東京都板橋区 諏訪神社の田遊び。千年続く素朴な神事で、獅子舞を発見!

田遊び神事の獅子舞は非常に素朴で東京の中にあってはどこか貴重で珍しい獅子舞と思った。
2024年2月13日、国指定重要無形民俗文化財、赤塚諏訪神社の田遊び神事を訪問した。この民俗芸能のことをつい最近までずっと知らなかった。都市祭礼というよりは農村祭礼が、なんと池袋にも近い板橋区の赤塚諏訪神社にて実施されたのだ。当日の様子を振り返ろう。

19時に神事が始まるとのことで赤塚諏訪神社に到着した。人だかりはできていたが、30分くらい何も起こらなかった。それで動きがあったのが、鳥居の外から鉄の棒をガラガラとひき、または提灯を手に持つ神事の担い手たちが境内に入ってきた時だった。

神輿が出てきてそれが、鳥居の外に出て、浅間神社のお祭り広場まで移動した。

何もない空地はどうやらお祭りで使う重要な場所だったようだ。広場の中では次々と舞が行われた。今回拝見した獅子舞は左右に頭を大きく振るような激しさがあった。悪魔払いの意味があるという。

広場に入る時と出る時に、花籠を立ててからすぐに天狗が大声を出すというのが印象深かった。

それからまた赤塚諏訪神社に戻って再び獅子舞が行われた。ここで行われた獅子舞は「九字の舞」といわれる。

それから寿の文字が書かれた神様が来訪して、あとは「太郎次」と「やすめ」という、どこかひょっとことおかめを連想させる2人が現れた。

その後に最終的な田遊びの歌が行われた。これが行われたのは拝殿前に設置されたモガリという名の舞台である。モガリ上方の装飾は非常に興味深かった。ギザギザした三角模様はカカシを示すという。赤い的のようなものは太陽だろうか。花籠もここに設置された。

これは田んぼでの五穀豊穣を祈る予祝の芸能とのことである。その後、篝火でいろんなものがお焚き上げされて夜空に明々と炎が舞い上がっていた。

また、田遊びの歌を歌う時には、牛と鞍が登場する。鞍は餅でできている。また杵に入れられた木の枝は、鍬を表すという。この手作り感がとても良かった。

素朴な形態を残すのは、こういう道具のつくりだったり、夜に実施される神事的な側面だったりということなのかもしれない。昔は明かりなんてないところでやってたのだろうけど、今ではカメラマンが撮影しやすいようにライトを持参していることからしてもなんだか神事から見せる祭りへの変遷が伺える。こちらはひょっとこのような役の背後に照らされた強い光。

篝火の消化にあたっていた消防士。狛犬は焦げないように保護され、神事の後には水をかけて冷やされていた。こういう細かい裏方の仕事もとても大事である。

この赤塚諏訪神社の田遊び神事は長徳元年(995年)から受け継がれている神事であり、実に1000年以上の歴史がある。平安時代から脈々と受け継がれるこの神事。近年開発が進んだ住宅地で拝見したのはどこか考えさせられるものがあった。昔はもっと多くの土地が田園地帯だったのだろう。神社の立て看板によれば、正保年間(1644年〜48年)には4900俵(840トン)のお米がこの地域一帯の「徳丸ヶ原」で生産されたという。それが明治9年の大開墾もあり、大正5年には352ヘクタールの水田から14000俵(840トン)のお米が生産された。今では住宅街も多くなったが、その中でも行われる田遊び神事。土地の暮らし、民俗の歴史をを色濃く伝えてくれている。池袋から電車ですぐの郊外にこれほどまでに厳かな農村行事が残っていたとは驚きであった。