舞わず、頭を噛まない獅子!?福岡市紅葉八幡宮で「祓い獅子」を見てきた

福岡県には、珍しい獅子舞があると聞いていた。獅子舞なのに舞わず、ただ持っているだけという。神輿渡御行列の獅子舞ならよく知っているが、門付け型の獅子舞なのに舞わないのはとても珍しい。いつも東日本の獅子舞ばかり見てきたので、九州の獅子舞も見てみるかと思いたち、福岡へと向かった。

福岡の獅子舞

九州地方の獅子舞は古くはイノシシをモチーフとしていることが多いと言われている。福岡県に伝わる棕櫚(しゅろ)毛で覆われている獅子舞はこの特徴を色濃く残しているといえよう。『福岡県郷土芸術』第二分冊、「民間演芸」の巻一(昭和8年)には、「獅子舞の成立」について、甲乙丙の3種類に分類している。甲は浮羽郡柴刈村(田主丸町、のち久留米市)柳瀬玉垂宮の払い獅子、乙に福岡市香椎宮の伎楽系舞楽的獅子舞、丙に早良郡壱岐村野方(現福岡市西区)の演劇・狂言的獅子舞の3分類である。獅子舞の国際交流という観点からは、祓い獅子は高良大社のふさふさとした縫いぐるみ獅子、筑後川流域の棕櫚毛の獅子、荒れ獅子に中国や沖縄の獅子舞との類似性が見られる。また、演劇・狂言的獅子舞には朝鮮半島南部との交流が見られるため、大陸との結びつきも強い。

祓い獅子の由来

祓い獅子は家々を門付けして回る門祓いと、神輿の先祓いをする祭礼の祓い獅子がある。福岡において、今回取材対象としたのが神社でお祓いを受けて神遷しをした獅子が、村の家々を戸別に回り、無病息災や五穀豊穣を祈願する「門祓いの獅子」のことで、伊勢大神楽が源流とも言われる。市場直次郎氏によれば、伊勢大神楽は昭和初期まで九州北部に来ていた。これは伊勢参宮に成り代わって祈願・祈祷の神楽を奉納することを目的として、代神楽が受け入れられていた。この伊勢大神楽が現在、九州北部で舞うことはなくなっているが、現在は「獅子回し」「獅子廻(ししかい)」「獅子打ち」「お獅子さま」「獅子追い」「ゴキトウ」などと呼ばれて地域の人々により受け継がれている。古くは江戸時代から行なっていた祓い獅子もあるだろう。

阿形(赤)と吽形(緑)の祓い獅子

祓い獅子の分布

農村、漁村、都市部を問わず広がっているが、博多だけは山笠行事があるので根付かなかった。福岡市内には約30箇所で受け継がれている。平成30年には13件の祓い獅子が無形民俗文化財に指定された。特徴としては担い手に多くの子供が関わっていることが多く、地域コミュニティの活性化に寄与しているところが評価されている(逆に地域コミュニティが希薄なところには祓い獅子が根付かないということだろう)。山笠への憧れから「お汐井(しおい)とり」を行い、「オッショイ」という掛け声をかける地域もある。(参考:https://sasatto.jp/article/entry-1264.html

祓い獅子を見てきた

紅葉八幡宮の祓い獅子に取材に伺ってきた。門付けして回る獅子舞としては舞わずに頭を噛むこともしないという点で日本全国でも珍しく、なぜこのような獅子舞が福岡市周辺に広まったのか?という興味から現地に伺ってきた。

獅子まつりの流れ

紅葉八幡宮では毎年8月上旬に獅子まつりを開催しており、今年も14時に拝殿より始まった。まず30分程度、祝詞の奏上や玉串奉奠、獅子に魂を入れる儀式を行う。その後、AからDまでの4つの班に分かれて、2対8頭の獅子頭が周辺の商店街を練り歩く。獅子頭は阿吽で一組になっており、阿形が赤色、吽形が緑色と決まっている。通常であれば子供神輿も行い、その子供達に商店街の人々が水をかけるが、コロナ禍のため今回は獅子頭の門付けのみとなった。一通り回り終えると、4つの班は拝殿に戻り、16時頃に最後の挨拶の後、飲み会となった。飲み会前まで取材で同行させていただき、その後帰路についた。ディープなところまで見させていただき、とても貴重な取材であった。

また、今回は拝見できなかったが、門付けだけではなく、お泊まりという獅子もある。これは祭りの日ではなく日常的に、家の玄関に獅子頭を保管しておくという風習だ。それをお隣さんお隣さんというふうに順々に回していくことを獅子回しと言ったのだろう。現在このお泊まりは氏子の町内の鳥居がある通りのガラスの仕事をしている家で行われている。この獅子頭を紅葉八幡宮の獅子まつりの日に使うというのだ。禰宜の方が、「邪気祓いの獅子を家においておきたいという気持ちは自然なことなんじゃないかな」とお話されていたのが印象的だった。

