<神域>と、里に伝承されるしし踊りという芸能<俗世>を双方に深めることで、その境目を見出そうという発想になってくる。例えば、鹿が踊っている姿を見てしし踊りを発想したのかもしれない。実際はそこまで単純な話ではないのだが、その踊りの源流を遡れる面白さがあることは確かだ。

 

遠野では、今後何をやりたいのかという話をしておきたい。

①まずは猟師の方に、鹿を打つ瞬間、それを裁く現場、それを頂く食卓、あるいは自然に還す現場を案内していただき、自然との対話を深めて、より自分ごとにしていく。

 

地域の伝承や実体験(自然に対する畏怖など)に基づく小道具のデザインや踊り方について事例をたくさん集めていき、写真で表現してみたい。例えば想像の話だが、鹿が顔を左右に振り回しながら走っていたのをみて驚いたから、しし踊りにそういう動きを取り入れたとか。山で遭難していた時に、鹿の通る道を跡をつけたら里に帰れたから、その道で感謝の念を込めたしし踊りを開催するようになったなど..。ある出来事があって、そこに畏敬の念や感謝が生まれて、しし踊りにつながったという過去をよりリアルに辿ることで、自然と対話する感覚を示せるのではないか。

 

 

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③あともう1つやってみたいのは早池峰山の山頂から遠野駅までを歩いて下ること。単純に遠野市内の一番高いところから一番低いところまで一筆書きで歩いてみたら、先ほど書いた神域と俗世の境目を身体で体感できるのではないかと考えるからだ。人は山で自然の脅威を感じ畏怖の念を持ち、里に帰ってそれを共有することで物語が生まれた。それならば、自分が写真家として物語の語り手になってしまおうという考えである。これはまだ雪が降らない次回の滞在の時(9月)に実施したい。

 

昨今、新型コロナウイルスの流行や環境問題の深刻化などが叫ばれる中で、人間のもっとも大きな問題の1つに自然との向き合い方があると感じる。過剰に森林を破壊すれば、多くの生き物の住処を奪い空気を汚すことになり、人間もしっぺ返しを食らう。しかし、貧困や食糧供給など多くの問題が複雑に絡み合い、解決は非常に難しい。自分にできることは小さなことだが、表現の世界で人の心に残るようなものができたらと感じている。

 

結局、写真の作品は現場をそのままお届けすることはできない。世界を直接捉えることはできず、撫でることくらいしかできないのだ。アートの視点は受け手に委ねられているとはいえ、まず注目してもらえるようなモノを作らねばと思う。分厚いけど手に取りたくなるような写真集を何年かかけてどどーんと作りたいという妄想はある。あとは、つくる大学での講座をさせていただくなどして、地域の方との出会いを大事にしていきたい。今、急いで何か作るのはやはり時期尚早だ。今はまず、様々な撮影を試してみたい。

 

▼前回、初めての遠野滞在(7/4~12)は写真展を開催しました。次回の滞在(9/3~8)では、引き続き写真の作品づくりを考えています!(※新型コロナウイルスの影響も考えて、場合によっては日程変更も視野に入れながら行います。)