30年以上大事に保管されてきた獅子頭のお話

静岡県島田市川根町抜里。大井川中流域に位置しており、抜里駅周辺に広がる密集地だ。国道473号線がこの地域を縫うように貫き、東に大井川、西に山並みが広がる。その土地の大部分は田畑から茶畑へと転換しており、お茶に霜がかかることを防ぐための「防霜(ぼうそう)ファン」が回転している風景は印象的である。

この地域を散歩していると、家の庭で松の木の剪定をされている方がいた。よくよく聞いてみると、たまたま獅子舞の道具が家の中にあるという。そこで、偶然にも大獅子のお神輿と獅子頭5頭に出会うことができた。いずれも紙製なので、とても軽い獅子頭だ。大獅子の神輿は米袋の上に置かれており、胴幕がつけられている。神輿なのに胴幕がつけられている理由はよくわからなかった。神輿は担ぐものだが、この大獅子は人がかぶるような部分もあったのかもしれない。何れにしても、もう30年以上獅子舞は行われていないという。獅子頭5頭は赤い顔に緑の胴体を持つ一人獅子である。中には農作業のような帽子が取り付けられていて、作った人の名前が書かれている。鉢巻のようなもので、顔に獅子頭を固定する仕組みとなっている。鉢巻の先端には、重石のようなものが取り付けられている場合がある。こちらの獅子頭はたまに虫干しをしているという。

f:id:ina-tabi:20231203195913j:image

それから地域の取りまとめ役のおじさんに、獅子舞のことについて尋ねてみると、このような答えも帰ってきた。抜里という地域には合計14班の区分けがあり、そのうちで12班で獅子舞が行われていた。10人で獅子舞を作ったという。そして、男女が集まるような場所で舞って歩いたそうだ。このような中で、相撲やひょっとこ、ピンクのレオタードを着たふざけ合いなども行われていた。しかし、秋のお祭りがなくなってしまったし、獅子舞を行うことも徐々になくなっていった。それからいつの頃かミニ博物館をすることになって、皆で作った獅子頭を一箇所に集めて保管するようになった。もともと獅子頭はお宮さんに保管されていた。しかし、近所の橘さんという方がそれを引き取って、今の場所に保管しているという流れだそうだ。

祭りも獅子舞も完全に地域向けに作られたもので、外から観光客が来るということはほとんどない。ただし、この成立背景にはどこか地域外の視点が加わっている。まず、獅子舞づくりの際に、他の地域の舞いを習ってきたという。ただし、どこから習ったのかはよくわからない。また、この地域の獅子舞とは違う獅子舞もいたという。旅芸人が他所からきて、正月前後に舞を行っていたというのだ。さあ、獅子舞文化を介した地域間交流の姿が見えてきたことだろう。

ところで先ほど、橘さんのところで見せていただいた大獅子神輿と獅子頭。なかなか捨てることはできないという。地域のみんなで作ったものだから大事なものなのであり、楽しかった記憶とともにしまわれている。もう一回、お祭りが行われることはないけれど、一番楽しかった頃の記憶とも言えるかもしれない。

このような会話を地域の方(コーディネーター的な立ち位置の方)としていたところ、「伝統的なものは残るけれど、楽しいものは残らない」という話になった。基本的には自治体や国が無形民俗文化財として指定するのは、歴史的な物語があったり、昔の舞い方を忠実に継承していたりという条件つきだ。これに指定されたものはもちろん魅力はあるわけだが、それ以外のささやかな地域芸術というものも再考することは大事だと感じた。

 

f:id:ina-tabi:20231203195853j:image

f:id:ina-tabi:20231203195951j:image