祓い獅子の様子(紅葉八幡宮

獅子の門付け方法

僕が獅子まつりの日に付いて回らせていただいた班は、さざえさん通りの個人商店を中心として13軒ほど回っていた。あらかじめ、回ることは告知しておくらしい。途中、縦長で上に赤色、下に緑色の獅子頭が載っている御札が貼られているところを回り、これは紅葉八幡宮の氏子だという。もし留守だとしてもシャッターの前で行うなどの工夫が見られた。氏子の祝儀は1000円以上となっており、昔からの人は3000~5000円払ってくれる人もいる。この祝儀は茶封筒に入れて手渡しする。そのお礼として、獅子頭の巡行をする人は「門祓商売繁盛家内安全祈願御幣紅葉八幡宮」と書かれた紅白のデザインの御幣を手渡すというやり取りが交わされる。獅子によるお祓いは基本的に獅子頭を持っているだけで、神職の方が大麻(おおぬさ)を振りながら何かを唱える。唱え終わると「ええい!!!」と低くておどろおどろしい声で叫び、それを合図に全員で「家内安全商売繁盛」と唱えて終える。子どもがいるお店は、泣いている姿も見られた。

担い手の属性

各班人数は10名程度で20代から60代以降まで、多世代の人々で構成されていた。役割としては祝儀を受け取る人1名、御幣を渡す人1名、大麻を振り祝詞を唱える神職1名、獅子を持つ若者2名、提灯を持つ人多数となっていた。僕がついて回っている班には、最年少だと社会人2年目の24歳の女性がいて、普段は様々なお祭りやイベントで太鼓を披露したり、獅子祭りでは子供神輿に付いて歩くという。ただ、今回はそれらが中止になったので、初めて払い獅子の提灯役で参加したとのこと。また、39歳の男性は普段、小学生がいる親が所属するおやじの会に属しているが、お手伝いということで初めて払い獅子に参加したという。青年団や町内会など特定の枠組みの中から担い手が募集されるわけではなく、広く募集しており毎年同じ人がなるわけではないことが伺える。

祓い獅子の継承について

この紅葉八幡宮一帯の風景は変わった。1985年頃より前は、海が近くて元寇を防いだ歴史がある海岸線が近くに広がっていた。商店街は200~300坪の家が多かったが、相続税が払えなくなって土地を売る人が増えた。地価が上がってマンションが建って、それで地元の人と繋がらないような人がたくさん入ってきた。地下鉄の駅まで近いし、博多まで一本で出られる立地は魅力的だ。子どもも約1300人もいて、中学校は1学年6クラスで800人もいる。ただし、学校のグラウンドは小さくなった印象だ。小学校はずっと1年から6年までいる人は1/3くらいで転入転出を繰り返している。そういう意味では、人は多いけど祭りを続けていくのが難しいというのが現状だ。現在、紅葉八幡宮には18体も獅子頭があり、なぜこれほどまでに多いかといえば、各町内で継承できなくなったものが集まってくるからとのこと。昔は6地区で行われていたが、現在は3地区(祖原、中西、紅葉高取)のみで行われている。

お神輿と獅子まつりがセットで開催されている理由としては、子供がお神輿をしていれば、親が祓い獅子に関わるからのようだ。現在、子供神輿に関わる人が200人もいる。繋いでいくためには相乗効果が必要なのだ。お祭りには静と動があって動の部分は水を掛け合う子供神輿の部分を町と一緒になって行う。これが楽しければ「また来年も」という声があがる。一方で静の部分は神事を厳かに繋いでいくということである。

紅葉八幡宮の祓い獅子の由来

禰宜の方によれば約300年前に遡るが、どこから伝わったかはわからない。黒田家の資料「新訂黒田家譜」によれば、享保の大飢饉(1732年)の翌年、藩主の黒田継高公が福岡藩の農民10万人以上が餓死したことをうけて、紅葉八幡宮にそれを祈祷させたことが伝わっている。おそらくこの飢饉の時期に、祓い獅子も始まったのではないかとも考えられる。

大事なことは顔を合わせること

舞わない獅子はどんなもんだろう?と思って現地に行ってみて感じたのは、この地域において重要なことは「顔を合わせること」なのではないかと思えてきた。生と死の境目をさまようような凄まじい儀式性はみられないし、ましてや舞わない噛まないという極めて大人しい獅子だった。しかし、獅子まつりという存在を後世に残していきたいと、世代を超えて仲間を集め、子ども神輿とセットにすることによって相互的な継承を試みていた。門付けに来てくれたと笑顔を見せてくれる人々が印象的だった。地域の社会的インフラとして、今も昔もその機能を保ち続けているのだ。

 

参考文献

佐々木哲哉『福岡祭事考説』(2017年2月, 海鳥社

福岡市経済観光文化局文化財活用部『ふくおか文化財だより vol.36 2021年12月号』

福岡市経済観光文化局文化財活用部『ふくおか文化財だより vol.36 2022年2月号』

平井武夫『福岡県民俗芸能』(昭和56年11月, 文献出版)

福岡市文化財活性化実行委員会『福岡市における獅子祭りの分布と現状に関する調査報告書(城南区, 早良区, 西区編)』(2014年3月)

 

参考URL

sasatto.jp

sasatto.jp