【2022年12月】石川県加賀市 獅子舞取材 大聖寺仲町

2024年5月4日、石川県加賀市大聖寺仲町(なかちょう)で獅子頭が発見されたとの連絡を受けて、取材を行った。

新しく獅子頭を発見に至った経緯としては、今年3月、大聖寺仲町在住の井上隆司さん(隆の生の字は横棒4本、生の上に横棒が1本増える形。以下井上さん。)が自分の家の蔵の取り壊しに際し、蔵を片付けていたところ獅子頭を発見。その隣の小屋にある、人間の背丈をやや超えるくらいの高い位置に設置された木製の棚の上に、それを置き直した。獅子頭を発見したことを大聖寺仲町住人の水口さんに相談すると、その水口さんの息子さんから、加賀市獅子舞を応援する会の熊岡さん(BAR Friends)に連絡がいった。それで、今回取材に至ったというわけだ。

蔵に保管されていた獅子頭の状態としては、漆がやや禿げているものの、実際に祭礼で使えるくらい状態が良かった。獅子頭のサイズは子ども用だろう。比較的小さなサイズである。獅子頭が入れられていた箱には、その他に紐、風呂敷、尻尾、蚊帳、昭和26年のなかよし会の会計資料が入れられていた。それを覆う箱は黒くて長方形で、白い紐で結ばれていた。

昭和26年の町内のなかよし会の会計簿の紙が箱の中から発見され、それ以後の資料が箱に中に見られないことから、この年が獅子舞の最終年だった可能性はある。また、なかよし会は大聖寺仲町大聖寺片原町の合同で行われていたようなので、獅子舞も合同で実施していた可能性があるが推測の域を出ない。会計資料には獅子舞の町回り(門付け)の紙もあり、回るスケジュールと場所、そしてご祝儀の金額が書かれていたが、これは本陣に舞いに来た獅子舞の町名なのか、仲町から舞いに行った町のことなのかは不明である。50円から500円などで、祝儀を渡した記録が残されていた。

それから大聖寺仲町で最も年配で、昔のことをご存知であろう現在84歳の稲坂先生(昭和15年生まれ)にお宅に伺った。稲坂先生によれば、「自分も同級生も獅子舞をしていたという記憶はない」という話だった。太鼓は長いこと稲坂先生の家に保管されており残っていた。しかしいつの間にかなくなっており、他の家で保管されることになったらしい。皮のところがベロン!と剥がれた状態になるまでずっと保管していたので、最終的には近所の水口さんが処分した。

それから実際に獅子頭が発見された蔵を持つ井上さんにもお話を伺った。井上さんは現在72歳で、戦後の昭和27年生まれである。井上さんの話によれば、自分が物心ついた頃には、既に獅子舞が途絶えていた。ただし井上さんは九谷焼の卸問屋をしており、所帯出の井上慶作さんと息子の陽一さんが手伝いに来ていて、仲町の世話役をしていたその慶作さんに獅子舞を教わり、真似っこ遊びをしていたことがあった。これはおそらく井上さんが10歳ぐらいの時、約60年前の話である。太鼓もあったので、太鼓と獅子で遊んでいた。獅子舞の中には、頭と尻尾とその真ん中で、3人ほど入った。ただし、あくまでも真似っこ遊びなので、その舞い方ははっきりしたものではなかったようだ。井上さん宅には蔵が3つあって、その中でも福井地震で潰れた蔵の跡地の広場で、獅子舞をしていた記憶があるという。

その真似っこ遊びが行われていた頃から、井上さんの蔵に獅子頭が保管されていたかもしれないとのこと。それ以前には獅子頭を区長さんが変わるごとに、町内持ち回りで保管場所を移動させていた時期があったが、少なくとも獅子舞ごっこをはじめたあたりからは、井上さんの蔵にずっと保管されていたと考えられる。

発見された獅子頭を撮影する様子

井上さんと獅子頭が発見された倉庫をバックに撮影

撮影した大聖寺仲町獅子頭